山梨県 |
万松山 積翠寺 | 甲府市上積翠寺町 |
甲斐百八霊場第六十一番 | 開創は行基、鎌倉時代に夢窓国師の弟子竺峰和尚によって中興開山されたと伝えられている禅寺。本堂の西の大岩に清流が滝をつくっていたので、当初は石水寺と呼ばれていた。大永元年(1521)11月3日、戦火を逃れて要害城に避難した信虎夫人は、この寺で信玄を出産したと伝えられています。現在も産湯を汲んだ井戸があり、産湯天神が祭られています。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
満蔵院 | 甲府市武田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
秀森山 清水寺 | 甲州市塩山上井尻542 |
甲斐国三十三観音霊場第十八番 | 行基が諸国行脚の際、如意輪観音を刻んで本尊とし、小堂を建立安置して清水寺と号した。ご本尊は、如意輪観世音菩薩で開祖の行基作と伝えられています。 |
吉積山 西念寺 | 富士吉田市上吉田 |
甲斐百八霊場第三十番 | 草創は古く、奈良朝の養老3年(719)、行基が富士山で修業したおりに、山頂に弥陀三尊が来迎したことから、この地に堂をつくり富士道場としたのが始まりと伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
桂林寺 | 都留市金井 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
常現山西光寺 | 都留市川茂114 |
| はじめ天台宗で現在は浄土真宗本願寺派の寺院。御本尊は阿弥陀如来。甲斐の国に下り行基菩薩巡化の折、川茂に滞留、月余居住せし、西光寺旧地「モトシゲ」と伝えられる。(モトシゲとは元屋敷のなまり。) |
川応山浄泉寺 | 都留市川茂195 |
| 浄土真宗寺院。御本尊は阿弥陀如来。養老年間(717年〜724年)に行基が川茂の渡し場に薬師堂を建立したのが始まりとされ、天台宗として24代つづいたが24代目のとき、蓮如上人の教えを受け、現在の浄土真宗に転派。 |
旭洞山本光寺 | 都留市朝日馬場町159 |
| 曹洞宗の寺院。御本尊は行基作とされる延命地蔵菩薩。 |
清水寺 | 山梨市市川 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
万勝寺 | 山梨市(旧東山梨郡牧丘町)千野々宮 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
普明院 | 大月市笹子町黒野田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
円福寺 | 大月市富浜町鳥沢 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
真蔵院 | 大月市賑岡町岩殿 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
柏尾山 大善寺 | 甲州市(旧東山梨郡)勝沼町勝沼3559 |
甲斐百八霊場第十八番 | 養老2年(718)、甲斐国を来訪した行基が創建、薬師如来がその行基の夢枕に立ち、ブドウ栽培をすすめ、このお寺の境内にぶどうの苗を植えたという伝説がある。また、行基が刻んだ右手にぶどうを持つ薬師如来(国宝)がある。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
裂石山 雲峰寺 | 甲州市(旧塩山市)塩山上萩原2678 |
| 僧・行基がこの地で修行していたところ雷が落ち、大石が割れ、なかからハギの大樹が生じ、また十一面観音が出現したしたという。行基はこのハギの木に十一面観音を刻み、雲峰寺を開山したと伝えられる。武田家代々の戦勝祈願の寺としてさまざまな宝物がこの寺に託された。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
放光寺 | 甲州市(旧塩山市)塩山藤木 |
| 甲斐源氏ゆかりの古寺。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
菩提山 長谷寺(ちょうこくじ) | 笛吹市(旧東山梨郡)春日居町鎮目字菩提地内 |
春日居十四霊場 | 養老6年(722)、行基によって創設されたと云われる真言密教の寺院で、別名女人高野とも呼ばれ、盛んな時期には僧坊千坊といわれたほど数多くの修行僧がいた。本尊は十一面観世音菩薩で、脇士は不動明王と毘沙門天。 |
甲陽山 地蔵院 | 笛吹市春日居町桑戸 |
春日居十四霊場 | 藤原朝臣茂手木七郎兵衛信定が母と平治の乱を逃れて都より桑戸に落ち着き、一族の菩提をともらうために行基作の地蔵菩薩を不動明王の胎内に隠し、その不動明王を本尊として一庵を創建した。これが茂林庵(もりんあん)で、平治元年(1159)ぐらいの話である。曹洞宗で地蔵菩薩を本尊とする。 |
松本山 大蔵経寺 | 笛吹市(旧東八代郡)石和町松本 |
甲斐百八霊場第三番 | 寺記によると、養老6年(722)に行基が創建し、十一面大士を安置して松本寺(しょうほんじ)と号して物部神社を鎮守としたという。その後、およそ80年後に弘法大師が不動明王などを彫り、納めたという。 |
大野山 福光園寺 | 笛吹市(旧東八代郡)御坂町大野寺 |
甲斐百八霊場第四十番 | 本堂の奥にある香王観音立像(観音堂)は、奈良時代の僧・行基(668〜749)の作と伝えられている。また、本堂裏の小道を歩いていくと現れる「牛池」は、空海(弘法大師・774〜835)の加持祈祷によって湧き出た、との伝説がある。池の中に牛の形をした自然石があり、日照りが続いた年でも涸れることがないという。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
智光寺 | 笛吹市(旧東八代郡境川村)藤岱 |
| 伝説によれば、本尊の木造虚空蔵菩薩は行基の作と言われる。 |
飯室山 大福寺 | 中央市(旧東八代郡豊富村)大鳥居 |
甲斐百八霊場第四十九番 甲斐三十三観音第十一番 | 奈良時代の僧・行基(668〜749)が天平11年(739)、この地で観音像を彫り寺を開いたのが始まりとされるが、その由緒ははっきりしない。その後、荒廃していたところを飯室禅師光厳(いいむろぜんじこうげん)が再興した。 |
八田山 長谷寺 | 南アルプス市(旧中巨摩郡八田村)榎原 |
甲斐国三十三観音霊場第四番 甲斐百八霊場第八十番 安房三十四観音霊場第四番 | 本尊の十一面観音は行基作とされている。(?年) |
補陀落山 海岸寺 | 北杜市(旧北巨摩郡)須玉町上津金 |
甲斐百八霊場第七十一番 | 行基が養老年間(717〜723)に海抜1000mのこの地に庵を構えたときにはじまったといわれ、天平9年(737)に国の祈願所として聖武天皇より「光明殿」の勅額を賜ったと伝えられている。 |
清光寺 | 北杜市(旧北巨摩郡)長坂町大八田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
清泰寺 | 北杜市(旧北巨摩郡)白州町花水 |
| 本尊は、行基菩薩の彫刻によると伝えられる薬師如来。開基は源義清。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
万休院 | 北杜市武川町(旧北巨摩郡武川村)三吹 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
河浦山 薬王寺 | 西八代郡市川三郷町(旧三珠町)上野 |
甲斐国三十三観音霊場第一番 甲斐百八霊場第九十五番 | 寺記によれば聖武天皇の頃の天平18年(746)、行基が多聞天像を刻み祀ったことに始まるという。その後、真言宗に転じた。天長9年(832)に淳和天皇から、天治元年(1124)、源義清から寺領が下賜され、また武田信玄や徳川家康の庇護も受けるなど、当時は七堂伽藍が建ち並び、寺内には僧6、 俗11、 門前に男女総数41人という大所帯だったという。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
善応寺 | 西八代郡市川三郷町(旧六郷町)楠甫 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
方外院 | 南巨摩郡身延町(旧西八代郡下部町)瀬戸 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
巌龍山 慈観寺 | 南巨摩郡身延町(旧西八代郡下部町)道 |
甲斐百八霊場第九十七番 | 寺記によれば神亀5年(728)、甲斐国志では天平勝宝年間(749〜56)に行基が聖観音像を刻み、それを安置したことに始まるという。 その後長く真言の道場であったが、 明徳4年(1393)、国志では貞治6年(1367)に曹洞宗に転じ、南明寺(第84番)末となった。 |
薬王寺 | 南巨摩郡身延町(旧中富町)大塩 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
最勝山 最勝寺 | 南巨摩郡富士川町(旧増穂町)最勝寺 |
甲斐百八霊場第九十番 | 寺記によれば聖武天皇の勅願で奈良・西大寺の忍正(性)が天平20年(748)に開創したとされる。またその頃、行基がこの地を訪れて観音像を彫り"その功徳最勝なり"としたところから寺号を「最勝寺」としたともいわれ、この地一帯も寺にちなんで最勝寺地区と呼ばれるようになった。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長野県 |
金光寺 | 長野市青木島町青木島 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
不動寺 | 長野市青木島町大塚 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
三宝寺 荒神堂 | 長野市篠の井町大字山布施村山 |
| 本尊三宝大荒神は行基作(701〜704)。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
常光寺 岡田観音堂 | 長野市篠の井岡田裏1243 |
信濃三十三観音霊場第二十一番 | ご本尊の十一面観音は行基作とされている。本来の常光寺は東筑摩郡本山村洗馬(塩尻)に在ったらしい。 |
桑台院 | 長野市松代町豊栄字宮崎 |
信濃三十三観音霊場第七番 | 行基が桑の大樹から3体の観音像を造り、保科の清水寺・清滝の観音堂とともにこの院に1体を安置したのが始まりとされている。虫生田山桑台院引虫寺と称し、養蚕守護と産業繁栄及び万民至福を祈る霊場とし「虫歌観音」と呼ばれている。(724頃) |
明真寺 清滝観音堂 | 長野市松代町東条菅間 |
信濃三十三観音霊場第十一番 | 聖武天皇勅命により東国に下った時、この地の奇妙山で霊感を受け、5尺3寸の千手観音を刻んで安置したのが始まりとされている。本尊は行基作の一木三体観音(桑台院 参照)の1体。後の延暦年間に坂上田村麿が東征の折、この観世音を尊信し祈願所として堂塔を創建し一山全てが霊地として栄えた。養蚕豊作、生命躍動の観音様。「養蚕観音」とも言われている。(730頃) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
阿弥陀山清水寺 | 長野市若穂保科 |
信濃三十三観音霊場第十六番 | 天平14年(742)行基菩薩がこの地に来られ、自ら千手観世音菩薩の像を刻み安置して、衆生摂化の道を開いたのが始まり。桓武天皇の御代、坂上田村麿が蝦夷征伐のため陸奥へ赴く途中観音に祈願し、その帰路勝利を感謝して自ら神童の像八体を刻み八将大権現と称し同寺の鎮守とし、自分の被っていた兜の鍬形と賊の首領の直刀一振を奉納。 |
歓喜山 正法寺 | 長野市(旧上水内郡中条村大字)中条日下野三ヶ野 |
信濃三十三観音霊場第三十番 | ご本尊の木造聖観音立像は行基作と言われており、雨乞いにご利益があることで知られている。大同年間に坂上田村麿が東征の折ここに立ち寄り、心願により建立された。当地の豪族春日氏代々の氏寺として武運長久、子孫繁栄が祈願され、七堂伽藍をつらねた寺であった。虫倉山の中腹近くにある「岩井堂観音」(新四国四十六番札所)のご本尊馬頭観世音は、正法寺の護摩をたいた灰でつくられたものだと伝えられている。 |
大安楽寺 | 松本市女鳥羽町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
放光寺 | 松本市蟻ヶ崎1283 |
| 天平2年(730年) 行基菩薩が聖徳太子作の十一面観音をこの地に安置し、日光山放光寺と称す。本尊は十一面観音で秘仏。開基は坂上田村麻呂。 |
鷲峯山 長安寺 岩井堂 | 松本市(旧東筑摩郡四賀村)会田611 |
信濃三十三観音霊場第二十番 | 天平勝宝の頃、行基菩薩がこの地を遍歴の折、静寂安住のこの霊地に堂宇を建立し、自ら観音像を刻んで安置。弘仁年間に弘法大師が立ち寄り、この霊地の尊厳さにうたれ、爪で大黒天を刻まれて安置し、供養塔婆を立てて百観音を勧請され万民の平安を祈念し、悪魔降伏のため西の岩窟に雷神を祀った。 |
天陽山 盛泉寺 水沢観音堂 | 松本市(旧東筑摩郡波田町)波田5997 |
信濃三十三観音霊場第二十五番 | ご本尊の千手観音は、天平年間に行基菩薩の開基した慈眼山若沢寺のご本尊で、その寺は七堂伽藍の備わった壮大な寺であったが、廃仏毀釈により取り壊された。そこにあった救世殿を盛泉寺に移し、観音堂として再建しご本尊を納めた。千手観音は坂上田村麿の守り本尊で、この観音様のご加護により有明山の鬼賊八面大王を退治することができ、観音様を水沢山に安置。水沢観音堂はもとは旧若沢寺のもので、坂上田村麻呂に寄進された建物とされています |
釈尊寺 布引観音 | 小諸市大久保 |
信濃三十三観音霊場第二十九番 | 行基の開山で、聖徳太子が作ったとされる聖観音を祀ったと伝えられている。後に天台宗比叡山延暦寺の末派となり、岩窟に末寺六ヶ寺の伽藍を造営し、観音堂を懸崖に建て、後に宮殿を作った。(724) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
妙徳山 高顕寺 | 須坂市仁礼町中村 |
信濃三十三観音霊場第十番 | 開基は行基菩薩と伝えられ、米子不動の別当寺として栄えた。雨乞い、火除けに霊験があり、また養蚕守護の観音としての信仰もある。 |
本坊米子瀧山不動寺 | 須坂市大字米子1057 |
| 行基によって開山、現在当寺奥之院の地に瀧澤山家原院 如来寺を建立し、行基自ら大日如来を刻み本尊と して安置したことによります。 |
智識寺 | 千曲市大字上山田八坂1197-2 |
| 身丈4mの十一面観音像は全国に3体しかない一本造りのひとつで、行基作と伝えられている。 |
安楽寺 | 上田市別所温泉 |
| 伝承では天平年間(729 - 749年)、行基の建立とも言い、平安時代の天長年間(824 - 834年)の創立とも言うが、鎌倉時代以前の歴史は判然としない。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
実相院 | 上田市真田町傍陽(そえひ)萩 |
| 神亀2年(725)行基によって開創され、その場所は現在の寺の位置ではなく、峯山西北の「堂平」と称する所であったと伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
平福寺 | 安曇野市三郷(旧南安曇郡三郷村)温4370 |
| 本尊の聖観音像は行基の作と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
光明寺 | 飯田市久米311 |
| 真言宗智山派、円光山。開創、養老年間(712〜23)行基。光明皇后安産祈願のため千手観音を安置。出産後、勅命で七堂伽藍、十二院を建立し寺号を賜る。 |
長命寺(別当 大日堂) | 東御市祢津1714 |
| 伝説に天平元年(729)行基菩薩が北国辺土庶民教化のため巡回の際に、一刀三礼の勤修をもって彫刻された木造(御丈220cm)で霊験著しく、未完の秘仏です。本尊さまは秘仏であり、前立本尊は四面大日如来です。 |
慧日山 修學院 津金寺 | 北佐久郡立科町大字山部 |
| 大宝2年(702)行基が創建、聖観音像は行基作と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
生緑寺 生往院(岩下薬師) | 南佐久郡佐久穂町(旧佐久町大字)高野町 |
佐久三十三観音霊場第二十四番 | (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
古川寺 | 東筑摩郡朝日村古見 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
光輪寺 | 東筑摩郡朝日村大字西洗馬796 |
| 行基の開基と伝え、治承4年(1180年)に木曽義仲が中興開基となり、現在地に堂宇を移して再建したと伝える。薬師堂の本尊を行基作とする説もある。 |
妙覚寺 | 木曽郡大桑村野尻 |
木曽七福神(大黒天) | 行基作という如意輪観音が観音堂に奉られている。 |
新潟県 |
法幢寺 | 新潟市(旧中蒲原郡)横越町 |
| 行基作と言われる酒呑み地蔵が祀られている。 |
雲高山 国上寺 | 新潟市(旧西蒲原郡)分水町大字国上 |
| 和銅2年(709)の開基といわれる新潟県最古の古刹。本尊は行基作の阿弥陀如来。境内には弘法大師を安置した大師堂、義経ゆかりの六角堂等の史跡が点在する。 |
廣喜山 長安寺 | 新潟市長戸呂777 |
蒲原三十三観音札所巡り第十五番 | 本堂左手の十六羅漢像の中央にある厨子内に、行基菩薩作の観音像がある。 |
寛益寺 | 長岡市(旧三島郡)三島町 |
| 養老2年(718)行基による開基。本尊の薬師如来は行基一刀三礼の秘仏と伝えられている。 |
海雲山 西生寺 | 長岡市(旧三島郡)寺泊町大字野積 |
| 天平年間(729〜749)行基による開基。本尊は上品上生の阿弥陀仏で、約3000年前に印度の月蓋長者が娘如是女のために鋳造した一寸八分の純金仏と言われ、第12代景行天皇(71〜130)の時に因縁あって弥彦山中腹の清水平に安置された。それを行基が清水平から飛峯に伽藍を移して、自ら刻んだ阿弥陀如来像の中に胎内仏として祀った。 |
徳聖寺 | 長岡市上田町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
永法寺 | 長岡市雲出町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
栄涼寺 | 長岡市東神田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
真福寺 | 長岡市福島町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
浄円寺 | 三条市本町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
最明寺 | 三条市(旧南蒲原郡)下田村院内 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
妙智寺 | 柏崎市鯨波 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
慈眼寺 | 柏崎市谷根 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
金砂山 円光寺 閻魔堂 | 柏崎市東本町 |
| この堂は、聖武天皇の願いにより建立されたもので閻魔大王や秦広王などの十王は行基の作、ほかに奪衣婆や多くの仏像があり、かっては七堂伽藍を誇っていた。お堂の鎮守は、山王権現と熊野権現であり、 社地に霊泉が湧き、薬湯に用いると効き目があるといい、近郷の人々は、薬の水といっている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
観音寺 | 柏崎市 |
| 正観音は高さ2尺(70cm)余の桂の一本彫りの立像で行基作。 |
興善寺 | 新発田市道賀111 |
| 本尊の聖観世音像は行基作と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
善能寺 | 新発田市富塚町2−9?12 |
| 真言宗智山派。本尊の不動明王は行基作と伝えられている。 |
補陀落山 千光寺 | 新発田市五十公野5020 |
蒲原三十三観音札所巡り第二十三番 | 天平年間(729〜) 行基菩薩が、五十公野山の麓に、観音寺と号して開創したと伝えられる。本尊の千手観世音菩薩座像は行基作。 |
宝珠山 相円寺 | 新発田市中央町2-2-6 |
蒲原三十三観音札所巡り第二十五番 | 本尊の千手観世音菩薩像は行基作。 |
不動寺 | 小千谷市岩沢 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
真福寺 | 小千谷市城内 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宝林寺 | 小千谷市小千谷本町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
金泉寺 | 加茂市狭口甲 |
| 真言宗智山派。本尊の薬師如来は行基作と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
潮山寺 | 白根市庄瀬 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
五智国分寺 | 上越市五智 |
| 行基の開基といわれている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
岩殿山 明静院 | 上越市五智国分2111 |
| 同山の岩屋において、神代、大国主命と奴奈川姫が生活して、その子である建御名方の命が生誕されたと伝えられる。寺名の別称である岩戸もそのことに由縁している。ここに、聖武天皇(724-49)の御世に行基菩薩が国分寺建立の際、この岩戸山に逗留し一寺を建立したのが開創とされている。国分寺奥の院ともいわれていたが、明治に入り、明静院と名が定められ今日に至っている。御本尊は大日如来(国重文)。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
蜘ヶ池 瑞天寺 | 上越市大潟区(旧中頚城郡大潟町) |
| 行基作と伝えられる千手観音と聖観音が安置されている。 |
優婆尊(法華山 高徳寺) | 阿賀野市(旧北蒲原郡)羽黒 |
| 天平五年(733年)行基が出湯を訪れていた時、三途の川の老婆が現れ、「私は表は極悪忿怒の姿をしているが、内は愛憐大悲の情を持って人々を救おうとしています。すぐに私の像を彫刻しなさい」と言い、毘盧舎那仏の姿で空に消えたそうです。行基菩薩が刻まれた四体の優婆尊のうちの一体が安置されている。 |
福隆寺 | 阿賀野市(旧北蒲原郡)安田町寺社甲 |
蒲原三十三観音札所巡り第一番 弘法大師越後二十一ヶ所霊場第十一番 越後八十八ヶ所霊場第四十番 | 真言宗智山派。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
華報寺 | 阿賀野市(旧北蒲原郡笹神村)出湯794 |
蒲原三十三観音札所巡り第二十番 | 五頭のふもと出湯温泉にある曹洞宗の寺。「華報寺優婆尊縁起」によると、天平年間に行基が開山し、古くは『海満寺』と称する真言密教の寺で、四院三十三坊の伽藍があったといわれています。優婆尊(うばそん)の信仰の場として、現在も多くの人が訪れています。優婆尊像・聖観世音菩薩像は行基作。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
青龍山 安穏寺 | 阿賀野市(旧北蒲原郡水原町)小浮1576 |
| 天正元年(1573)八月、五泉市興泉寺六世勅特賜直指峰台禅師の昌山春林を開山とし、創立。寺宝の優婆尊は行基作と伝えられている。 |
臨澤山(りんたくさん)観音寺 | 阿賀野市草水751 |
蒲原三十三観音札所巡り第二番 | 本尊の聖観音菩薩は行基作。 |
桃源山 養広寺 | 阿賀野市駒林1768 |
蒲原三十三観音札所巡り第十六番 | かつては真言宗広岩院と称した。本堂左手の廊下に安置された観音座像は行基作。 |
金峰山 東陽寺 | 阿賀野市船居1117 |
蒲原三十三観音札所巡り第三十一番 | 本尊の聖観世音菩薩像は行基作。 |
祥瑞山 大雲寺 | 阿賀野市外城町14-26 |
蒲原三十三観音札所巡り第三十二番 | 本堂右手の厨子内にある聖観世音菩薩像は行基作。 |
観音堂(切畑) | 五泉市切畑18 |
蒲原三十三観音札所巡り第三番 | 天平年間、行基菩薩が北陸を遊行し奥州に向かう途中、この地に立ち寄った。その折り、大銀杏の枝を切って、十一面観音の尊像を刻んだとのことである。 |
不動院 | 見附市小栗山町1778 |
越後三十三観音霊場第十七番 | 行基菩薩が、この地で自ら彫刻して安置された御丈五尺の千手観世音がご本尊。この観世音の開眼法要の時、山上に北斗七星が煌々と輝いたので、その山頂に観世音の守りとして七所権現をまつり、その山を七所山と名付けた。その後、紀州日高郡日吉郷浄蓮上人と坂上田村麿が力を合わせて伽藍を建立し寺は栄えた。 |
乙宝寺 | 胎内市(旧北蒲原郡)中条町乙 |
越後三十三観音霊場第二十六番 | 真言宗智山派。行基と婆羅門僧正による開創とされている。(736)本尊は行基作の大日如来、阿弥陀如来、薬師如来。 |
虚空蔵堂 (虚空蔵山・大満虚空蔵尊) | 村上市(旧岩船郡)朝日村 |
| 天平2年(730)民の苦難を救うため、行基により像が刻まれた。 |
国分寺 | 佐渡市(旧佐渡郡)真野町国分寺 |
| 本尊は薬師如来坐像(伝行基作・重文) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宮本寺 | 佐渡市大崎1665番地ノ乙 |
| 応徳元年(1084)の創立で、弘仁寺14代運仙法印順覚の開基、昭和39年報恩寺と統合し、「報恩山宮本寺」となりました。今のお寺の前身である「宮本坊」の頃から、本尊が木像の地蔵菩薩で、33年に一度のご開帳の秘仏、行基菩薩の作と伝えられ、俗に厄除け地蔵として知られています。 |
清水寺 | 佐渡市新穂大野124-1 |
| 808年(大同3)年、京都から布教に訪れた僧・賢法が建立。京の清水寺を模したことから清水寺(せいすいじ)と命名された。安置される千手観音像は行基の作と伝えられる。 |
東龍寺 | 南蒲原郡田上町田上乙 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
見玉不動尊 | 中魚沼郡津南町 |
| 天平5年(733)に行基菩薩が平家の守護仏として創立したという本尊不動明王が祭られている。 |
雲泉寺 | 岩船郡関川村大字土沢2056 |
| 本尊の地蔵尊は行基作と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |