静岡県 |
霊山寺 | 静岡市清水区(旧清水市)清水大内 |
| 行基により開山されたと伝わる寺。本堂には行基自作という千手観音が納められている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
真福寺 | 静岡市清水区(旧清水市)清水八坂東 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
鉄舟寺 | 静岡市清水区(旧清水市村松)清水村松 |
駿河三十三観音霊場第二十二番 | 行基・源頼朝・武田信玄・徳川家康等に縁があるとされている。(?年) |
法蔵寺 | 静岡市駿河区曲金 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
徳願寺 | 静岡市駿河区向敷地 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長興寺 | 浜松市北区(旧引佐郡)引佐町伊平 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
龍潭寺 | 浜松市北区(旧引佐郡)引佐町井伊谷 |
| 天平5年(733)行基の開山。 |
大乗山 摩訶那寺 | 浜松市北区(旧引佐郡)三ヶ日町摩訶耶 |
(浜名湖七福神:大黒尊天) | 726年行基が富幕山の山中に開いた「新達寺」が前身とされ、現在の場所に移ったときに「摩訶耶寺」と改称された。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
端光山 東林寺 | 浜松市北区(旧引佐郡)細江町気賀 |
| 天平年間行基菩薩の開創といわれる。(貞観六年(864年)創立説あり) |
祝田山 善明寺 | 浜松市北区(旧引佐郡)細江町中川 |
| 千二百年ほど前、行基菩薩によって開創されたというが、その後、衰退の一途をたどり、五百年ほど前になって黙巌禅師によって中興された。 |
龍泉寺 | 浜松市東区半田町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東光寺 | 浜松市西区坪井町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
随緑寺 | 浜松市西区村櫛町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
大聖寺 | 浜松市中区板屋町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
本称寺 | 浜松市中区元魚町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
甲江山 鴨江寺 | 浜松市中区鴨江四丁目 |
浜松真言三ヶ寺の一つ (鴨江寺・頭陀寺・龍禅寺) (浜名湖七福神:弁財尊天) | 大宝三年(703年)、行基菩薩によって開創されたという浜松市内で最も古い寺歴の寺。遠州地方の民話で知られる“芋掘り長者”が行基菩薩に頼み、観音堂を建てたのが寺の始まりといわれている。 |
西浦観音堂(西浦田楽) | 浜松市天竜区(旧磐田郡)水窪町奥領家地内 |
(国指定重要無形民俗文化財) | 養老3年(719)、行基菩薩がこの地に訪れ正観世音の仏像と仮面を作って奉納したことが始まりとされている。旧暦1月18日、月の出から翌日の日の出まで、47番ある能題が厳寒の観音堂で夜を徹して行われる。五穀豊穣・無病息災の神事を行ったのが始まりの農祭り。現在仏像は「観音堂」に本尊として安置され、仮面(現在24面)は「田楽」に使用されている。 |
秋葉寺 | 浜松市天竜区(旧周智郡)春野町領家 |
| 養老 2年(718年)行基の開創、自作の観世音を祭ったと伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
春埜山大光寺 | 浜松市天竜区(旧周智郡)春野町 |
| 養老 2年行基開創、行基作の大梵尊天、帝釈尊天、閻魔尊天を祀る。奥の院に青面金剛童子を祀る。守護神は太白坊大権現。 |
光明寺 | 浜松市天竜区(旧天竜市)山東 |
| 奈良時代に行基が開創。本尊の三満虚空蔵菩薩は行基の作と伝えられ、歴代皇室の祈願所であった。山頂の奥の院には摩利真天(行基作)が安置されている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
龍宮山 岩水寺 | 浜松市浜北区(旧浜北市)根堅 |
遠江四十九薬師第二十八番札所 (浜名湖七福神:福禄寿) | 神亀二年(725年)、行基が自作の薬師如来像を安置し、開山したと伝えられる。 |
瀑布山 不動寺 | 浜松市浜北区(旧浜北市)平口 |
| 奈良時代(710〜788)行基によって開かれたといわれている。本尊の不動明王は行基の作と伝えられている。 |
薬王山 真光寺 | 浜松市浜北区(旧浜北市)内野 |
遠江四十九薬師第二十六番札所 | 本尊の薬師如来(立像)は行基作といわれている。慶長元年(1596年)三径益和尚の開創。 |
金剛山 庚申寺 | 浜松市浜北区(旧浜北市)宮口 |
| 奥の院の帝釈天は行基菩薩作。 |
金牛山 耕雲寺 | 沼津市大岡下石田 |
| 諸国行脚中の行基が、たまたま大岡にさしかかったとき、里人の困窮をあわれみ、阿弥陀如来をきざんで、「この阿弥陀如来様にお願いすれば、水難から救われますよ」と言い残して去った。この阿弥陀仏像を安置したのが阿弥陀仏寺で、耕雲寺の前身だといわれている。 |
永明寺 | 沼津市幸町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長谷寺 | 熱海市網代町 |
伊豆八十八ヶ所霊場第二十六番 | その昔、行基菩薩が伊豆の国を行脚し、網代の海辺に至り風光明媚な屏風ヶ岩にこもり修行中、奇しくも付近に漂着している霊木を得て、大和の長谷観音と同じ木の末木であると知り、一心に観音像を彫り、洞窟の中に安置して立ち去ったという伝えがある。本尊は行基作と伝わる木造の聖観音像。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長泉寺 | 三島市谷田町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
智満寺 | 島田市千葉 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
医王寺 | 磐田市鎌田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
貞善院 | 焼津市焼津 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
高草山 法華寺 | 焼津市花沢町 |
| 駿河国分尼寺として行基による開山とされている。 |
岩井寺 | 掛川市岩井寺区 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
久延寺 | 掛川市佐夜鹿 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
千手山 普門寺 | 掛川市(旧小笠郡)大須賀町 |
| 文武天皇の勅命により、704年行基が千手の峯に立てたのが寺の始めと言われている。 |
清水寺 | 藤枝市原 |
駿河三十三観音霊場第一番 | 行基が厄除け千手観音を刻んで安置したとされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
鬼岩寺 | 藤枝市藤枝 |
| 神亀3年(726)行基の開創と伝えられている。鬼が爪を研いだという鬼かき岩など、鬼にまつわる物語や行基伝説が数多く残されている。 |
法多山 尊永寺 | 袋井市豊沢 |
| 神亀2年(725)、聖武天皇の勅命を受けた行基によって開創されたと言われている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
医王山薬 王院 油山寺 | 袋井市村松 |
遠江四十九薬師霊場 | 行基が万民和楽と無病息災を誓願、一力三札薬師如来を彫刻し、奉安、開設。境内にある「るりの滝」が昔は「油の滝」であったところより油山寺と名付けられた。(「るりの滝」は行基菩薩がここの滝の水を汲み、孝謙天皇に献じたところ、天皇の眼病が治癒したといわれる滝。)山頂のご本尊薬師如来は行基菩薩作。三重塔の内陣には弘法大師作と伝えられる大日如来を安置。宝生殿(本坊正面の仏殿)の本尊は智証大師(円珍)作と伝えられる不動明王。 |
長谷寺 | 下田市田牛 |
伊豆八十八ヶ所霊場第五十四番 | 天平年間(724〜749)行基の創建、かっては昌善寺と言い真言宗に属していた。 |
太梅寺 | 下田市横川 |
伊豆八十八ヶ所霊場第四十九番 | (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
米山寺 | 下田市箕作 |
伊豆八十八ヶ所霊場第四十六番 | 天平5年(733)に行基がこの地、稲沢に来て四方を見渡し「この地は東方医王の浄刹に似ている。仏を作り寺を建てるに佳いところである。」としてその意を表したところ、「蒼生競って道意に違わず」日ならずして寺が創られ本尊も善くできた。このことによって、見作(箕作)村となずけられれたという。本尊は薬師如来像で行基の作である。 |
泰平寺 | 下田市四丁目 |
伊豆横道観音第二十四番 | 本尊は釈迦で、行基作と伝えられる。 |
善名寺 | 伊豆市(旧田方郡天城湯ヶ島町)吉奈 |
| 行基が建立。吉奈を善名と書いていたところから名付けられた。子宝の湯として有名な吉奈温泉にあり、鬼子母神様を参詣する人が後を絶えない。温泉街を奥へ進むと行基の滝がある。 |
願成就院 | 伊豆の国市(旧田方郡韮山町)寺家 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
龍谷寺 | 湖西市(旧浜名郡)新居町新居 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
鏡光山 応賀寺 | 湖西市(旧浜名郡)新居町中之郷 |
(浜名湖七福神:恵比須天) | 神亀年間(724年〜)聖武天皇の勅願時として、行基菩薩により開基・草創された古刹。 |
東光寺 | 富士市(旧庵原郡富士川町)南松野 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
藤澤山妙善寺 | 富士市原田東滝川1344 |
| 寺伝によると、天平勝宝元年(749)、聖武天皇の勅によって行基が全国各地に建立した81の観音堂のひとつという。正保2年(1645)2月、僧峰得が荒廃していた当寺を再建、藤澤山妙善寺と称した。御本尊:釈迦如来。 |
円成寺 | 牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
法眼寺 | 賀茂郡西伊豆町仁科 |
伊豆八十八ヶ所霊場第八十四番 | 本尊は木像の釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来で行基の作。(?年) |
普照寺 | 賀茂郡南伊豆町伊浜 |
伊豆横道三十三観音霊場第三十三番 | 本尊の聖観音は行基作とされている。(?年) |
八形山 蓮華寺 | 周智郡森町森 |
遠州観音霊場第一番 | 寺伝によると、慶雲元年(704)文武天皇の勅願により、行基による開山・創建、慈覚大師による開基と伝えられている。別名萩の寺とも呼ばれている。山内一豊ゆかりの寺。 |
大日山 金剛院 | 周智郡森町三倉 |
| 開創は、人皇第44代元正天皇の御代、養老2年(718)に行基菩薩が大日如来尊像を安置して開かれたと伝えられている。本尊胎蔵界大日如来、脇仏として不動明王、 弘法大師を安置。昭和35年に改築された「八角堂」には、大聖歓喜天(通称聖天)様をお祀りしている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
極楽寺 | 周智郡森町一宮 |
| 養老年間(712年頃)、行基菩薩によって開創された。本尊阿弥陀如来は行基菩薩みずから刻まれたと伝えられている。 |
愛知県 |
味鏡山 護国院 | 名古屋市北区楠味碗2-732 |
| 行基による開基。真言宗智山派。御本尊は薬師如来。 |
徳源寺 | 名古屋市東区新出来町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
稲園山 七寺 | 名古屋市中区大須 |
| 天平7年(735)行基菩薩による開創。稲園山正覚院長福寺と号する。 |
龍雲山 法泉寺 | 名古屋市南区呼続 2-1-21 |
| 昔尾張国愛知郡井戸田(現在の瑞穂区)にあったという行基開基の「薬師寺」という大寺が、現在地で再興され、龍雲山法泉寺と改められた。御本尊の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩は弘法大師の作と伝わる。曹洞宗。御本尊は薬師如来。 |
亀井山龍泉寺 | 名古屋市瑞穂区井戸田町4-90 |
| 行基による開基。曹洞宗。御本尊は薬師如来。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
尋盛寺 | 名古屋市千種区城山新町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
雲龍山 宝蔵院 | 名古屋市中川区富田町伏屋 |
| 行基による開基で御本尊の木像地蔵大菩薩立像は行基作とされている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
医王山 覚王院 | 名古屋市中川区万場2-705 |
| 真言宗智山派。御本尊は行基作とされる木像千手観世音菩薩立像。 |
太平寺 | 名古屋市中川区戸田3丁目 |
| 和銅3年(710)行基菩薩が創建、行基作という秘仏薬師如来が安置されている。 |
高須賀山 願成寺 | 名古屋市中村区高須賀町24 |
西名古屋宝生七福神 寿老人 | 行基による開基で、薬師堂の御本尊・薬師如来は行基作とされている。 |
見陽山 光明寺 | 名古屋市中村区岩塚町郷中90 |
| 曹洞宗。御本尊の地蔵菩薩は行基作とされている。 |
医王山 高田寺(こうでんじ) | 北名古屋市(旧西春日井郡師勝町)高田寺屋敷383 |
東海薬師霊場第二十一番 | 天正天皇の養老4年(720)行基の開基といい、薬師如来を本尊とする。密蔵院の末寺として天台宗に属する。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
普門寺 | 豊橋市雲谷町ナベ山下 |
| 神亀4年(727)行基が開いたと伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長栄寺 | 豊橋市一色町字天獏 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
亀見山 大岩寺(岩屋観音) | 豊橋市大岩町東郷内65 |
| 境外仏堂として、天平2年(730年)に行基開基による岩屋観音がある。もとは岩屋山山麓にあって岩屋観音を奉仕した六坊中の一坊だった。本尊は千手観世音菩薩坐像。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東観音寺 | 豊橋市小松原町字坪尻 |
| 天平5年(733)行基が創建したと伝えられ、昔はもっと海よりにあり,漁民の平安を祈る寺として栄えた。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
赤岩寺 | 豊橋市多米町字赤岩山 |
| 行基が神亀3年(726)に開基したと伝えられ、その後、空海 の高弟果隣が天安元年(857)に再興したといわれている。源頼朝 が、三河の名刹7寺を選んで堂宇を造営した、三河七海堂の一つでもある。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
高松山 観音寺 | 豊橋市梅薮町字屋敷65 |
参河國准四國霊場第四十四番 | 曹洞宗。御本尊の聖観世音菩薩は行基作とされている。 |
富永山 清泰寺 | 岡崎市(旧碧海郡富永村)富永町字社本45 |
三河西国霊場第二十七番 | 聖観世音菩薩・田植観音は行基作とされている。 |
延寿山 永福寺 | 豊橋市下地町北村26-1 |
参河國准四國霊場第十六番 吉田七福神 毘沙門天 | 聖観世音菩薩は行基作とされている。曹洞宗。御本尊は釈迦牟尼仏。 |
芙蓉山 蓮華寺 | 岡崎市(旧碧海郡矢作村)西本郷町宇和志山93 |
| 行基による開基とされている。曹洞宗。御本尊は薬師如来。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
三河善光寺 | 岡崎市久後崎町字郷西三十七番地 |
| 木造馬頭観世音菩薩像は、行基菩薩三州巡化のとき一本の杉の木をもって、七体観音像を彫刻されたうちの一体であるといわれている。 |
荒井山 九品院寺 | 岡崎市鴨田町字山畔9 |
三河三十三観音巡礼番外一札所 | 本尊の阿弥陀如来は行基菩薩の作である。開基は念仏行者徳本上人の十大弟子の一人、徳住上人で、文政11年(1828)の創建である。 |
補陀落山 観音堂 | 岡崎市伊賀町愛宕下37 |
三河西国霊場第二十四番 岡崎地蔵霊場第二十番 | 木像地蔵菩薩立像は行基作とされている。浄土宗。御本尊は木像千手観世音菩薩立像。 |
根石寺(旧根石観音堂) | 岡崎市若宮町1-11 |
| 曹洞宗。御本尊の木像聖観世音菩薩立像は行基作といわれる。 |
地蔵寺 | 一宮市本町通8-23 |
東海三十六不動尊霊場第三番 | 行基の開創とされている。(726)真言宗豊山派。御本尊は行基作とされる延命地蔵菩薩。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
福寿院 | 一宮市大江2-7-26 |
| 行基による開基とされている。真言宗豊山派。御本尊は十一面観世音菩薩。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
瑞応山 東林寺 | 一宮市島村花ノ木179 |
| 行基による開基とされている。臨済宗妙心寺派。御本尊は千手観世音菩薩。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東池山 西蓮寺 | 一宮市木曽川町黒田字東町南50 |
尾張四郡四国霊場第六十六番 | 御本尊の薬師如来は行基作とされている。浄土宗西山禅林寺派。 |
慶昌院 | 瀬戸市城屋敷町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
小金山 感応寺 | 瀬戸市水北町1950 |
陶宝七福神 弁財天 | 行基による開基とされている。臨済宗妙心寺派。御本尊は釈迦牟尼如来、延命地蔵菩薩、千手観世音菩薩。 |
大昌山 宝泉寺 | 瀬戸市寺本町30 |
尾張三十三観音霊場第二十六番 陶宝七福神 恵比寿 | 江戸時代の末頃まで株式会社中外陶園の敷地内にあった行基作とされる木像薬師如来坐像が宝泉寺に移された。曹洞宗。御本尊は三尊仏・釈迦如来。 |
龍洞山 久雲寺 | 瀬戸市落合町47 |
東海薬師霊場第三十七番 | 行基による開基。曹洞宗。御本尊は釈迦牟尼如来。 |
大龍山 雲興寺 | 瀬戸市白坂町131 |
陶宝七福神 毘沙門天 | 十一面観世音菩薩坐像は行基作とされている。曹洞宗。御本尊は釈迦牟尼仏。 |
光明山 大日寺 | 大府市月見町5-251 |
大府七福神 寿老人 | 御本尊の木像大日如来坐像は行基作とされている。曹洞宗。 |
陀羅尼山 財賀寺 | 豊川市(旧宝飯郡平幡村)財賀町観音山3 |
| 約1200年前行基による開創。御本尊は千手観世音。高野山真言宗。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
安泰山 海元寺 | 豊川市(旧宝飯郡御馬村)御津町御馬東36 |
吉田地蔵霊場第二十八番 | 御本尊の地蔵菩薩は行基作とされている。臨済宗妙心寺派。 |
国府山 国分寺 | 豊川市八幡町本郷31 |
参河國准四國霊場第一番 東三河四国霊場第七十六番 | 行基による開基とされている。曹洞宗。御本尊は薬師瑠璃光如来。 |
珠清山 浄泉寺 | 豊川市赤坂町西裏88 |
東三十八薬師霊場第七番 東三薬師霊場第六番 善光寺願所第二番 | 薬師堂の薬師如来坐像は行基作とされている。浄土宗西山深草派。御本尊は阿弥陀如来。 |
安楽寺 | 稲沢市奥田町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
無量光院 | 稲沢市中之庄町辻畑 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
祐専寺 | 稲沢市(旧中島郡)祖父江町山崎字柳野 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
牛頭山 長福寺 | 稲沢市平和町下三宅郷内309 |
尾張西国霊場第二十三番 | 御本尊の木像千手観世音菩薩は行基作とされている。真言宗智山派。 |
冨賀寺 | 新城市中宇利高田46 |
| 創始は行基菩薩で、大宝元年(701)十一面観音像を彫り「来迎院」という小寺を建てたことにはじまるといわれている。本尊「十一面観音」。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
鳥原山 常福禅寺 | 新城市日吉字桶谷4 |
奥三河七観音霊場第六番 | 当山は「行基菩薩の作と言われる十一面観音菩薩の立像」がお祭りしてある。子授け観音。 |
医王寺 | 新城市(旧南設楽郡)鳳来町長篠字弥陀前256 |
参河國准四國霊場第二十九番 | 阿弥陀如来像は行基作とされている。曹洞宗。御本尊は薬師如来。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
雨尾山 観福寺 | 東海市大田町天神下ノ上5 |
知多四国八十八ヶ所霊場第八十二番 | 行基が開山した知多三山(観福寺・常滑市の高讃寺・知多郡南知多町の岩屋寺)の一つ。御本尊の木像十一面観世音菩薩立像の脇士・不動明王、毘沙門天は行基作とされている。 |
青海山 薬師寺 寶光院 | 犬山市犬山薬師 |
| 聖武天皇の勅願所として行基が勅命を奉じ、天平6年(734)10月、七堂伽藍を創建し、薬師如来を本尊として奉じた。犬山市最古の真言宗寺院。仏室正面に不動明王、右に地蔵菩薩、左に聖観世音菩薩を安置。その前円壇上の厨子には聖天像を祀る。 |
一部山 専念寺 | 犬山市大字犬山字西古券262 |
| 延命地蔵尊は行基作とされている。浄土宗鎮西派。御本尊は阿弥陀如来。 |
大光山 安楽寺 | 常滑市苅屋字深田20番地 |
知多四国八十八ヶ所霊場第六十番 | 御本尊の阿弥陀如来は行基の御作と伝えられています。 |
医王山 東光寺 | 常滑市坂井天王甲16-17 |
知多本四国霊場第二十二番 東海薬師霊場第四十五番 知多板東霊場第三十一番 | 薬師堂の御本尊の木像東方薬師瑠璃光如来立像2躰は秘仏で行基作とされている。曹洞宗。御本尊は釈迦牟尼如来。 |
御嶽山 高讃寺 | 常滑市西阿野阿野峪71 |
知多四国霊場第六十一番 常滑郷大師霊場第六番 知多西国霊場第十二番 | 行基による開基とされている。天台宗。御本尊は木像聖観世音菩薩立像。 |
愛藤山 小松寺 | 小牧市大字小松寺1121 |
小牧十観音霊場第一番 尾張西国三十三観音霊場第七番 | 真言宗智山派の寺院。「天平勝宝年間に、行基菩薩によって創建された」と伝えられている。小牧市指定有形文化財に「絹本着色千手観音菩薩像」があり、 室町時代に製作されたと考えられている、千手観音菩薩を描いた絵画。他に、毘沙門天と不動明王も描かれている。御本尊は木像千手観世音菩薩立像。 |
勝嶽山 円福寺 | 春日井市白山町9-1-3 |
| 寺伝によれば草創は養老七年(723)伊勢国安濃津の商人益直の開基という。神亀五年(728)行基によって円福寺と改められたという。本堂の御本尊は阿弥陀如来で、観音堂の御本尊は十一面観音。天台宗。 |
府中 観音堂 | 尾張旭市渋川町3-8-2 |
| 御本尊の聖観世音菩薩は行基作とされている。臨済宗妙心寺派。 |
行基山 長福寺 實相院 | 蒲郡市形原町東上松27 |
三河新四国霊場第五十五番 | 行基堂、芭蕉天神堂がある。 |
上野山 利生院 | 蒲郡市形原町東上野7 |
三河三十三観音霊場第十六番 穂ノ国霊場第十二番 三河新四国霊場第五十八番 | 観音堂の聖観世音菩薩は行基作とされており、十三年毎に開帳される。浄土宗西山深草派。御本尊は厄除阿弥陀如来。 |
円通山 補陀寺 | 蒲郡市金平町寺中12 |
三河観音霊場第十八番 東海圏西国霊場第十二番 穂の国霊場第二十二番 | 観音堂の御本尊の木造馬頭観音立像は行基作とされている。曹洞宗。御本尊は釈迦牟尼仏。 |
薬王山 三ケ根観音(太山寺) | 西尾市(旧幡豆郡幡豆町)東幡豆大境 |
三河三十三観音巡礼第十九番 | 行基の一刃三礼作といわれる聖観世音が安置されている。 |
性海山 妙善寺(ハズ観音) | 西尾市(旧幡豆郡幡豆町)東幡豆森66 |
三河三十三観音巡礼第二十番 | 天平年間(729〜749)行基菩薩の開基であり、天文年中(1532〜1555)に利春僧都が再興、西林寺と称す。ご本尊は阿弥陀如来・十一面観世音菩薩。 |
満福寺 | みよし市(旧西加茂郡)三好町峰ヶ池 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長興寺 | 田原市(旧渥美郡)田原町大字大久保岩下 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
久宝山 松本寺 | 田原市(旧渥美郡田原町大字神戸)神戸町カタセ87 |
参河國准四國巡礼第二十二番 | 神亀四年(727)行基による開基。当山の薬師如来は小松原の東観音寺にお祀りされていた行基の真刻を、天平4年に拝領したものとされている。。高野山真言宗。御本尊は十一面観世音菩薩。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東光山 長仙寺 | 田原市(旧渥美郡田原町大字六連字)六連町居屋敷 |
参河國准四國霊場第二十一番 | 天平十八年(746)行基による開基。真言宗。御本尊は如意輪観世音菩薩。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宝珠山 医王寺 | 田原市(旧渥美郡)渥美町小中山 |
知多四国霊場第三十番 | 神亀2年(725)行基による開基といい、往時は周辺に12坊を有する大寺院であったと伝えられている。 |
吉祥山 泉福寺 | 田原市山田町谷太郎69 |
東海七福神 大黒天 | 天平15年(743)東大寺建立勧進のため巡行して来た行基が仏像を刻み、渥美郡の始祖、渥美重国(安曇族の末裔)開創のこの寺に寄進したのが本尊の十一面観世音菩薩と伝えられている。 |
東鰲山 成道寺 | 田原市江比間町 |
東海七福神 恵比寿天 | 観音像は行基作と伝えられている。 |
霊松山 常光寺 | 田原市堀切町 |
東海七福神 布袋尊天 | 網で掬い上げた本尊 観世音菩薩は行基作と伝えられている。 |
大悲山 瑪瑙寺 | 田原市高松町 |
東海七福神 福禄寿尊天 | 草創は1200余年前、行基菩薩の開基と伝えられ、古刹小松原東観音寺に対し、西観音寺と称せられ、ご本尊宝玉瑪瑙観音は西行法師の御持仏であったと伝えられている。 |
大樹山 蔭凉寺 | 田原市高木町中畑3 |
参河國准四國霊場第二十九番 | 観音堂の御本尊の馬頭観世音菩薩は行基作とされている。臨済宗妙心寺派。御本尊は聖観世音菩薩。 |
神護山 般若寺 | 田原市伊川津町泉15 |
参河國准四國霊場第三十番 | 観音堂の御本尊の十一面観世音菩薩は行基作とされている。曹洞宗。御本尊は釈迦牟尼如来。 |
医王山 常福寺 | 安城市安城町常福寺34 |
三河秩父霊場第二十六番 | ご本尊は阿弥陀如来。観音の像(行基の作) |
寿護山 観音寺 | 高浜市青木町9-7-15
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| 御本尊の聖観世音菩薩は行基作とされている。
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五太山 明眼院 | 海部郡大治町馬島北割 |
| 行基による開山と伝えられている。 |
北野山 自性院 | 海部郡大治町大字砂子字千手堂710 |
海東西四国霊場第十九番 | 行基による開基で御本尊の木像薬師如来坐像は行基作とされている。真言宗智山派。 |
龍照院 | 海部郡蟹江町大字須成字門屋敷上 |
尾張三十三観音霊場第十三番 | 天平5年(733)行基菩薩により創建、寿永元年木曽義仲が再建。栂尾明恵上人が中興開山。もと蟹江山常楽寺の支院。ご本尊の十一面観音は国の重要文化財。 |
明光寺 | 知多郡東浦町大字石浜字廻間 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
板嶺山 安楽寺 | 知多郡阿久比町板山字川向21 |
知多四国八十八ヶ所霊場第十三番 | 観音堂の聖観世音菩薩は行基作と伝えられています。曹洞宗。御本尊は木像無量寿如来。 |
御嶽山大日寺 | 知多郡武豊町字ヱケ屋敷69番地 |
知多四国八十八ヶ所霊場第二十二番 | 行基の開基とされている。 |
慶亀山 徳正寺 | 知多郡武豊町里中92 |
知多四国八十八ヶ所霊場第二十四番 | 当山にお祀りしてある地蔵尊(子安地蔵)は行基菩薩作と伝えられている。 |
法音山 正覚寺 | 知多郡武豊町富貴郷北36 |
知多百観音霊場第二十九番 | 御本尊の十一面観世音菩薩は行基作とされている。 |
尾風山 泉蔵院 | 知多郡南知多町内海南側59 |
知多四国八十八ヶ所霊場第四十五番 南知多三十三観音霊場第三十番 | 神亀年間(724〜)行基による開基。ご本尊の阿弥陀如来と薬師如来は行基作とされている。 |
井際山 如意輪寺 | 知多郡南知多町内海中之郷12 |
知多四国八十八ヶ所霊場第四十六番 | 行基による開基。円空作の秘仏、薬師如来立像がある。 |
井際山 持宝院 | 知多郡南知多町内海林之峯66 |
知多四国八十八ヶ所霊場第四十七番 南知多三十三観音霊場第三十三番 | 行基開創といわれる一山九坊の巨刹、真言宗観福寺の一院だったが、戦国乱世を経て、この地には持宝院のみ残ったのとのこと。本尊は如意輪観音。 |
宝珠山 医王寺 | 知多郡南知多町大井真向38 |
南知多三十三観音霊場第十番 | 神亀二年(725年)行基菩薩が御巡?なされた時、仏山に草庵を結び自作の薬師如来像を安置したのが始まりとされている。御本尊は千手観音。 |
大慈山 岩屋寺 | 知多郡南知多町山海間草109 |
知多四国八十八ヶ所霊場第四十三番 南知多三十三観音霊場第二十五番 尾張弘法霊場第一番 | 尾張高野山宗総本山で、霊亀元年(715)に元正天皇の勅願により、行基を開祖として創建されたと言われる。また、親鸞上人が阿弥陀堂に本尊を納めたという。19世紀の文化年間に尾張藩によって徳川の勅願所となり伽藍が整備された。本尊は千手観音。 |
大悲山 正法寺 | 知多郡南知多町豊丘本郷10 |
知多四国八十八ヶ所霊場第二十九番 南知多三十三観音霊場第九番 | 寺伝によれば天福元年(1233年)、比叡山の僧・徹円阿闇梨が護摩堂を建て、鎌田兵衛正清(源義朝公の武将)の念持仏であった毘沙門天を供養安置したのが始まり。本尊の毘沙門天は阿吽両体で、行基菩薩の作と伝えられている。本尊は不空羅索観音。 |
梵音山 極楽寺(須佐浦観音) | 知多郡南知多町大字豊浜字高浜 |
知多西国三十三観音霊場第五番 | 岩屋寺の本尊は、漁師の網にかかって拾いあげられた後、最初はこの寺に祀られていた。佛の意志と行基菩薩の願いで岩屋寺に祀られる事になり、その代わりとして行基自ら刻んで与えられたのが、極楽寺の本尊阿弥陀、観音、勢至の三尊佛だと云われる。裏山は求聞持山と呼ばれ、弘法大師修行の跡だと伝えられる。 |
護國山 吉祥寺 | 知多郡美浜町大字野間字桑名前24番地 |
知多四国八十八ヶ所霊場第四十九番 | 行基による開基。別堂に安置されております毘沙門天は、行基菩薩の御作で、一本をもって三体を刻み、他の二体は、常滑市の広目寺と碧南市棚尾の寺に安置され、日本三体と伝えられています。 曹洞宗。御本尊は釈迦牟尼如来。 |
祥雲山 瑞境寺 | 知多郡美浜町大字野間字松下85番地 |
知多四国八十八ヶ所霊場第五十六番 | 当寺の薬師堂に安置されております「薬師如来像」は、行基菩薩の御作と伝えられ、其の厨子には菊と桐の金紋が許されています。御本尊の白衣観世音菩薩は、日本三躰の中之一躰とも言われています。曹洞宗。 |
曇華山 法山寺 | 知多郡美浜町野間字田上50 |
知多四国八十八ヶ所霊場第五十五番 | 行基による開基。臨済宗天龍寺派。御本尊は御湯殿薬師如来。 |
鶴林山 無量寿院 大御堂寺(野間大坊) | 知多郡美浜町大字野間東畠ケ50番地 |
東海三十六不動尊霊場第二十一番 知多四国八十八箇所霊場第五十番(大御堂寺) 知多四国八十八箇所霊場第五十一番(野間大坊) 尾張三十三観音霊場第八番 | 『大御堂寺縁起』には、天武天皇の時代に役小角が建立、聖武天皇の時代に行基により中興されたと伝えられる。その後空海が知多半島を訪れた際に一千座の護摩を炊き庶民の幸福を祈ったといわれる。 真言宗豊山派。御本尊は阿弥陀如来。 |
大乗山 法華寺 | 知多郡美浜町豊丘五宝115 |
南知多三十三観音霊場第六番 | 神亀五年(728)行基菩薩の開基という。その昔、七堂伽藍を有し、 精舎十七坊常住寺僧も三百人という一大古刹であった。 |
浄光山 永寿寺 | 知多郡美浜町豊丘西側35 |
知多百観音霊場第三十八番 | 薬師堂の御本尊・薬師如来は行基作とされている。 西山浄土宗。御本尊は木像阿弥陀如来立像。 |
専光寺 | 額田郡幸田町野場字西脇 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東光寺 | 愛知郡東郷町大字春木字西前 |
| 本尊の薬師瑠璃光如来は行基作とされている。 |
岐阜県 |
雄総山 護国之寺 | 岐阜市長良雄総 |
| 天平18年(746)に聖武天皇の勅願により、行基菩薩が創建したと伝えられている。 |
乙津寺 | 岐阜市鏡島 |
東海百観音第五十二番札所 美濃西国三十三観音霊場第十九番札所 美濃新四国八十八ヶ所霊場第四十四番札所 東海三十六不動尊霊場第三十一番札所 | 天平10年(738)、行基菩薩が西の赤坂の浜から、東の各務野まで七里(28キロ)の中央にあった孤島、乙津島に着船され、仏法縁由の地と定められました。行基菩薩は自ら十一面千手観音像を彫られ、草庵一宇を建てられ安置されたのがこの寺の始まりと伝えられています。 |
願成寺 | 岐阜市大洞 |
| 聖武天皇が行基に伽藍の造営を命じ、行基はまず1メートルほどの十一面観音橡を造って、今まで祀っていた観音小像と仏舎利をその胎内に収め、これを本尊として七堂伽藍を造営し、さらにその付近に願成寺の下寺として12の寺を建てた。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
三輪山 真長寺 | 岐阜市三輪778-1 |
| 真言宗の古刹で、行基の創建と伝えられる。往古は洞泉山真長寺と称していたが、天文4年(1535年)近松光保の弟、吽阿上人が再興して三輪山真長寺と改めた。本尊の釈迦如来坐像は、国指定重要文化財に指定されている。 |
国分寺 | 大垣市青野町 |
| 約1200年ほど前に行基が造営したと伝えられている。 |
国分寺 | 高山市総和町1-83 |
| 開基は行基菩薩。当時建てられた七重大塔の巨大な礎石が残っています。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
瑠璃山医王寺(山中薬師) | 中津川市落合山中 |
| 本尊の薬師如来は行基の作と伝えられている。三河の鳳来寺、御嵩(みたけ)の蟹薬師とともに日本三大薬師の一つ。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
下野庚申堂 | 中津川市(旧恵那郡福岡町)福岡地区下野 |
(日本三大庚申堂の一つ) | 本尊「青面金剛童子像」が行基作と伝えられている。 |
下野庚申堂 | 中津川市加子母(旧恵那郡加子母村) |
| 源頼朝が、建久五年(1194)に西方三百メートルにあった地蔵堂に立ち、この大杉を指してこの大木の下に地蔵尊を安置するよう告げたといわれるもので、延命長寿、安産の守として信仰を集める本尊は行基の作といわれる木彫り像である。 |
清来寺 | 瑞浪市明世町戸狩 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
正宗寺 | 瑞浪市小田町小田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
関善光寺 宗休寺 | 関市西日吉町35 |
| 岩手県平泉中尊寺より千葉県泉倉寺を経て当山に安置された御本尊の丈六阿弥陀如来の、御腹中の胎内仏「宝冠阿弥陀如来」は行基菩薩御作といわれ、「安産、育児の守護仏」として広く信仰されています。 |
日龍峰寺 | 関市(旧武儀郡)武儀町下之保 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
恵利寺 | 関市(旧武儀郡)武芸川町跡部 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
臥龍山 行基寺 | 海津市(旧海津郡)南濃町上野河戸御山 |
| 天平16年行基によって開基、臥龍山菩提寺と名づけられた。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
玉龍寺 | 下呂市(旧益田郡)金山町中切 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
瑞厳寺 | 飛騨市(旧吉城郡)神岡町殿 |
| 古伝に、行基が諸国巡錫のおり、この地に霊異を感じ地蔵菩薩を安置したのが、この地に仏縁が結ばれたはじめで、天平年間(729〜749)のことであるという。 |
禅通寺 | 飛騨市(旧吉城郡上宝村)上宝町一重ヶ根 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
浄誓寺 | 養老郡養老町石畑 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
朝倉山 真禅院 | 不破郡垂井町宮代 |
西美濃33霊場第17番 | 開基は行基で、天平11年(739)本尊の阿弥陀如来像を刻み、象背山宮処寺と名付け、本州阿弥陀如来四十八願の霊刹第三十四番札所と定めた。その後延暦(782〜806)の年、勅命により伝教大師が南宮神社と両部習合し、寺号を大神宮寺と改めた。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
蓮華峰寺 | 不破郡垂井町宮代 |
美濃西国八十八ヶ所第2番 | 行基作の大日如来を安置するために建立された。 |
香林院 | 安八郡神戸町大字加納 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宝雲山 来振寺 | 揖斐郡大野町稲富 |
| 霊亀元年(715)行基により創建され、初めは新福寺と称した。来振大神御降臨の神詞があったので、聖武天皇の勅号によって来振寺と改称。 |
三重県 |
大長寺 | 津市河辺町 |
| 武磐立命の霊告により創建。本尊の地蔵菩薩は行基作とされている。(731) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
仙養寺 | 四日市市生桑町 |
| 行基の開基。(737) |
無動山 大聖院 | 四日市市日永2-11-7 |
伊勢七福神 福禄寿 | 行基の開基。(737)真言宗醍醐派。御本尊は不動明王。 |
高角山 大日寺 | 四日市市寺方町1区146 |
| 寺伝によれば、天平8年(736)に行基により「伊勢国国分寺」として建立。もとは鈴鹿郡国府にあり、国府寺と呼ばれていた。 |
教王山 世義寺 | 伊勢市岡本 |
(日本三大護摩の一つ) | 聖武天皇の勅願により行基が開いたとされる真言宗の名刹。(742) 当初外宮の奥、前山にあった。当寺は大峰山修験道の先達寺院として、盛時には十九坊の塔頭を数えたという。 伝承によると、壇ノ浦脱出後の知盛を匿ったという。その後大火などあり現在地へ移った。当寺は大峰山などで修行する修験者の先達の所属寺でもあったので、星祭の7月7日に護摩会が催される。 |
龍池山 松尾観音寺 | 伊勢市楠部町松尾山 |
| 奈良時代(712年)に行基によって開かれた寺で、行基自らの作と伝えられる十一面観世音菩薩を本尊とし、脇侍に多聞天者と地蔵菩薩を祀お祀りしており特に、当山の龍神伝説に因み除災、縁結びなどに御利益がある祈願寺として広く知られている。 |
太江寺 | 伊勢市(旧度会郡)二見町江 |
| 天平年間(729〜748)、行基が伊勢神宮参詣の折に夢の御告げを受けて創建したと伝えられる。音無山の東麓にある真言宗の古刹。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
岡寺山 継松寺(岡寺観音) | 松坂市中町1952 |
東海不動霊場第二十六番 | 勅命により行基が開基。(744)高野山真言宗。御本尊は如意輪観世音菩薩。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
清光寺 | 松坂市中町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
十念寺 | 桑名市伝馬町 |
| 行基の草創。(757〜765) |
長隆寺 | 上野市森寺 |
| 行基の開基。(729〜749) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
福満山 慈心院 神宮寺 | 鈴鹿市稲生西2-8-16 |
東海四十九薬師霊場第七番 | 行基が開いた真言宗の寺。明治初期までは伊奈富(いのう)神社(御祭神:保食神大國道命)の別当寺だった。御本尊は木像薬師如来立像。 |
妙福寺 | 鈴鹿市徳居町 |
| 聖武天皇の勅命により、本尊の薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来像等を行基が刻んだ。(?年) |
林光寺 | 鈴鹿市神戸鍛冶町 |
| 行基の開基。(729〜749) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
龍性寺 | 鈴鹿市滝ノ原町 |
| 本尊の釈迦如来は行基作とされている。(?年) |
地蔵院 | 鈴鹿市庄野町 |
| 勅命により行基が地蔵菩薩を刻み、交通の要所に安置。(742) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
青峯山 正福寺 | 鳥羽市松尾町519 |
東海不動霊場第二十三番 | 行基による開基で伽藍を創建。(743)高野山真言宗。御本尊は十一面観世音菩薩。 |
光岳寺 | 鳥羽市鳥羽町 |
| 本尊の十一面観音は行基作とされている。(?年) |
潮音寺 | 鳥羽市答志町 |
| 本尊の薬師如来は行基作とされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
慈恩寺 | 亀山市野村 |
| 神亀5年(728)、聖武天皇の勅願で、行基が創建したとされる古刹。 |
関の地蔵院 | 亀山市関町新所 |
尼寺三十六ヶ所第三十四番 | 天平13年(741)、聖武天皇が当時流行していた疱瘡から人々を救うため、行基に命じて建立させたのが始まりとされている日本最古の地蔵院。一休禅師がここで改めて開眼供養したと伝えられる。 |
勝泉寺 | いなべ市(旧員弁郡)北勢町西貝野 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東林寺 | いなべ市(旧員弁郡)北勢町 |
| 美濃国より参宮の途次、員弁川のほとりで美妙の光を拝み、その源を尋ねたところ、滝の下に一つの沈み木があり、この木は三筋の光明を放って、異香は四方ににおったという。行基は不思議と渇仰のあまりこの木を以って聖観音菩薩の尊像を彫り、一寺を開基し安置したと伝える。境内にある宝篋印塔は南北朝時代の正平3年(1348)に、浄心妙因(北条時宗の姪、美濃国守護土岐頼貞の妻)の供養塔として造られたもの。 |
光蓮寺 | いなべ市(旧員弁郡)大安町大字門前字薬師 |
| 行基の開基と伝え、また笠間郷島取神社の別当寺とも伝えられている。天正11年(1583)豊臣秀吉が滝川一益を討つとき、当寺に立寄り当寺を大切にするよう制札を出させたという。 |
国分寺 | 志摩市(旧志摩郡)阿児町国分 |
| 行基と善哉の開基。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東光山 神宮寺 | 一志郡嬉野町森本750 |
| 奈良時代 天平二年の春、聖武天皇の后 光明皇后の発願を僧 行基に託して三重県嬉野町の山中に利勝山瑠璃光殿を建立、慈覚大師の一刀三礼彫刻の三体の薬師如来像が本尊として安置されていました。 |
遍崇寺 | 員弁郡東員町中上 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
金剛座寺 | 多気郡多気町大字神坂169 |
| 『金剛座寺略縁起』によると讃岐の四国八十六番札所 志度寺の別当寺として十一面観音をご本尊としておりましたが、持統七年(693)頃に不比等公が、内妻の菩提寺とすべく行基菩薩刻彫の如意輪観音を志度寺から遷座し、行基菩薩開眼のうえ本尊にしたと伝えられております。 |
西尊寺 | 多気郡(旧勢和村)多気町 |
| 本尊の阿弥陀如来は行基作とされている。(?年) |
金蔵寺 | 度会郡(旧紀勢町)大紀町錦 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
西方寺 | 度会郡南伊勢町伊勢地 |
| 行基によって天平12年(740)に開基されたといわれている。 |