大阪府 |
六大院 | 大阪市天王寺区餌差町 |
摂津国八十八ヶ所霊場第十四番 | 慈雲山として行基が開創したとされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
興徳寺 | 大阪市天王寺区餌差町 |
摂津国八十八ヶ所霊場第十二番 | 草創が聖徳太子で、行基が再建。(?年) |
崇禅寺 | 大阪市東淀川区崇禅寺 |
| 天平年間(729〜749)に行基が開いたと伝えられるが、一説には聖徳太子の創建ともいわれる。 |
光明寺 | 大阪市東淀川区南江口 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
横玉山 定専坊 | 大阪市東淀川区豊里6丁目 |
| 創建は聖武天皇(701〜56年)の時代に、行基の開基と伝えられ、始めは西光寺と称した。一説には摂津の西光寺(現在の定専坊)に隠棲したと伝わる。楠木正勝の墓がある。 |
西方寺 | 大阪市浪速区下寺 |
| 行基の開創とされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
称明寺 | 大阪市東住吉区矢田 |
| 行基の開創とされている。(?年) |
無生山 見性寺 | 大阪市東住吉区桑津3-4-9 |
| 寺伝では、光明皇后が天平七年(七三五)に設けた施薬院を、聖武天皇が勅して伽藍を整え、天平八年(736)に行基菩薩を開基として成立、一時は衰退するが、平治年間(1159〜1160)に平重盛の寄進により大寺院となる。法然上人が寺に宿泊され、生駒山から出る月を見て「月かげ」という歌を詠んだことでも知られており、浄土宗の宗歌になっている。 |
吾彦山大聖寺観音寺(あびこ観音) | 大阪市住吉区我孫子 |
| 開基は聖徳太子と伝えられる。本尊の聖観世音像は、聖武天皇が厄年の時に病にかかり僧行基が天皇の病気平癒の祈祷を水間山中でしたと伝えられるが、その時竜王から授ったものという。 |
九品寺 | 大阪市北区同心 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
堤法寺 | 大阪市北区豊崎 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
源光寺 | 大阪市北区豊崎 |
| 入江長者が娘の病を治した行基に土地を寄進し、天平19年(747年)聖武天皇の勅願寺として開山。平生寺と称す。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
三津寺 | 大阪市中央区心斎橋筋 |
摂津国八十八ヶ所霊場第二番 | 行基の大福院といい、十一面観音は行基作とされている。(724〜729) |
難波寺 | 大阪市生野区巽北1-7-18 |
| 御本尊は行基作とされる十一面観音で平景清の念持仏とされており、752年(天平8年)勅命により行基によって現在の天王寺区東高津町に創建されたと伝えられ、当初天台宗に属していた。室町時代に入ると荒廃し、江戸時代に入って中興され臨済宗に改められた。1925年(大正14年)現在地に移された。 |
常安寺 | 堺市堺区熊野町東 |
| 本尊の阿弥陀如来は行基作とされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
極楽寺 | 堺市堺区熊野町東 |
| 行基による開創と伝えられている。(泉州路 中世寺院の探訪より) |
浄得寺 | 堺市堺区錦之町東 |
| 勅願により行基が開く。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
神栄山 長谷寺 | 堺市堺区宿院町東3-2-5 |
和泉西国三十三所霊場第十番 | 真言宗豊山派。天平勝宝5年(753)3月徳道上人の開創で、聖武天皇が大和長谷寺を造立後、上人に勅令 を賜り諸国に新長谷寺を造営させた最初の寺といわれています。 本尊は大和長谷寺建立に祭し試作の十一面観音菩薩像。 和泉長谷寺緑起に大和長谷寺の十一面観音および長谷寺造寺譚、開基者徳道や行基の行状を交えて語られている。 |
菩提院 万代寺 | 堺市北区百舌鳥赤畑町 |
| 天平元年(729)3月、行基によって創建された。 |
光明院 | 堺市北区百舌鳥赤畑町 |
| 寺伝では、光明皇后の発願により、天平元年(729)に創建され、僧行基の開基と伝えられる。 |
毛須山 法華寺 | 堺市北区百舌鳥梅町 |
和泉西国三十三所観音霊場第九番 | もともともは天平年間に行基が開基した真龍山 毛須寺という真言宗の寺だったが、元禄時代の1711年(正徳元年)に日等上人によって日蓮宗に改宗。 本尊は十一面観音菩薩。 |
愛染院(花田池浦観音堂) | 堺市北区蔵前町 |
| 行基による開基とされている。観音像は行基作とされている。 (泉州路 中世寺院の探訪より) |
家原寺 | 堺市西区家原寺町 |
西国薬師霊場第十五番 大阪十三仏霊場第三番 仏塔古寺十八尊霊場第一番 | 行基の生誕地。本尊の智恵文殊菩薩は行基作。732年に勅命により伽藍を修造し、三十二坊を開く。(704) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
華林寺 | 堺市西区八田寺町 |
| 行基が39才の時、母親供養のために再興したとされている。(706年) |
行興寺 | 堺市西区草部 |
| 行基による開基。草部神社の神宮寺。本尊の不動明王は弘法大師作と伝えられている。 (泉州路 中世寺院の探訪より) |
月輪寺 | 堺市中区陶器町北 |
| 諸国行脚中に陶器の庄に草庵を結び、月輪を礼拝したのが起源。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
大野寺 | 堺市中区土塔町 |
| すぐ近くに行基と弟子たちが作ったとされる土塔があり、公園として整備されている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
妙覚寺 | 堺市東区日置荘原寺町 |
| 村社萩原宮の宮司で、行基が開祖。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
釈迦院 | 堺市東区丈六町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宝積院 | 堺市南区高倉台 |
| 706年、行基の開基で、自作の薬師如来を本尊として安置したとされている。のち弘法大師が巡錫して大日如来を祀る。大修恵山 高倉寺の塔頭。茶室は小堀遠州作と伝えられ、後に秀吉がここで茶会を開いたときに京都「聚楽第」の「聚」をとって「宝聚庵」と命名。小堀遠州作「亀の庭」と呼ばれる庭園もある。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
岩室山 観音院 | 堺市南区岩室 |
| 行基が阿弥陀如来像を安置し、のち弘法大師が十一面観音を彫刻し観音院と号したとされている。 |
放光山 来迎寺(大庭観音) | 堺市南区大庭寺987 |
和泉西国三十三所霊場第六番 | 行基開基といわれる大庭造の菩提寺である大庭寺がその前身といわれる。本尊の十一面観世音菩薩はもともと大庭寺の本尊だったそうです。 |
補陀洛山 放光寺 | 堺市南区美木多上177 |
和泉西国三十三所霊場第五番 | 白鳳年間に役行者が開基、天平年間に行基が観音像を安置して放光寺と名付けたと伝えられている。開基は役行者。御本尊は毘沙門天、札所本尊は千手観音。高野山真言宗。 |
長光寺 | 岸和田市内畑町 |
| 開基は穂日宮、中興は役行者で、そのあとを行基が継ぐ。朝日山千手院とも称する。(?年) |
臥龍山久米田寺 | 岸和田市池尻町 |
| 勅命により行基が開く。寺宝の「星曼陀羅図」は重要文化財で除災受福を祈願する北斗修法の本尊(非公開)。(729) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
仏日山 東光院(萩の寺) | 豊中市南桜塚 |
新西国三十三観音霊場第十二番 西国七福神第一番 | 天平7年(735)草創。天平年間(735)、行基が豊崎村下三番(現大阪市大淀区中津)において火葬の方法を伝授したのを起因とし、薬師堂を建立したのが寺の始まりとされている。行基自作と伝える薬師如来を本尊とする。全山を覆う萩は死者の霊を慰めるため、行基自ら植栽したものという。唯一大阪(川崎)東照宮の遺構を残す寺院でもあり、移築した本地堂には徳川家康の念持仏薬師如来座像を安置。鎮守として小田原征伐の際、豊臣秀吉が勧請した道了大権現をまつる。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
金凉山 真教院 願泉寺 | 貝塚市北町 |
| 行基よって開かれた四十九院の1つとされている。貝塚御坊。(713) |
孝恩寺 | 貝塚市木積 |
| 聖武天皇は弥勒仏を信じて近畿に四十九院を建てることを発願し、行基が勅命によって作った寺院の1つとされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
水間寺 | 貝塚市水間 |
| 行基の開創。(745)伝統行事「「千本搗」は、行基がこの地を来訪した際、出迎えた16人の童子たちとともに観音様の出現を祝い、もちをついて供えたのに由来するとされている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
法園寺 | 池田市建石町 |
| 寺宝の聖観音菩薩像は行基作とされている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
多羅山 若王寺(釈迦院) | 池田市鉢塚3丁目 |
| 往昔神功皇后が新羅国王より献上されたと伝えられる釈尊捧持の鉄鉢を将来されたが、当時佛教未だ流通しておらず、よってこの地に埋蔵されていた。奈良時代に僧行基この地を巡錫し、観世音菩薩の夢告によりこの宝鉢を発掘し、聖武天皇の勅願により一大伽藍が創建されて若王寺の寺号を贈った。 |
一条院 | 池田市鉢塚2丁目 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
寿命寺 | 池田市西本町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
久安寺 | 池田市伏尾町 |
摂津国八十八ヶ所霊場第六十七番 | 行基の開基。829年に空海が中興。(725) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
常福寺 | 池田市神田町 |
| 行基の開創。(732) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
慈恩寺 | 池田市中川原町 |
| 神亀2年(725)聖武天皇が行基菩薩に勅を発し創建、天長5年(828)に弘法大師が中興し大唐の大慈恩寺になぞられ「慈恩寺」と号した。 |
観音寺 | 吹田市南高浜町 |
| 光明皇后の発願により行基が一宇を建てる。寺宝の観音像は739年に行基が刻んだとされている。(724〜729) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
常光円満寺 | 吹田市元町 |
| 行基の開基。(724〜729) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
佐井寺 | 吹田市佐井寺 |
摂津国八十八ヶ所霊場第四十四番 摂津国八十八ヶ所霊場第二十九番 | 和銅年間以前の開創で、行基が中興。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
光明山紫雲寺 | 吹田市山田東2-18-17 |
| 神亀4年(727)に行基によって建てられたと伝えられている。浄土真宗本願寺派。御本尊は阿弥陀如来。本堂の天井画は江戸時代後期の画家「森狙仙」により、安永2年(1773)頃に描かれたもの。 |
霊松寺 | 高槻市天神町2-4-2 |
| 天平年間の行基の開基とされている。牛飼山地蔵院と称し自作の十一面観世音菩薩を本尊として人々の信仰を集めたと言われる。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
地蔵院 | 高槻市真上町4-1-54 |
| 行基の開創。のち空海も巡錫したとされている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
興楽寺 | 高槻市柱本3-20-9 |
| 行基の開基。聖武帝の御代の勅願所。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
総持寺 | 茨木市総持寺1-6-1 |
| 御縁起に行基によるお告げがあったとされている。。 |
蓮花寺 | 茨木市天王二丁目 |
| 行基がここの池に不思議な光の発するのを見て建てたといわれている。 |
賀峯山 忍頂寺(寿命院) | 茨木市大字忍頂寺 |
摂津観音第二十三番 | 御本尊の薬師如来は行基が夢告に従って刻んだとされている。 |
麒麟山 真龍寺 | 茨木市東福井二丁目 |
摂津国八十八ヵ所霊場第五十一番 | 天平20年(748)、行基の開基と伝えられている。弘仁年間(810〜823)、弘法大師の高弟真如法親王がここに住し、大門・鐘楼・経堂その他21坊を建立したと伝えられているが、応仁の乱(1467年)で焼失。その後の文禄年間(1592〜1595)に12坊が再興。 |
獅子窟寺 | 交野市私市 |
| 役小角が金剛山から来て薬師浄土を開創、行基が堂塔を建立し、空海が修法したとされている。(?年) |
長栄寺 | 寝屋川市長栄寺町 |
| 真言宗御室派。行基建立と伝える。(大阪府地名大辞典) |
安養寺 | 枚方市南楠葉2丁目 |
| 天平年間(724〜749)に行基によって開かれたと伝えられている。 |
久修園院 | 枚方市楠葉中之芝 |
| 行基の開基。(717) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
釈尊寺 | 枚方市釈尊寺町 |
| 行基の開基。もとは行基寺という。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
光明寺 | 守口市八雲北町2-23-20 |
| 真言宗御室派、正法山。開山、空海(弘法大師)。大同元年(806)開創。真言宗御室派仁和寺の末寺で、もとは八幡宮寺とも称し、八幡社(現・八雲神社)の神宮寺であったという。行基または空海作と伝えられている十一面観音立像は、国の重要文化財に指定されている。 |
常光寺 | 八尾市本町5丁目 |
| 聖武天皇の時代に行基が創建したといわれ、山号を初日山、寺号を常光寺と称し、臨済宗南禅寺派に属する。本尊は地蔵菩薩で、八尾地蔵として有名であり、安産の霊験があるといわれている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
天野山 金剛寺 | 河内長野市天野町 |
新西国三十三観音霊場第七番 河内地蔵十二番 河内飛鳥古社寺八番 神仏霊場 巡拝の道 第五十五番
| 勅命により行基が開く。のちに空海が修行したとされている。別称:女人高野天野山。(724〜729) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
来迎寺 | 松原市丹南町 |
| 行基の開基。行基作とする画像がある。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
慈眼寺(野崎観音) | 大東市野崎 |
| 約1200年前、インドの僧が「野崎は釈迦が初めて仏教をといたハラナによく似ている」と行基に言ったことから、行基が自ら観音像を刻み、安置したのがはじまりといわれている。本尊は安産や子授けに効験があるといわれる十一面観音像。 |
称迎寺(龍間寺観音堂) | 大東市龍間1284−1 |
| 龍間寺は、行基菩薩が創建。平成13年5月に称迎寺境内に移転。本尊は十一面観音像。 |
施福寺 | 和泉市槙尾山町 |
西国三十三か所霊場 | 行基も修行したとされている。開山は行満上人。(泉州路 中世寺院の探訪より) |
宝瓶院 | 和泉市松尾寺町 |
| 行基が掘った閼伽井がある。 |
禅寂寺 | 和泉市坂本町 |
| 行基による開基創と伝えられている。(泉州路 中世寺院の探訪より) |
阿弥陀寺 | 和泉市大野町118 |
| 聖武天皇の皇后である光明皇后の安産を祈るために、僧・行基が槙尾山清浄の滝で安産の秘法を修め、如来像を刻み、当寺に安置したという言い伝えのある阿弥陀如来をまつっています。 |
安福寺 | 柏原市玉手町(玉手山の北西) |
| 行基の開基とされている。(724〜729) |
瑠璃光寺 | 柏原市山ノ井 |
| 行基の開基。本尊は六尺の薬師如来立像。、 |
葛井寺 | 藤井寺市藤井寺 |
西国三十三か所霊場 | 行基が導師となって本尊の開眼法要を営んだ。(725) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
興法寺 | 東大阪市上石切町 |
| 山岳寺院で祇園院または鷲仙寺ともよばれていた。山号は鷲尾山と号し、行基、空海も修行したといわれている。本尊の木造三面十一面千手観音菩薩立像は、行基が波羅門伝来の栴檀香木をもって刻んだものと伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
往生院六万寺 | 東大阪市六万寺町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
林昌寺 | 泉南市信達岡中 |
| 行基が開創したと伝えられる真言宗の寺。織田信長によって全焼したが、江戸時代になって再建された。 |
長慶寺 | 泉南市信達市場 |
| 行基が開創したと伝えられている。西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十三箇所の各本尊観音石仏を奉った御堂も有名。 |
薬師堂(豊楽寺跡) | 箕面市止々呂美 |
| 光明皇后の命で行基が大伽藍を建立したと伝えられる医王山豊楽寺の後身、元禄年間(1688〜1703)に大火災に遭い、以後仮堂のまま現在に至っています。堂は現在よりもう少し西側にありましたが、道路新設の際に移動し、石塔、石仏も整備されました。 |
本滝寺 | 豊能郡能勢町野間中 |
| 行基の開基で、為楽山大空寺という。妙見山という。(749〜747) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
能勢妙見宮 | 豊能郡能勢町 |
| 奈良時代に行基が開いたと伝えられている。 |
宝珠山 光明寺(理智院) | 泉南郡岬町多奈川谷川 |
| 聖武天皇の勅により、天平5年(733)行基が開基と伝えられている。 |
釈恩寺 | 三島郡島本町 |
| 天平年間(729〜749)、行基の創建と伝えられている。 |
脇幡寺 | 三島郡島本町 |
| 養老元年(717)行基による開基とされていたり、別の記録によれば天正勝宝元年(749)とも伝えられている。行基が山中の空洞より光発する老樹を彫り、その空洞に安置した事により洞薬師と呼ばれている。 |