| 福岡県 |
| 恵修寺 | 久留米市藤山町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 石垣山 観音寺(石垣観音寺) | 久留米市(旧浮羽郡)田主丸町石垣 |
| 筑後三十三所観音霊場第三番 | 白鳳2年(674)、天武天皇の勅願寺として創立され、和銅元年(708)、行基菩薩が西下し、翌年、七堂伽藍を造営、元明天皇より「観音寺」の勅号を賜った。 |
| 大満寺 | 北九州市小倉北区清水5-10-16 |
| 天正年間(1580)頃、企救郡古川村(現在の小倉南区徳吉)に創建されましたが、元和年間(1620)頃、火災に遭い小倉城内魚町へ移転しました。そして、昭和28年現在地へ再度移転しました。 本尊は、かっては住職一代に一度の御開帳という秘仏で、行基の作とも云われ天正年間に火災にも本尊のみが焼け残ったと云われています。ご本尊は十一面観音(塩買観音)。 |
| 宗生寺(馬頭観音堂) | 宗像市大穂937 |
| 境内に安置されている馬頭観音は行基作とされている。天平9年(737)行基がこの地に居た豪族親娘の話に感動して、かつては海辺にあった大楠に馬頭観音像を彫り、人馬の安全と健康を祈願したと伝えられている。 |
| 無量寿院 | 八女市本町 |
| 天平10年(738)行基による開基。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 天福寺 | 八女市大字馬場 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 光明寺 | 筑後市大字津島 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 国分寺 | 太宰府市国分 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 東光山 瑠璃光院 医王寺 | 古賀市(旧糟屋郡)青柳 |
| 養老2年(718)行基菩薩の創立で、ご本尊は薬師如来、行基の作と伝えられ秘仏として十七年に一度、開帳法要を行い、この時だけご尊像を拝することができる。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 瑠璃光山 行基院 清瀧寺 | 古賀市(旧糟屋郡)薦野 |
| 亀々元年(724年)、丹治峯廷公(柳川藩立花家の祖)が高僧行基菩産を筑後観音寺建立成就して後すぐに招いて建立されたと伝える。御本尊は行基作の薬師如来。 |
| 有木山 霊験寺 | 宮若市(旧鞍手郡)宮田町下有木 |
| 有木の釘抜き地蔵の愛称で知られ、行基が建立した伝説をもつ。 |
| 清水寺 | 宮若市(旧鞍手郡)若宮町黒丸 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 明専寺 | 宮若市(旧鞍手郡)若宮町山口野中 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 普門院 | 朝倉市杷木(旧朝倉郡杷木町)志波 |
| 真言宗の寺で天平19年(747)に第45代聖武天皇の勅願により行基が筑後川畔に創建したと伝えられている。最初は広大普門寺と号していた。本尊の十一面観音菩薩像は奈良時代の亀神元年(724)に行基が作ったとされるもので、国の重要文化財に指定されている。敷地内には聖天堂が立つ。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 如意輪寺 | 小郡市横隈 |
| 孝謙天皇の勅願を受けて、729(天平元)年に行基が建立したと伝えられる寺院で、その本尊である木造如意輪観音立像は、秘仏として厨子の中に祀られており、12年に一度、巳の年に開帳されます。 |
| 亀甲山 長谷寺 | 鞍手郡鞍手町大字長谷 |
| 行基が開基。木造十一面観音立像は平安期の仏像で、また行基の作とも伝えられる。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 大生寺 | うきは市(旧浮羽郡)浮羽町流川 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 国分寺 | 京都郡みやこ町(旧豊津町)国分 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 金華山 鈴熊寺 | 築上郡吉富町大字鈴熊 |
| 寺伝によると、天平年間(734)に豊前の国を中心に悪疫が流行した際、聖武天皇の勅命により行基が鈴熊山で本尊の薬師如来像を彫刻し、疫病平癒の祈顧をして悪疫を退散させたという。後に1堂を建て尊像を安置した。 十一面観音菩薩坐像・宇賀神像・歓喜天立像・増長天立像・多聞天立像・勢多迦童子立像・不動明王坐像が安置されている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 宝蓮寺 | 築上郡築上町(旧築城町)上別府 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 佐賀県 |
