香川県 |
神毫山 大宝院 一宮寺 | 高松市一宮町 |
四国八十八か所霊場第八十三番 | 開基は義淵僧正(701)で大宝院と称し、諸国に一宮が建てられた時、行基が堂塔を修築し、田村神社の第一別当となり、寺名が一宮寺に改められた。 |
香西寺 | 高松市香西西町 |
四国別格二十霊場第十九番 四国三十六不動霊場(結願寺) | 奈良時代に行基が開創したとされている。(708〜749?) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
無量寿院 | 高松市御坊町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
瑠璃寺 | 高松市西植田稗田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
弘憲寺 | 高松市錦町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
地蔵寺 | 高松市番町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東福寺 | 高松市番町1-4-3 |
さぬき三十三観音霊場第一番 | 行基による開基。古くは実蔵坊と言い、市内浜ノ丁の弘憲寺境内の辺り、松平藩御船蔵の西側にあったらしい。御本尊は聖観世音菩薩。 |
白牛山 千手院 国分寺 | 高松市(旧綾歌郡)国分寺町国分 |
四国八十八か所霊場第八十番 | 聖武天皇の勅願で行基が自作の十一面千手観音を安置して開創。(741年) |
六万寺 | 高松市(旧木田郡)牟礼町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
最明寺(萩寺) | 高松市(旧香川郡)塩江町大字安原下 |
| 大宝元年、行基が本尊の薬師如来像を刻み、伽藍を建立して安置し、如意輪寺と称した。後に最明寺と改められた。 |
天福寺 | 高松市(旧香川郡)香南町 |
| もとは清性寺といい、奈良時代に行基によって建てられた。 |
妙智山 正覚院 | 丸亀市本島町泊 |
| 天平年間(724〜749)、聖武天皇の頼願により行基菩が聖観世音菩薩を刻んで本尊とした。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
正因山 実相院 妙法寺 | 丸亀市富屋町 |
| 天平年間(729〜749)行基による開山。 |
宝珠山 延命院 香古寺 | 丸亀市土器町西 |
| 天平年間(729〜749)に行基全国行脚の際の開基で、行基自らが地蔵菩薩像を彫刻し、本尊としたという。 |
寶光寺 | 丸亀市土器町西五丁目 |
さぬき三十三観音霊場第二十七番 | 奈良時代、行基菩薩が開創。法光坊と称し、後、弘法大師が来錫。御本尊は十一面観世音菩薩。 |
三谷寺 | 丸亀市(旧綾歌郡)飯山町東坂元字三谷中 |
さぬき三十三観音霊場第二十六番 | 天平2年(730)聖武天皇の勅願所として行基が創建、本尊の十一面観世音菩薩も行基作と伝えられている。後、弘法大師が再興し、八葉山弥勒院施無畏寺と号した。後宇多天皇の御代には、その勅願所となり、宝珠山三谷寺と改められた。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
金華山 高照院 天皇寺 | 坂出市西庄町天皇 |
四国八十八か所霊場第七十九番 | 寺伝によると、天平年間に金山の中腹に、行基菩薩によって開創され、弘法大師によって荒廃した堂舎を再興されている。御本尊は十一面観世音菩薩。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
善通寺 | 善通寺市善通寺町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
萬福寺 | 善通寺市吉原町2937 |
さぬき三十三観音霊場第二十四番 | 天霧山南麓に位置し、開創は不詳だが、行基菩薩が聖観音と馬頭観音を刻んで本尊として安置されたとある。御本尊は聖観世音菩薩・馬頭観世音菩薩。 |
補陀洛山 志度寺 | さぬき市(旧 大川郡)志度町志度 |
四国八十八か所霊場第八十六番 | 藤原北家の祖 房前に伴って志度浦に来て、寺名を「死度寺」から「志度寺」に改めた。開基は藤原不比等。御本尊は十一面観世音菩薩。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
福聚山 世尊院 圓通寺 | さぬき市(旧 大川郡)志度 |
さぬき三十三観音霊場第三番 東讃西部二十一ヶ所霊場第五番 | 行基による開基。当時は、西林坊と呼ばれ、志度寺の塔頭七坊の一つであった。御本尊は聖観世音菩薩。 |
補陀落山 観音院 長尾寺 | さぬき市(旧 大川郡)長尾町西 |
四国八十八か所霊場第八十七番 | 行基が楊柳で聖観音像を刻み、小堂を建てて安置したのが始まりとされているが、それ以前に聖徳太子も訪れているとされている。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
紫雲山 宝蔵院 極楽寺 | さぬき市(旧 大川郡)長尾町東 |
| 天平元年(729年)行基により石田東(旧寒川町)に開基され、天長元年(824)東讃四郡(寒川、大内、三木、山田)の根本道場、勅願所となり、宝蔵院と号しました。その後焼失して弘仁12年(821)弘法大師により鴨部東山(旧志度町)に再興され、それも延元元年(1336)に焼失し、再度現在地に再興されました。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
医王山 遍照光院 大窪寺 | さぬき市(旧 大川郡)多和兼割 |
四国八十八か所霊場第八十八番 | 行基の開基。(717) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
西教寺 | さぬき市(旧 大川郡)大川町富田東 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
実相寺 | さぬき市(旧 大川郡)津田町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
若王寺 | 東かがわ市(旧 大川郡)白鳥町与田山 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
醫王山虚空蔵院興田寺 | 東かがわ市(旧 大川郡)大内町中筋 |
四国八十八箇所総奥の院 さぬき七福神寿老人 | 天平11年(739)行基を開山として醫王山薬王寺薬師院の号で法相宗の寺院として創建されたといい、後に空海により宗派を真言宗、寺号を神宮寺に改められたという。本尊:薬師如来 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
釈王寺 | 東かがわ市(旧 大川郡大内町)大谷329-2 |
さぬき三十三観音霊場第五番 | 神亀二年行基菩薩が開基。延暦二十二年弘法大師が来錫して、本尊を刻み、伽藍を整備し、医王山蓮光院吉祥寺と号す。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
極楽寺 | 観音寺市粟井町280 |
さぬき三十三観音霊場第十六番 | 養老五年行基菩薩が開基。現在の東約二キロメートルの菩提山に、山寺としてあった。天長元年弘法大師が毘沙門天像を刻んで、守護仏として安置。御本尊は如意輪観世音菩薩。 |
満願寺 | 観音寺市豊浜町姫浜1376 |
さぬき三十三観音霊場第十七番 | 奈良時代、行基菩薩が開基。初めは、大野原町五郷の田野々地区に建てられて、山寺としてあった。御本尊は聖観世音菩薩。 |
地蔵寺(嫁楽観音) | 三豊市高瀬町上勝間字地蔵原 |
さぬき三十三観音霊場第二十三番 | 行基による開基。御本尊は准胝観世音菩薩・地蔵菩薩。 |
平照寺 | 三豊市(旧三豊郡)高瀬町上勝間 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
剣五山 千手院 弥谷寺 | 三豊市(旧三豊郡)三野町大見 |
四国八十八か所霊場第七十一番 | 聖武天皇の勅願で行基が本尊の阿弥陀如来を刻んで安置。(725) |
常光寺 | 小豆郡小豆島町(旧内海町)苗羽甲 |
小豆島八十八ヶ所霊場第八番 | 行基菩薩によって開かれ、御本尊の薬師如来も刻まれたという。(?年) |
栄光寺 | 小豆郡小豆島町(旧内海町)安田 |
小豆島八十八ヶ所霊場第十三番 | 薬師堂には行基菩薩作と云われる薬師如来が祀られている。(?年) |
清滝山 | 小豆郡小豆島町(旧内海町)安田 |
小豆島八十八ヶ所霊場第十四番 | 当山は海抜500メートルの高山で、小豆島霊場最高の霊地で、奇巌が屏風の如くそそり立ち、その下に二窟あり、一 は慈悲窟にて安産延命地蔵菩薩(伝行基作)を安置。(?年) |
清見寺 | 小豆郡小豆島町(旧内海町)草壁本町 |
小豆島八十八ヶ所霊場第二十一番 | 行基菩薩の開基。(?年) |
安養寺 | 小豆郡小豆島町(旧内海町)西村甲 |
小豆島八十八ヶ所霊場第二十四番 | 開山は行基菩薩と言われている。(?年) |
阿彌陀寺 | 小豆郡小豆島町(旧内海町)西村水木 |
小豆島八十八ヶ所霊場第二十六番 | 縁起によれば行基によって開かれたと伝えられている。(?年) |
雲海寺 | 小豆郡小豆島町(旧内海町)福田 |
小豆島八十八ヶ所霊場第八十四番 | 行基菩薩が風浪を此の地に避け、不思議の霊瑞を見て智波羅密菩薩の尊像を刻み開基せられる。(729〜748) |
誓願寺 | 小豆郡小豆島町(旧池田町)二面 |
小豆島八十八ヶ所霊場第三十一番 | 縁起によれば、行基菩薩により開創され本尊阿弥陀如来を安置す、弘仁年間弘法大師巡錫の折、此の地に留まり草庵を結び鎮守に妙見菩薩を勧請され、妙見山西蓮院誓願寺と命名さる。(?年) |
愛染寺 | 小豆郡小豆島町(旧池田町)室生 |
小豆島八十八ヶ所霊場第三十二番 | 行基菩薩によって開かれ常楽坊と称した。(729〜748) |
明王寺 | 小豆郡小豆島町(旧池田町)池田 |
小豆島八十八ヶ所霊場第三十七番 | 行基菩薩が四国行脚の途中この島に立寄り、国家安全庶民豊楽殊に島民安全の為悪魔降伏福徳円満を願って一刀三礼にて彫刻し御本尊の左右に毘沙門天と弁財天が脇立として小堂に安置されている。(?年) |
多聞寺 | 小豆郡土庄町肥土山甲 |
小豆島八十八ヶ所霊場第四十六番 | 寺伝によれば行基菩薩によって開創される。(?年) |
栂尾山 | 小豆郡土庄町肥土山 |
小豆島八十八ヶ所霊場第四十七番 | 行基菩薩が開創。栂尾山の近くには大師堂、秋葉大権現がおまつりしてあり、又丁分ほどさがると水行道場があり、修験の道場として神秘的な霊気がただよっている。(?年) |
毘沙門堂 | 小豆郡土庄町肥土山甲 |
小豆島八十八ヶ所霊場第四十八番 | 行基菩薩により開かれ、御本尊は左甚五郎作と伝わるりっぱな等身大の毘沙門天が安置されている。(?年) |
松林寺 | 小豆郡土庄町伊喜末 |
小豆島八十八ヶ所霊場第六十八番 | 寺伝では、行基菩薩の開創。始め長現寺と号した。 (738) |
円満寺 | 小豆郡土庄町黒岩 |
小豆島八十八ヶ所霊場第七十四番 | 当山の縁起によれば、行基菩薩の開基になり、その当時は慈恩寺谷にあり、寺名も慈恩寺と称せし。(?年) |
大聖寺 | 小豆郡土庄町馬越甲 |
小豆島八十八ヶ所霊場第七十五番 | 行基苦薩によって開かれたとつたえられている。(?年) |
金剛寺 | 小豆郡土庄町屋形崎甲 |
小豆島八十八ヶ所霊場第七十六番 | 行基苦薩によって開かれたとつたえられている。(?年) |
歓喜寺 | 小豆郡土庄町北浦見目甲 |
小豆島八十八ヶ所霊場第七十七番 | 寺は行基菩薩によって開かれ、御本尊如意輪観世音も行基菩薩の作と伝える。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
観音寺 | 小豆郡土庄町大部甲 |
小豆島八十八ヶ所霊場第八十番 | 開基は行基菩薩。(?年) |
長法寺 | 仲多度郡琴平町榎井柳の鼻 |
さぬき三十三観音霊場第十二番 | 天平十二年聖武天皇の勅命によって行基菩薩が開創し、白鷺山金蓮院超法寺と号していた。弘仁十四年弘法大師が来錫して、不動明王を刻み、七堂伽藍を建立された。御本尊は千手観世音菩薩。 |
法道寺 | 綾歌郡綾上町山田下 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
光貴寺 | 綾歌郡綾上町(旧綾南町)滝宮1032 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
菩提院 | 綾歌郡綾上町(旧綾南町)滝宮 |
新四国曼陀羅霊場第十二番 | 奈良時代に行基が開創したとされている。(708〜749?) |
聖通寺 | 綾歌郡宇多津町2805 |
さぬき三十三観音霊場第三十一番 | 天平年間釈迦院として行基菩薩が開創。弘仁年間弘法大師が当地に巡錫し、千手観音を自刻して安置。貞観十年理源大師が、中興開山として、現在の寺号に定められる。その時、海中より出現した薬師如来を、本尊として祀る。御本尊は千手観世音菩薩・薬師如来。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
仏光山 広徳院 郷照寺 | 綾歌郡宇多津町西町 |
四国八十八か所霊場第七十八番 | 行基が本尊の阿弥陀如来像を安置。(725) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
徳島県 |
密巌寺 | 徳島市不動本町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
薬王山 国分寺 金色院 | 徳島市国分町矢野 |
四国八十八か所霊場第十五番 | 行基の開創で本尊の薬師如来も行基作。明王堂には偸伽大権現、秋葉大権現、白山大権現、大聖歓喜天が祀られている。(?年) |
井戸寺 | 徳島市国分町井戸 |
四国八十八か所霊場第十七番 | 聖徳太子作の本尊七仏薬師像の脇仏の日光・月光菩薩像は行基作とされている。(?年) |
大栗山 大日寺 | 徳島市一宮町西丁263 |
四国八十八か所霊場第十三番 | 寺伝によれば、弘仁6年(815年)に空海がこの付近の森で護摩修行をしていると大日如来が現れてこの地が霊地であるから一寺を建立せよと告げた。そこでその大日如来の姿を刻み、堂宇を建立して本尊として安置したという。天正年間(1573年〜1592年)に長宗我部元親の兵火によってすべて焼失したが、徳島藩3代藩主蜂須賀光隆によって再建された。その後阿波一宮神社の別当寺となり、江戸時代には一宮神社が札所とされていたようである。明治の神仏分離によって阿波一宮の本地仏であった行基作といわれる十一面観音を移して本尊とし、大日如来は脇仏とされた。 |
八葉山 東林院 | 鳴門市大麻町大谷字山田 |
四国曼荼羅札所第一番 四国八十八か所霊場番外 | 天平5年(733)行基菩薩を開基にして、高野山真言宗八葉山東林院と称した。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
竺和山 霊山寺(一番さん) | 鳴門市大麻町坂東字塚鼻 |
四国八十八か所霊場第一番 | 天平年間(729〜749)聖武天皇の勅願で行基が開創。(729〜748) |
極楽寺 | 鳴門市大麻町檜担ノ上 |
四国八十八か所霊場第二番 | 行基の開創。(?年) |
立江寺 | 小松島市立江町若松 |
四国八十八か所霊場第十九番 | 聖武天皇の勅願で行基が開創。皇后の安産祈願として小さな金の地蔵菩薩(本尊)を安置。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
恩山寺 | 小松島市田野町恩山寺 |
四国八十八か所霊場第十八番 | 聖武天皇の勅願で行基が開創。本尊の厄除けの薬師如来も行基作。(729〜748) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
願成寺 | 阿波市(旧阿波郡)阿波町字山ノ神 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
真楽寺 | 美馬市(旧美馬郡)脇町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
大瀧寺 | 美馬市(旧美馬郡)脇町西大谷 |
四国別格二十霊場第二十番 | 神亀3年(726)行基菩薩が塩江より登山し、阿讃山脈秀峰に一寺を建立し、阿弥三尊を安置。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
最明寺 | 美馬市(旧美馬郡)脇町猪尾字西上野 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
観音寺 | 美馬市(旧美馬郡)穴吹町三島字三谷 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
蓮華寺 | 三好市(旧三好郡)池田町ハヤシ |
新四国曼陀羅霊場第六十四番 | 奈良時代に行基が開創したとされている。(708〜749?) |
長楽寺 | 三好市(旧三好郡)井川町辻中岡 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
多聞寺 | 阿南市福井町字宮北 |
| 毘沙門堂に行基作という毘沙門天像がある。 |
神宮寺 | 阿南市福井町字大宮 |
| 大宮八幡宮の元別当。もと小谷にあり、一の谷寺と称した。行基菩薩の開基で、弘法大師が再建したといわれる。長宗我部氏に焼かれ、正保年間(1644)に天神坊が移転再建した。御本尊は不動明王。 |
千福寺 | 阿南市見能林町 |
| 見能方八幡社の別当寺。神亀元年(724)に行基が薬師如来を彫って創建したという。御本尊は薬師如来。 |
童学寺 | 名西郡石井町城の内 |
四国別格二十霊場第二番 四国三十六不動霊場第十一番 | 行基の開山とされている。弘法大師が幼い頃、この地で書道や密教の学問を修得されたことから寺号を童学寺と称されている。弘仁6年(815)、再びこの地を訪れ堂宇を整え、薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩、持国天、毘沙門天、歓喜天を刻み安置。 |
薬王寺 | 海部郡美波町(旧日和佐町)奥河内 |
四国八十八か所霊場第二十三番 | 聖武天皇の勅願で行基が開創。(726) |
八坂山 鯖大師本坊 八坂寺 | 海部郡海陽町(旧海南町)浅川 |
四国別格二十霊場第四番 | 行基の開基。 |
金泉寺 | 板野郡板野町大寺 |
四国八十八か所霊場第三番 | 聖武天皇の勅願で行基が開創。(?年) |