兵庫県 |
薬仙寺 | 神戸市兵庫区今出在家町 |
| 行基は聖武天皇から賜わった長谷試しの観音像を奉安するところを探しているところ、和田岬の異光のある地中から薬師如来を得たので、伽藍を開いた。(746) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
明泉寺(大日寺) | 神戸市長田区明泉寺町 |
福原西国観音霊場客番二番 | 寺伝によれば天平7年(735)、行基菩薩が大輪田の泊を改修され、さらに真野の荒野を開墾し、その用水のために西代の蓮池を開掘され、蓮池の水源である上流の地、現在の大日丘に自刻の大日如来の尊像を祀ったのが始まり。 |
妙法寺 | 神戸市須磨区妙法寺毘沙門山 |
| 行基の開基で、本尊の毘沙門天像は行基作。(739) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
温泉寺 | 神戸市北区有馬町 |
| 神亀元年(724)行基の開基、建久年間の仁西上人を中興の祖とあおぐ。行基が温泉を開いたときに、自ら丈六の薬師如来像を刻み、堂を建てて安置し温泉寺といったと伝えられている。お堂にまつられている行基と仁西の像は、毎年正月2日の入初式に御輿に乗せられ、町中を練り歩く。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
善福寺 | 神戸市北区有馬町 |
| 行基の開創とされている。落葉山の麓に立つ。現在は曹洞宗の禅寺で、本堂(拝観は要事前連絡)には阿弥陀如来像と、聖徳太子立像(重要文化財)が安置される。豊臣秀吉が茶会を開き、阿弥陀堂釜も残る。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
清涼院 | 神戸市北区有馬町 |
| 行基の開創とされている。温泉寺または薬師堂といった。(?年) |
極楽寺 | 神戸市北区山田町小部字北ノ谷 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
大龍寺 | 神戸市中央区再度山 |
KOBE七福神(大黒天) | 本尊の如意輪観音は行基作とされている。769年称徳天皇の勅命による和気清麿の開基とし、のちに空海も入寺する。(?年) |
太谷寺 | 神戸市西区伊川谷町小寺 |
| 726年に行基が開き、定恵が建立した天台宗の寺院。 |
福智院 性海寺 | 神戸市西区押部谷町高和1318 |
| 行基による開基とされている。本尊如意輪観音は聖武天皇より賜った香木を行基自ら刻まれたと伝えられている。 |
長福寺 | 神戸市西区押部谷町養田369 |
神戸六地蔵尊巡り第五番霊場 | 730年(天平2年)行基により開かれた真言宗の寺院。本尊は地蔵菩薩、木造一木造り。脇像は不動明王、毘沙門天。考古資料館が設けられており一般公開されている。 |
日輪寺 | 神戸市西区玉津町小山 |
| 724年行基により開かれた天台宗の寺院。明石八山寺の一つで、仁王門前の菩薩池も行基が潅漑用に築いたと言われている。 |
円通山 久昌寺 | 神戸市垂水区 |
| 行基がヤマモモの木で造った観音像が本尊。天徳2年(958年)の創建の臨済宗の寺院。本堂の前には、南北朝時代の観応3年(1352)の銘のある「宝筐印塔」がある。 |
増位山 随願寺 | 姫路市白国町 |
| 開山は慧便、開基は聖徳太子で、行基が中興したとされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
八徳山八葉寺 | 姫路市香寺町 |
| 天平8年(736)に行基の開創と伝えられる。 |
鹿谷山 薬上寺 | 姫路市(旧飾磨郡)夢前町山之内小字我孫子 |
播磨八薬師第三番霊場 | 高野山真言宗。この地で行基さんが野営をしたときに夢の中でこの地に薬師堂を作るようにというお告げがあり、その前を流れていた川を「夢前川」と名付けられたと伝わっています。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
浄正寺 | 尼崎市常松2丁目 |
| 行基建立の昆陽寺の塔頭九院の1つとされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
医王山 治田寺 | 尼崎市戸ノ内町2丁目 |
| 天平16年(744)、行基による開基とされている。 |