| 瑞石山 龍造寺(高寺) | 佐賀市白山1丁目 |
| 和銅四年(711)、行基開山。薬師如来は行基作(本尊は十一面観音。この観音は讃州志度寺からやって来たという)。「聖武天皇の勅願にて楠一本を以て尊像八體を作る」という伝承がある。 |
| 恵日山 宝琳院 | 佐賀市鬼丸町 |
| 寺伝には和銅四年(711)行基菩薩の建立とされ、行基菩薩の墓石が祀られています。中世に佐賀の地頭となった龍造寺家の祈祷寺として、龍造寺家と因縁浅からぬ寺院でした。 |
| 河上山 神通密寺 実相院 | 佐賀市(旧佐賀郡)大和町川上 |
| 和銅5年(712)行基により開山。隣の與止日女神社の神宮寺。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 健福寺 | 佐賀市(旧佐賀郡)大和町川上 |
| 和銅年間(712年頃)に僧行基が開山したといわれています。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 正定寺 | 佐賀市(旧佐賀郡)川副町大字南里 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 法源寺 | 佐賀市(旧佐賀郡)川副町大字福富 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 安楽寺 | 唐津市呉服町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 専称寺 | 多久市多久町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 桐野山 妙覚寺 | 多久市南多久町桐野 |
| 天平13年(741)聖武天皇の勅願による行基の開基という伝承がある。西行が「旅寝」した折りの句が伝えられている。御本尊二体のうち一体、「聖観世音菩薩」は行基作(もう一体は慈覚大師作、不動明王)。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 仁比山 地蔵院 | 神埼市神埼町仁比山 |
| 地蔵院は明治以前まで仁比山神社の神宮寺であった護国寺の名残を留める唯一の寺で、天平元年(729)聖武天皇の勅願によって行基によって草創された護国寺に源を発する。本尊は千手観世音菩薩(行基作) |
| 大聖寺 | 武雄市(旧杵島郡北方町大字)大崎 |
| (日本三大不動尊の1つ) | 和銅2年(708)に行基が開山。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 常在寺 | 嬉野市(旧藤津郡塩田町)馬場下甲下野辺田 |
| 和銅元年(708)の開創で開基は行基、中興開山は増秀。 |
| 生蓮寺 | 嬉野市(旧藤津郡塩田町) |
| 御本尊の薬師如来像は行基作と伝えられている。 |
| 大興善寺 | 三養基郡基山町園部 |
| 養老元年(717)行基により開かれた。本尊は行基の作と伝えられる木造十一面観音像で秘仏。境内には町の重要文化財に指定された宝篋印塔がある。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 竹崎観世音寺 | 藤津郡太良町大浦竹崎248 |
| 九州西国三十三ヶ所観音霊場第二十二番 | 和銅2年(709)行基による創建。本尊千手千眼観世音は行基作とされている。「行基菩薩の七観音」のうちの1体。 |
| 長崎県 |
| 萬年山 三宝寺 | 長崎市寺町5-22 |
長崎四国八十八ヶ所霊場第四十七番 長崎西国三十三ヶ所霊場第二十番 | 元和9年(1623)浄土僧の転誉が慈覚大師作と伝えられた矢負の弥陀という阿弥陀如来像を負って長州萩から来崎、教化に努め、長崎奉行長谷川権六の助力で堂宇を建立。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 東雲山 浄安寺(薬師堂) | 長崎市寺町 |
| 長崎四国八十八ヶ所霊場第八十八番 | 脇侍2体の薬師如来のうち、1体は行基作、1体は恵心僧都作と伝えられている。 |
| 円通山 観音寺 | 長崎市脇岬町(旧西彼杵郡野母崎町脇岬) |
| 九州西国三十三ヶ所観音霊場第二十六番 | 和銅2年(709)行基の開基。「行基菩薩の七観音」のうちの1体。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 月桂山 光雲寺 | 長崎市出来大工町 |
| 大宝元年(701)、行基菩薩によって当時の高来郡に開かれた三千坊一乗院の一院で、かつては、彦山の麓にあたる現在の聖母の騎士辺りの“昌源”と呼ばれる地にあった。御本尊は釈迦如来。 |
| 清岩寺(福石観音) | 佐世保市福石町 |
| 九州西国三十三ヶ所観音霊場第二十七番 | 高さ2mの十一面観音像は、諸国行脚の途中にこの地を訪れた行基によって、養老年間(717〜723)に作られたと言われている。その後行基の足跡をたどっていた空海によって清岩寺が創建され、空海が安置したとされる五百羅漢が傍の洞窟にある。「行基菩薩の七観音」のうちの1体。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 岩問山 東漸寺 | 佐世保市中里町250 |
九州八十八ヶ所霊場第七十四番 相浦谷密厳四国霊場第一番 相浦愛宕山愛宕勝軍地蔵尊本寺 | 和銅年間(708年)行基菩薩により開創された岩問山薬師堂を奥の院とし、寛和二年(986年)観海和尚により当地に開基されました。 |
| 医王山 浄漸寺 | 佐世保市上原町510 |
| 奈良時代の養老二年(718)行基菩薩は、東大寺勧進のため全国を巡錫し、速木(現在の早岐)を訪れた折、楠木の霊木で薬師如来を刻み、堂宇を建立したのが浄漸寺の起源とされる。 |
| 石橋山 御橋観音寺 | 佐世保市(旧北松浦郡)吉井町直谷免 |
| 養老年間(717〜724)に行基によって創建されたといわれるが定かでない。行基建立の諫早神社が神仏分離令の際、器具類は竹崎観音寺に運び込まれたとされている。 |
| 長泉寺 | 平戸市前津町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 菩提寺 | 諫早市(旧北高来郡高来町)湯江 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 和銅寺 | 諫早市(旧北高来郡高来町法川名)高来町法川20 |
| 九州西国三十三ヶ所観音霊場第二十三番 | 行基は、九州北部の七ヶ所を訪ね歩き観世音菩薩の木造を七体彫った。その一体と伝えられている。「肥前奇跡集」(佐賀県立図書館蔵書)。御本尊は聖観世音菩薩像。 |
| 観音寺 | 諫早市(旧北高来郡飯盛町)田結118 |
| 九州西国三十三ヶ所観音霊場第二十四番 | 行基は、九州北部の七ヶ所を訪ね歩き観世音菩薩の木造を七体彫った。その一体と伝えられている。「肥前奇跡集」(佐賀県立図書館蔵書)。御本尊は聖観世音菩薩像。 |
| 御手水観音 | 諫早市御手水町 |
| 和銅2年(709年)、諸国巡礼中の行基が開いたとされる。 |
温泉山 大乗院 満明寺 (一乗院 釈迦堂) | 雲仙市(旧南高来郡小浜町)雲仙 |
| 九州西国三十三ヶ所観音霊場第二十三番 | 温泉山縁起という伝承によれば、大宝元年(701年)僧行基は天草から温泉山(雲仙岳)の噴煙を見て温泉山を求法の地と定め、やがて口之津、有家を経て一切経の地に着いた。 |
| 修林寺 | 対馬市(旧下県郡)豊玉町大字会 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 亀井山 東前寺 | 東彼杵郡波佐見町岳辺田郷1102 |
| 寺伝によると、奈良時代の和銅年間(708〜714)に大僧正行基が九州を巡回した折、金屋に一寺を建て「金屋山東前寺」と称したのが始まりとされている。その後6坊12寺が建てられ、東前寺は中央堂として栄えた。寛永6年(1629)に金屋から岳辺田郷平瀬の現在地に移し、寺領14石余が与えられた。境内に亀の形をした岩があり清水がわき出るので、「亀井山東前寺」という。真言宗。 |
| 大分県 |
| 金剛宝戒寺 | 大分市上野丘 |
| 神亀4年(727)行基が聖武天皇の勅命により、荏隈郷(市内古国府)に一宇を建立したことが、当時の開基とされている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 延命寺 | 大分市坂ノ市区細 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 吉祥院・観音院(子安観音) | 大分市大字千歳高城山 |
| 九州西国三十三ヶ所観音霊場第九番 | 開基は「豊陽古事談」によれば、神亀4年(727)に、諸国を遊行中の行基が、衆生教化のため、自ら一刀三礼して刻んだ如意輪観音を奉安したことに始まります。 |
| 龍岩寺 | 宇佐市(旧宇佐郡)院内町大門 |
| 天平18年(746年)、行基によって開山したと言われる。堂内には、行基が一晩で刻んだという阿弥陀如来、薬師如来、不動明王の3体の仏像(重要文化財)が安置されている。 |
| 高塚地蔵(高塚愛宕地蔵尊) | 日田市(旧日田郡)天瀬町高塚 |
| 「高塚縁起」によると、天平12年(740年)に行基菩薩が筑後に下った帰りに高塚に立ち寄り、銀杏の木の下で一心に地蔵菩薩を念じ、御神託があったので、一体の地蔵尊を刻んで一堂を安置した。 |
| 熊本県 |
| 宝華山(別名岩殿山) 雲巌禅寺(岩戸観音) | 熊本市西区松尾町平山589 |
九州西国霊場第十四番 肥後三十三ヶ所霊場第二十番 | 曹洞宗。本尊である四面馬頭観世音菩薩像は行基作(古寺名刹大辞典)。「霊場肥後33カ所」81頁は、本尊とは別に本堂に奉祀される四面観音が伝行基作(行基七観音の1つ)とする。南北朝時代、中国寧波より渡来した元の禅僧・とうりょうえいよにより建立されたと伝えられる。本尊の観音像自体は、寺の建立以前から洞内に安置されていたと言い、世阿弥の謡曲「檜垣」により、平安朝の歌人・檜垣がこの観音を日参したという故事でも知られる。 |
| 長谷寺(清水寺) | 熊本市西区春日4-1-7 |
| 大同年間(806〜810)、坂上田村麻呂の祈願所として六十余州に一寺ずつ建立されたうちの一つとの言い伝えがある。 神仏分離令により藤崎八幡宮と神護寺が別れ、神護寺が寺領を失ったため、清水寺は庇護者を失い廃寺となり、また、同じく神仏分離令の影響で旧寺地を追われた天台宗寺院、普門山大聖院長谷寺が本尊を奉じて清水寺に入ったので、現在の清水寺は長谷寺でもある。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 大宝山来迎院阿弥陀寺 | 熊本市西区春日6-8-8 |
| 大宝年中(701〜703)、行基により創建されたといわれている。かつて万日山は別名阿弥陀寺山とよばれ、ふもとの集落は阿弥陀寺村といわれるほど栄えていた。もともとは法相宗の大寺院で、万日山山上に奥の院、本堂があり、現在来迎院があるあたりは僧坊があったと伝えられている。本尊は寺の言い伝えによれば行基作とされる阿弥陀如来像。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 雲晴寺 | 熊本市南区(旧下益城郡)城南町隅庄622 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 輪足山 東福寺 | 菊池市亘406 |
肥後三十三ヶ所霊場第三十一番 菊池三十三ヶ所第一番 | 本尊は行基作と伝わる木造十一面千手観音立像。比叡山延暦寺正覚院の末寺で、朱雀天皇の勅願により、天慶元年(938年)、天台僧の大僧都・證慶法印によって開創されたと伝える。菊池氏第15代菊池武光が正観寺を建立してこれを菩提寺とするまでは、当寺が菊池氏の菩提寺であった。そのため、境内やその近隣には菊池一族の墓が現存する。 |
| 清水寺 | 阿蘇郡南阿蘇村(旧久木野村)久石 |
| 西国阿蘇三十三カ所観音霊場第二十一番 | 寺伝や歴史書によれば、もともと天台宗寺院で、平重盛の建立とされているが、慶長15年(1610年)に火災に遭い、正保年間(1644〜48年)に慶順という僧侶が禅宗寺院(曹洞宗)として再興したとされている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 谷水薬師堂 | 球磨郡あさぎり町上南3265-2 |
| 創建年代については明らかではありませんが、聖武天皇の時代に行基がこの地を訪れてお堂を建てたという話が伝わっています。江戸時代後期に編纂されたといわれる「歴代嗣誠独集覧」には、応永32(1425)年に相良千葉介藤原頼国(=相良頼国)が、弘尊上人を開基として医王院東円寺を創建したと記されていて、東円寺の金堂が谷水薬師ともいいます。古くからのならわしとして、「紙つぶて」があります。 |
| 宮崎県 |
| 福聚山 極楽寺 | 延岡市土々呂町5-1200 |
| 曹洞宗。御本尊は行基作といわれる阿弥陀如来。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 如意輪寺 | 延岡市川島町857 |
| 日向延岡七福神めぐり(福禄寿) | 真言宗善通寺派。行基が東海寺の奥の院として建立したと言われ、夢枕に現れた観世音菩薩のお告げにより開山、御本尊の観世音菩薩は行基が開山の際、梅の古木を刻んだものと伝えられている。境内には那智の滝がある。 |
| 観音寺 | 日向市細島 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 永願寺 | 東臼杵郡門川町 |
| 薬師如来像は行基の作と伝えられている。 |
| 宇納間地蔵尊(鉄城山 全長寺) | 東臼杵郡美郷町(旧北郷村大字)宇納間 |
| 行基が一刀毎に三礼をしながら彫刀をふるって彫り上げたことから、一刀三礼の菩薩像と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
| 永願寺 | 東臼杵郡門川町加草 |
| 九州八十八ヶ所霊場第三十三番 | 奥の院には町指定、行基作といわれる薬師如来像がある。 |