和泉黄金塚古墳:和泉市上代(うえだい)町


[2004/03/13撮影]

古墳の立地する大津川右岸の信太山丘陵では、4世紀後半頃に古墳の築造以後、6世紀前半まで首長墓の系譜をたどることができ、二系統の首長系譜が指摘されています。

和泉北部地域を、大阪湾に開ける信太山北部地区と、大津川流域を意識して展開する信太山西麓地区とに地形的に分けて、古墳の変遷をたどっていくと、次のように示すことができるといわれています。

◎信太山北部地区
信太貝吹山古墳(帆立貝式古墳・和泉市)→カニヤ塚古墳(帆立貝式古墳・和泉市)→大園古墳(帆立貝式古墳・高石市)→富木車塚古墳(前方後円墳・高石市)

◎信太山西麓地区
丸笠山古墳(前方後円墳・和泉市)→鍋塚古墳(帆立貝式古墳・和泉市)→玉塚古墳(帆立貝式古墳・和泉市)→信太狐塚古墳(前方後円墳・和泉市)

(いただいた資料より抜粋)


第14トレンチ・東槨(西側から撮影)


第14トレンチ・東槨(東側から撮影)

50年ぶりに「粘土槨」を発掘した目的は、「粘土槨」の位置と「墓壙」を確認するためで、検出したのは3基のうち東側の粘土槨(東槨)の一部で、その北端にあたります。

検出箇所は組合式木棺の小口板付近で、今回の再発掘では、革製漆塗草摺の漆皮膜の一部や朱をみることができました。また、粘土は淡い灰白色を呈しており、きめの細かい良質のものと考えられます。

(いただいた資料より抜粋)



第11トレンチ(南側からの撮影)


第11トレンチ(北側からの撮影)


第11トレンチ北側の葺石


第11トレンチ葺石北側の埴輪列


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