如来院 | 尼崎市寺町 |
法然上人二十五霊跡第四番 | 天平年間、聖武天皇の厄除けを祈願し、行基が神崎に釈迦の土像を祀り、偏照寺と号した(偏はぎょうにんべん)。そして一堂を建立したのが起源と伝える。神崎の釈迦堂とも称された。 |
浄土山 遍照寺 | 明石市魚住町長坂寺 |
| 天平2年(730)、行基が旅の途中で但馬と丹後の境にさしかかったとき、山の巨木が「衆生摂取不舍」と唱えた。これを聞いた行基は、その木で阿弥陀如来像を刻み、現地に迎接寺をを建てたといわれている。もとは山内の迎接寺というお寺。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
清冷山 閼伽寺 薬師院 | 明石市魚住町西岡 |
播磨八薬師第一番霊場 明石西国第七番霊場 | 天平年間(729〜749)に行基がこの地を訪れたおり、錫杖を地に突き立てると霊水がわき出し、その中に薬師如来の尊像を得られたので帝に奏上し、勅命によって創建された。播磨八薬師第一番霊場・明石西国第七番霊場。 |
威徳院 | 明石市二見町西二見 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長楽寺 | 明石市大久保町江井島 |
| 行基は浜にあった石で地蔵を彫って海に祈ると、一夜のうちに磯(防波堤)が築かれ、港の完成につながった。その際、沖から「墳(土ヘンではなく魚ヘン)」が「向」かって「嶋」までやって来た。行基は海の安全と港の繁栄を願い、地蔵を祭る長楽寺を建立。本堂には今も阿弥陀仏の横に、行基が彫ったという「御崎地蔵尊」が安置される。 |
妙見寺 | 赤穂市坂越1307-1 |
| 寺伝によれば8世紀中期、行基を開山として創建されたという。 当初観音堂は妙見山山頂に建てられていたが、1659年に台風で半壊したために中腹の現在地(龍泉坊跡地)に移建された。山号は宝珠山、本尊は如意輪観世音菩薩である。通称は妙見寺観音堂。「太平記」に登場する児島高徳ゆかりの寺として知られる。 |
法厳寺 | 伊丹市中央 |
| 行基の開基で、迎接山昆陽院と号する。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
昆陽寺 | 伊丹市寺本 |
伊丹七福神 | 行基の開基。荒野五十町四方の地を勅許を得て引率の三六客の氏族を分処し、庄司・村主として開いて昆陽庄と名付けた中心にこの寺を建てた。(733) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
正覚院寺 | 伊丹市寺本 |
伊丹七福神 | 天平年間(729〜749)僧行基の開祖と伝えられる |
大空寺 | 伊丹市野間 |
伊丹七福神 摂津国八十八ケ所第六十三番霊場 |
聖武天皇の御代(724〜749)、行基によって創建されたと伝えられる。本尊は聖観世音菩薩。 |
安楽院 | 伊丹市千僧 |
伊丹七福神 | 当山は人皇四十三代元明天皇御宇、和銅六年の創建にして聖武天皇叡旨に因り勅願所と成し給ふ。行基菩薩、畿内に四十九院を建立し、その願を発し給う処を御願塚と称し、当院は其の一院にして、往昔には七堂伽藍を構成された古刹なり。 |
妙宣寺 | 伊丹市大鹿 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
了福寺 | 伊丹市南野4丁目 |
| 天平時代に行基が昆陽池その他の池を造るために伊丹に来たとき、道場として建てたと伝えられている。 |
信楽寺 | 豊岡市中陰町 |
| 行基の草庵創設による。(729〜749) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
末代山 妙楽寺 | 豊岡市妙楽寺 |
| 神野山 福祥寺とも。神亀3年(726)行基菩薩による開基。 |
進美寺 | 豊岡市(旧城崎郡)日高町赤崎 |
| 行基の開創。(706) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長楽寺 | 豊岡市(旧城崎郡)日高町上石 |
| 行基の開基。(729) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
観音寺 | 豊岡市(旧城崎郡)日高町観音寺 |
| 本尊の聖観音像は行基作とされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
中照山 日圓寺 | 綾部市井根町寺の段34 |
| 天平19年(747)行基の開創と伝える。 |
新宮山 満福寺 | 養父市 |
| 緑起によれば、天平年間に行基菩薩によって開基された。弘仁年中、弘法大師が真言蜜教の道場とされ、安産の秘符を留めおかれて以来、安産祈願のお寺として名を馳せている。 |
高照寺 | 養父市八鹿町高柳 |
| 元正天皇の養老4年(720年)行基菩薩53歳の時の開基と云う (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
山路寺 | 養父市大屋町山路 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宝蔵寺 | 加古川市別府町本町 |
| 行基の草庵創設による。(729〜749) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
浄土寺 | 小野市浄谷町 |
| 聖武天皇の勅により行基が開き、重源が再興。広渡寺のあととされている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
萬勝寺 | 小野市萬勝寺町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東光寺 | 三木市(旧美嚢郡)吉川町福吉 |
| 寺伝によれば奈良時代、聖武天皇の時代の神亀年間(724年〜728年)、行基により開創されたという。桜と紅葉の名所。高野山真言宗の名刹。「小屋寺」の通称は伊丹の昆陽寺との関連性によるものかと推される。 |
青龍寺 | 三田市福島 |
| 開基は僧行基。畿内49院の1つと伝えられ、真言宗東寺末であったが近世に入り曹洞宗に改めた。 |
清水寺 | 加東市(旧加東郡社町)平木 |
西国三十三か所霊場 | 聖武天皇の勅命により行基が大講堂を建立し、本尊の十一面千手観音を祀った。(725) 創建はインドの高僧法道仙人。 |
酒見寺 | 加西市北條町北條 |
新西国霊場第二十九番 加西西国三十三か所霊場第三十三番 | 酒見明神の神託により行基が開いた。聖武天皇の勅願所となり、公田四〇町歩を下賜されて酒見神社の別当寺となる。御本尊は十一面観世音菩薩。(746) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
一乗寺 | 加西市坂本町 |
加西西国三十三か所霊場第二十六番 | 行基も訪れたとされている。(?年) 創建はインドの高僧法道仙人。(空鉢仙人とも呼ばれていた)。御本尊は聖観世音菩薩。 |
瑠璃光山 國府寺 | 加西市殿原町37 |
加西西国三十三か所霊場第二番 | 伝えによると奈良時代の高僧行基菩薩が当地方を巡錫された折りの創立と云う。その後建久年間(290年頃)栂尾の明恵上人によって再興。現在の本堂は弘化五年(1848年)の改築。 御本尊:薬師如来・日光月光両菩薩・十二神将附随 |
安生山 大膳寺 | 篠山市篠山町西岡屋 |
| 神亀年間(724〜729)の創建で、ご本尊の十一面観音菩薩立像は行基作という。 |
薬王山 西光寺 | 篠山市畑市 |
| 『篠山領地志』によると、天平3年(731)行基が開創して、自ら刻んだ薬師如来像を本尊とし、ほかに五仏を置いた。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宝珠山 如意寺 | 京丹後市久美浜町 |
関西花の寺二十五ヶ所第七番 | 天平2年(730)に行基が開いたと言われる。言い伝えによると、行基がこの地に滞在していた時、山頂から火が出て海に入り、さらに海から火が出て山に登るという不思議な現象が起こった。そこで、その火が出入りした所に網を投げ入れたところ、如意宝珠の舍利塔が見つかったため、行基はここに伽藍を立て、宝珠山 如意寺と名付けたと伝えられている。 |
宝積禅寺 | たつの市(旧揖保郡)揖保川町大門 |
| 天平年間(729〜749)に諸国を巡遊していた行基が開基したものといわれています。本尊の十一面観世音菩薩は、樟の一本造りで行基作と伝えられています。また、境内にある宝篋印塔は、完形であれば国宝級です。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
円融寺 | たつの市(旧揖保郡)御津町岩見稲富 |
播磨西国霊場第八番 | 行基が勅を受けて創建。本尊十一面観音仁王門の金剛力士像は萩の大木を行基が刻んだものといわれる。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
満願寺 | 宍粟市(旧宍粟郡)波賀町安賀 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
西方寺 | 宍粟市(旧宍粟郡)千種町室 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
円明寺 | 朝来市(旧朝来郡)和田山町宮 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
鹿園寺 | 朝来市(旧朝来郡)山東町 |
| 本尊の薬師如来像は行基作とされている。(?年) |
円照寺 | 朝来市(旧朝来郡)山東町矢名瀬 |
| 経塔山と号し、行基の旧跡とされている。本尊の薬師如来像は行基作とされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
十九山 達身寺 | 丹波市(旧氷上郡)氷上町清住 |
| 行基の開創とされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
神池寺 | 丹波市(旧氷上郡)市島町 |
| 行基を始め、高僧・貴人の寄進が多い。養老2年(718)に開かれた聖武天皇の勅願所。 |
覚王寺 | 淡路市(旧津名郡)津名町下司 |
| 聖武天皇が東大寺造営に際し、庶民守護のため行基に勅し、日本最初の地である淡路に寺を作った。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宝生寺 | 淡路市(旧津名郡津名町)里326 |
淡路島七福神めぐり | 行基の開創で、本尊の日限地蔵菩薩は行基作とされている。(742) 淡路島七福神めぐりでは寿老人が祀られている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
放光山 月山寺 | 淡路市(旧津名郡)東浦町釜口上畠 |
淡路西国三十三ヶ所第三十番 | 山頂のお堂に祭る聖観音は行基の作と伝えられており、「花さかせ観音」の愛称で親しまれている。妙勝寺の奥の院。 |
栗村山 常隆寺 | 淡路市(旧津名郡)北淡町久野々 |
淡路西国三十三ヶ所第三十一番 | 本尊は十一面千手観音菩薩像は、行基が諸国巡錫で摂津国摩耶山にきたとき、この山に光がさしているのを見て、ここに登り栗の大木を刻んで作ったと伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
菅相寺 | 洲本市(旧津名郡五色町) |
| 空海または行基の開基とされている。(?年) |
平栖山 長林寺 | 洲本市(旧津名郡五色町)都志万才 |
淡路西国三十三ヶ所第十八三番 淡路島七福神めぐり | 天平9年(737)に行基による創建とされている。創建時には七堂伽藍を備える大寺だったと伝え、塔頭十二坊があったといわれる。その後廃れるが、本高上人が再興。本尊は十一面観音菩薩像。淡路島西部の播磨灘に面する。淡路島七福神めぐりでは福禄寿が祀られている。 |
栄福寺 | 南あわじ市(旧三原郡三原町)榎列掃守1068 |
淡路島十三仏霊場第二番 淡路四十九薬師結願所 淡路西国第十三番 淡路四国八十八ヶ所第二十七番 | 行基の開山とされている。薬師如来は行基作と伝えられている。一時は荒廃したが、中興の祖・宥算により再建。現在の寺院は2001年11月に再建したもの。 |
西方山 岡山寺 | 南あわじ市(旧三原郡)三原町榎列掃守 |
淡路西国三十三ヶ所第十三番 | 行基による草創とされている。 |
薬王寺 | 南あわじ市(旧三原郡)南淡町筒井 |
| 行基の開基で、本尊の薬師像は行基作とされている。(729〜749) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
万勝寺 | 南あわじ市(旧三原郡)南淡町阿万上町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
松帆山 感応寺 | 南あわじ市(旧三原郡)西淡町松帆古津路 |
淡路西国三十三ヶ所第十四番 | 天平年間(729〜749)行基が巡錫の時、倭文(緑町)の松尾山に一寺を建立したのが始まりとされている。 |
天沢寺 | 川辺郡猪名川町木津字寺垣内 |
| 行基がここに楊津院を建立し、のち多田満仲が帰依した。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
金蔵山 金蔵寺 | 多可郡多可町加美区(旧加美町)的場 |
| 当山はその昔、播磨国笠形山に湧出した身の丈僅か一寸八分の黄金仏薬師如来が、熊野権現と共に当山に移られたのを、大和大峯山の役行者が御仏のお告げを受け和銅年間に来山され開山、その後、行基が天平2年(730)に登山され、この黄金仏を拝して自ら等身大の仏像を刻んでこの尊像を胸に安置し、里人に財施を請うて本堂を建立された。爾来、金蔵山金蔵寺と称するようになったと伝えられている。その後、天台の慈覚大師が来山、再興された。 |
安海寺 | 多可郡多可町八千代区(旧八千代町) |
| 白雉年間にインドの高僧法道仙人が開き、のち行基が堂塔を建てる。(?年) |
福王山 観音寺 | 多可郡多可町中区(旧中町) |
| 神亀2年行基菩薩の開基と伝える。 |
円光寺 | 加古郡稲美町中村 |
| 天平13年(741)行基による開基。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
白水寺 | 赤穂郡上郡町尾長谷 |
| 行基が宝珠寺として開基し、のちに空海が山から泉が出ることによって泉寺と改名し、さらに和泉式部が「泉」の字を分けて「白水」寺とした。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
富満寺 万勝院 | 赤穂郡上郡町(富満高原山頂) |
| 約1250年前、行基の開基と伝えられている。 |
太山寺・瀧谷 | 赤穂郡上郡町 |
| 行基らによって開かれた。数多くの寺宝を残す寺院。 |
相応寺 | 佐用郡佐用町上石井 |
| 行基の開基で、もとは研山と号した。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
船越山 南光坊 瑠璃寺 | 佐用郡佐用町(旧南光町)船越(国定公園内) |
新西国三十三観音霊場第三十三番 播磨西国三十三箇所観音霊場第十一番 | 寺伝では神亀5年(728年)、聖武天皇の勅願寺により行基が開創したと伝える。南北朝時代に覚祐を開山として赤松則祐により再興された。 創建以来の修験道の行場としても有名である。 本尊は千手観世音菩薩。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
正蓮庵 | 佐用郡佐用町庵 |
| 行基の作と伝えられる本尊の阿弥陀如来像がある。(吾勝速日神社横) |
亀居山 大乗寺(応挙寺) | 美方郡香美町(旧城崎郡香住町)森 |
| 天平17年(745)、開基行基菩薩自ら聖観世音立像其他を彫刻して本尊となし給う。平安期、慈覚大師円仁は、十一面観世音立像一を制作して当山に留め給う。 |
大乗寺 | 美方郡香美町(旧城崎郡香住町)森 |
| 行基の開基で、本尊の聖観音は行基作とされている。(746) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長谷寺 | 美方郡香美町(旧城崎郡香住町)無南垣 |
| 聖武天皇の勅願により行基が開創し、大和長谷寺観音と同木異体の聖観音を作って本尊とした。もと安国寺とされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長楽寺 | 美方郡香美町村岡区(旧美方郡村岡町)川合 |
| 行基の開創とされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
善性寺 | 美方郡香美町村岡区(旧美方郡村岡町)寺河内 |
| 行基の開基とされている。もと同町の金坑にあったのを、廃坑にともなって現在地に移した。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
相応峰寺 | 美方郡新温泉町(旧美方郡浜坂町)清富 |
| 行基の開創で極楽寺といった。本坊の十一面観音は行基作とされている。(738) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |