奈良県 |
西大寺 | 奈良市西大寺芝 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
唐招堤寺 | 奈良市五條町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
大安寺 | 奈良市大安寺町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
新薬師寺 | 奈良市高畑町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
元興寺 | 奈良市中院町 |
| 極楽坊(曼荼羅堂)に行基葺きの丸瓦がある。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
崇徳寺 | 奈良市大豆山町 |
| 寺宝の薬師像は行基作とされている。(?年) |
多聞院 | 奈良市三碓町 |
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秋篠寺 | 奈良市秋篠町 |
| 本尊の薬師如来は行基作とされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
西方寺 | 奈良市油阪町 |
| 行基が多聞山に創建し、のち多聞山城の築城により移転。(724〜729) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
喜光寺 | 奈良市菅原町 |
| 行基終焉の地。本尊の薬師三尊像は行基作とされている。菅原寺。本堂は東大寺大仏殿のモデルとなったと伝わる。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東大寺 | 奈良市雑司町 |
| 行基は大仏建立に尽力する。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
霊山寺 | 奈良市中町 |
| 推古天皇の右大臣小野富人が薬師如来をまつり、行基がインド僧菩提僊那とともに聖武天皇の勅願により創建。施福院のあととされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
地蔵院 | 奈良市中町 |
| 大本山霊山寺の塔頭で、行基の学問所とされている。(737) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
 | 奈良市西紀寺 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
薬師寺 | 奈良市西ノ京町 |
| 師位僧(五位以上の官人と同等の上級官僧)と認められる。のち、聖武天皇に戒を与える。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
般若寺 | 奈良市般若寺町 |
| 勅により行基が堂塔を造営し、十三重塔を作る。(736) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
不動院 | 大和高田市本郷町 |
| 聖徳太子の建立で、光明皇后が再建し、行基を導師として仁王般若経を論した。のち空海も留錫。柳金輪山証菩提寺という。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
泰楽寺 | 大和郡山市矢田町岡 |
| 融通念仏宗、多聞山と号す。天平9年(737)行基70歳の時、頭施院・尼院を建てたのが始まりで行基49院の1つであったといわれている。寛文12年(1672)に僧智海が、融通念仏宗の寺として中興し現在に至っている。御本尊は木像阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩立像。 |
善福寺 | 天理市勾田町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
大和桃尾山 大親寺 | 天理市滝本町693 |
| 寺伝によると和銅年中に、義淵により開基。その後、行基が伽藍を整備したと伝える。 そして、空海が再興し、真言密教の道場となり、真言宗桃尾山蓮華王院龍福寺と号した。 最盛期には寺領100石、16坊舎を有する大伽藍となるが、1868年(慶応4年)閏4月15日廃仏毀釈令により一旦断絶する。その後、行基作の石仏、不動明王像の霊験があり、大正7年7月、龍福寺の阿弥陀堂跡地に不動堂を建立し、大和桃尾山大親寺と号す。御本尊は釈迦牟尼仏。 |
安楽寺 | 橿原市葛本町 |
| 境内に行基堂がある。(?年) |
長谷寺 | 桜井市初瀬 |
| 天武天皇の勅により道明が開基、のちに行基を導師として本尊の開眼供養を行う。(734) |
橋本院(高天寺) | 御所市高天 |
| 行基が高天山に登って修行したので人々は高天上人と称し、この事が朝廷に伝わり勅命により宝殿を増構し、本尊の十一面観音像を刻んだとされている。(718) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
来迎院 | 御所市竹田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
九品寺 | 御所市楢原 |
| 行基の開基で、戒那千坊の1つとされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
医王山 船宿寺 | 御所市五百家 |
| 神亀年間に行基が夢で、船形の岩の上に薬師如来を祀るよう告げられ開祖。 |
満願寺 | 御所市玉出377 |
| 行基菩薩の開基と伝わり、のちに弘法大師が草庵を結び「玉手院」と号した。慶長3年(1598)に九誉上人が中興。古代の豪族葛城襲津彦の孫・玉田宿禰が住んでいた地で、満願寺前は以前、「玉田(たまんだ)」と称した。浄土宗知恩院派の寺院。御本尊は阿弥陀如来坐像。 |
竹林寺 | 生駒市有里町 |
| 行基の墓寺。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
円福寺 | 生駒市有里町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
輿山往生院 | 生駒市有里町 |
| 行基の遺言により、その遺体を焼き、遺骨の一部を葬ったのがこの惣墓の丘頂にある往生院であると言われている。本尊は行基菩薩坐像。正元元年(1259)銘の宝篋印塔は県内最古。 |
長弓寺 | 生駒市上町 |
| 聖武天皇に随行中に死亡した真弓長弓の死をいたんで、行基に寺をつくらせた。731年に行基は自作の十一面観音を安置した。(724) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宝憧寺 | 生駒市小平尾町 |
| 行基の開創とされている。(708) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
法楽寺 | 生駒市高山町 |
| 勅により行基が開く。(749) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長命寺 | 生駒市西松ヶ丘 |
| 聖武天皇の創立で、行基が開基。(728) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
平岡山 極楽寺 | 葛城市(旧北葛城郡)新庄町平岡 |
| 寺伝によると、行基菩薩の開基にかかるという。もとは真言宗であったらしい。延享五年(1748)の建立。元禄年間に(1688〜1704)火災に遭遇。近年鐘楼改築に際し、応永元年五月吉日建立の旨を記した棟札が発見されたので、本堂もその頃の建築にかかると推測される。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
布施山 浄願寺 | 葛城市(旧北葛城郡)新庄町寺口 |
| 僧行基・あるいは文徳天皇の開基と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
医王山 置恩寺 | 葛城市(旧北葛城郡)新庄町寺口 |
| 寺伝によると、神亀年間、行基菩薩の開基で、文徳天皇の勅願所であった。その頃は数百の伽藍が立ち並ぶ巨刹であったが、元亀年中布施左京之進行盛の二塚城が陥ちた時に兵火にかかり諸堂焼失。その後桑山藩領となって、田園を寄進し燈明料とした。この寺は、平岡の極楽寺の北の寺口という集落にあり、戦国時代の興亡の中で淋しく一族の幕を閉じた布施族と運命をともにした寺である。通称「布施の薬師」。 |
観音寺 | 葛城市(旧北葛城郡)新庄町北花内 |
真言宗南部倭西国第二十四番札所 | 寺伝によると、神亀四年行基菩薩の開基、光明皇后より花内山観音寺の寺号を賜ったという。 |
神野寺 | 山辺郡山添村大字伏津 |
| 勅により行基が建立されたと伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
法隆寺 | 生駒郡斑鳩町 |
| 中門前に行基御聖跡、峯薬師の石碑がある。(?年) 西院伽藍北西の小高い丘にある八角造りの西円堂は、奈良時代に橘夫人の発願によって行基菩薩が建立したと伝えられている。(現在の建物は鎌倉時代に再建されたもの。) |
金勝寺 | 生駒郡平群町椣原53 |
| 天平18(746)年、行基菩薩の創建と伝えられる古寺。たび重なる戦渦で焼失と再建を繰り返す。本堂後方の岩壁に刻まれた14体の磨崖仏(室町中期の作)で有名。 |
安養寺 | 磯城郡田原本町八尾 |
| 行基の開基とされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
教安寺 | 磯城郡田原本町大安寺 |
| 行基の開基とされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
薩垂山 成就院 大願寺 | 宇陀郡大宇陀町 |
室生八十八ケ所札所 宇陀三十三ケ所札所 | 行基による開基。開山は聖徳太子で、蘇我馬子に命じて建立されたと伝えられている。 |
金峯山寺(蔵王堂) | 吉野郡吉野町吉野山 |
| 役行者の開創。行基が改修したとされている。 |
大悲院 | 吉野郡西吉野村平沼田 |
| 行基の開基とされている。本尊の大日如来は行基作とされている。覚王山 大日寺ともいう。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
和歌山県 |
報恩護寺 | 和歌山市加太町大川 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
利生護国寺 | 橋本市隅田町下兵庫 |
| 奈良時代に聖武天皇の命により行基が建て、鎌倉時代に再建されたと伝えられている。本尊は漆箔大日如来坐像。真言律宗の古刹。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
下畑国分寺 福田庵 | 田辺市上秋津下畑 |
西国三十三所南紀霊場第二十四番 | 観音像は行基の作と伝えられている。千光寺の奥の院。御本尊は千手観音。 |
千光寺 | 田辺市上秋津 |
| 言い伝えによれば、和気清麻呂は京都と岡山、そして和歌山の三つの高雄山に寺を建て、飼っていた鷹の死を悼み、骨を埋めて弔ったのだといわれています。本尊は観世音菩薩で、行基の作と伝えられています。 |
無量光院 | 伊都郡高野町高野山 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
法華山 普門院 観音寺 | 伊都郡高野町伏原 |
厄除伏原観音霊場 紀井之国十三佛霊場 ぼけ除け二十四地蔵尊第八番 紀井西国二十七番 | 天平年間(729〜749)行基が本尊の霊徳を慕い、自ら1尺2寸の観音像を刻み、古霊を収めて本堂を中興した。開基は聖徳太子で、堂宇を創建、一寸八分の本尊(十一面観音)を安置。 |
深専寺 | 有田郡湯浅町湯浅 |
| 行基の開基の頃は「海雲院」と称したといわれている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
日拝山 行基院 法音寺 | 有田郡有田川町(旧金屋町)岩野河 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
道成寺 | 日高郡川辺町鐘巻 |
新西国三十三観音霊場第五番 | 開基は義渕僧正で、当初は法相宗であったが、江戸時代に入って天台宗となり現在に至る。梅原氏の「海人と天皇」によると、義淵作の千手観音と行基作の千手観音があるとのことで、義淵と行基の作った像は背中合わせに安置されており、また、行基作の脇侍仏は日光・月光菩薩であるとされている。大宝元年(701)文武天皇勅願寺として紀大臣道成卿が建立した、8世紀初頭の法隆寺式伽藍配置の、県下では最古の寺。 |
歓喜寺 | 西牟婁郡中辺路町栗栖川 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宝勝寺 | 西牟婁郡日置川町矢田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |