青森県 | |
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清水千手観音 | 弘前市桜庭 |
天平の昔(8世紀)、東大寺大仏造営の歓進のためにこの地を訪れた行基菩薩が、エゾ人を教化しようとしたがなかなか思うようにはいかなかった。そこで千手観音を彫って高松山に安置すると、ちょうどうしろにあった老松が白い花をいっぱいに咲かせた。 神仏分離令後は本尊の千手観音像は弘前市の陽光院に移され、多賀神社に社号を改めて神社となっている。 | |
寺下観音堂 | 三戸郡階上町 |
奥州南部糠部三十三か所巡礼第一番 | 神亀年間(724〜728)行基が寺下に海潮山応物寺を開山。1246年江山が応物寺頽廃の記録をすると共に応物寺を再興。 |
岩手県 | |
妙見山 黒石寺 | 奥州市水沢区黒石町字山内 |
奥州三十三観音霊場第二十五番 | 天平元年(729)行基菩薩の開基で、当初は東光山薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火に遭って寺は焼失。 大同2年(807)飛騨(岐阜県)の工匠が方七間の薬師堂を再建、嘉祥2年(849)慈覚大師円仁が復興して妙見山黒石寺と改名。旧暦1月7日夜から翌暁にかけて蘇民祭が行われる。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
大林寺 | 奥州市水沢区寺小路 |
行基の開山。大同2年(807)坂上田村麻呂が再建し、849年慈覚大師が復興し、862年に薬師如来座像造立。(730) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
千手堂 | 山形市大宇千手堂509 |
最上三十三観音霊場第三番 | 御本尊は、弥陀・観音・薬師の三尊でそれぞれ五尺余り、行基の作と伝えられている。 |
地蔵院 | 東磐井市干厩町奥玉上院 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
大慈寺 | 盛岡市大慈寺町5-6 |
盛岡三十三観音霊場第六番 | 行基の作と伝えられる十一面観音像は、元紫波郡手代森の高禅寺にまつられていたもの。安永年間(1770年代)の記録では、南部三十三観音の10番目、高寺観音(手代森村)として記されている。1877年(明治10年)、同寺の廃寺とともに大慈寺に移された。 |
八葉山 天台寺 | 二戸市(旧二戸郡)浄法寺町大字御山 |
奥州三十三観音霊場第三十三番 | 神亀5年(728)に行基菩薩が聖武天皇の勅命により、同寺の山号を八葉山と名づけ、山中の桂の大木を刻んで本尊聖観音菩薩とし、宸筆(天皇直筆)の額を掲げて開山したと伝えられる。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
秋田県 | |
竜泉寺 | 秋田市上新城石名坂 |
行基菩薩が開基したと伝えられる。 | |
八橋山 不動院 | 秋田市八橋本町 |
開基は佐竹氏二代藩主・義隆、寛文五年(1665)に三間四面の堂宇を建立して「庚申尊」を安置し、寺号を「八橋山金剛寺」と称し、後に現在の不動院と改めました。 本尊の青面金剛童子は、寺伝によると日本三庚申の一つと云われ、天平の昔、天竺婆羅門僧正が日本に渡り奈良の大仏開眼法要の後、日本国土の開発を祈って三体の庚申尊像を彫刻し、大阪の四天王寺、近江国八坂の堂に安置しました。残る一体は、行基菩薩が羽後国秋田郡舞鶴に安置したものが、八橋の現在地に納まったと云われます。しかし、明治19年(1886)4月30日の秋田の俵屋火事により焼失してしまいました。 | |
宝光院 | 男鹿市脇本町百川字相ノ沢 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
龍泉寺 | 能代市清助町 |
秋田三十三観音霊場第二十五番札所 | 創建は不明ですが養老2年(718)に行基が逗留したと伝えられているそうです。その後室町時代には山形県に本山がある湯殿山の傘下に入り神仏混交の寺院となりました。明治に入り廃仏毀釈の運動が活発になると本山である湯殿山は神社に転じましたが、龍泉寺(当時は鳳凰庵)は寺院となりました。「十一面観音菩薩像(伝円空像)」や「薬師如来立像」、「二の舞翁面」などは文化財指定されています。 |
吉祥院 | 鹿角市八幡平字小豆澤 |
養老年中(720年頃)、行基菩薩が開基したと伝えられる。 元正天皇の勅命を蒙り、多くの音楽博士や工人を伴い、はるばる都から下向した行基は、だんぶり長者発祥の霊地に養老山喜徳寺大日堂を建立した。吉祥院は大日堂の六坊の一つで、都に登り人皇第廿六代継体天皇の御后になられた吉祥姫のお墓を守り、その霊を弔うものであった。 | |
宮城県 | |
陸奥国分寺 | 仙台市若林区木の下 |
行基菩薩が開基したと伝えられる。御本尊の薬師如来の脇侍の日光菩薩・月光菩薩像は行基が自ら彫ったものであるとされている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
成覚寺 観音堂 | 仙台市若林区新寺3-10-12 |
仙台三十三観音札所第十六番 | 御本尊の聖観音は行基作とされている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
増上山 大願寺 | 仙台市青葉区新坂町7-1 |
仙台三十三観音札所第七番 | 御本尊の聖観音は行基作とされている。 |
宝光院 観音堂 | 仙台市青葉区本町1-9-10 |
仙台三十三観音札所第八番 | 廃寺となり、九番札所の満願寺に併祀された御本尊の聖観音は行基作とされている。 |
仙岳院 観音堂(小萩観音) | 仙台市青葉区東照宮1-1-16 |
仙台三十三観音札所第十一番 奧の細道みちのく路三十三観音霊場第二番 | 1189(文治5)年源頼朝の平泉征伐のとき、和泉三郎忠衡の女児5歳を家来石塚民部守時、同妻小萩が守って、加美郡清水寺の弟観円のもとに身を寄せて出家した。その小萩の念持仏が行基菩薩作の十一面観音。 |
十却山成覚寺観音堂 | 仙台市宮城野区榴岡5丁目12-2 |
仙台三十三観音札所第十六番 | 観音堂に行基作と伝える170センチ余りの聖観音像が安置されている。 |
竜洞院 | 石巻市大瓜字棚橋 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
東園寺 | 塩釜市旭町 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
海岸山 観音寺 | 気仙沼市本町1-4-16 |
東北三十六不動尊霊場第二十五番 | 和銅年間(709年)藤原宇合が特命大将軍につき蝦夷勢を鎮圧し、その首塚を南流山に建立したのが始まりという。のち天平十五年(742年)行基菩薩が巡錫して自ら観音像を彫刻した。更に喜祥三年(850年)慈覚大師が堂舎を建立して海岸山観音寺と称した。その後、平泉に幽棲していた義経が皆鶴姫を憐み、菩提を弔う為に先の南流山に観音堂を興したが、これを合併して瑞国海岸山観音寺と改称して現在に至る。 |
柳津虚空蔵尊 | 登米市(旧本吉郡)津山町柳津大柳津 |
三陸三十三観音霊場第9番 | 奈良時代第45聖武天皇の神亀3年(726年)、行基による開山で、秘仏虚空蔵菩薩は一刀三礼による行基の作。大土山の西麓にある。 |
宝性院 | 登米市(旧本吉郡)津山町柳津字大柳津 |
(柳津虚空蔵尊別当) | (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
海円寺 | 本吉郡(旧志津川町)南三陸町志津川字上の山 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
山形県 | |
吉祥院(千手堂観音) | 山形市大字千手堂 |
最上三十三観音霊場第三番 | 行基菩薩が勅命を受けて天平9年(737)に各地に開創した寺の一つとされており、行基菩薩の作と伝える木造千手観世音菩薩立像(国指定重要文化財)が安置されている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
柏山寺(出羽国分寺) | 山形市薬師町 |
寺伝では「聖武天皇の詔により、行基開山、鎮守府将軍大野東人が七堂伽藍を造営、一萬畝歩を寺領として献ず」という。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
誓願寺 | 山形市八日町 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
石行寺(岩波観音) | 山形市岩波115 |
最上三十三観音霊場第七番 | 行基菩薩の草創、慈覚大師の中興と伝える名刹。本尊は下流の地(現・元木)から発見した霊木で刻んだ行基作の秘仏十一面観世音菩薩。 |
金峰山松尾院(旧松應寺・松尾山観音) | 山形市蔵王半郷2 |
最上三十三観音霊場第九番 | 和銅元年(708年)、行基が当地を訪れ、大きな松の根元で野宿したとき、カツラの木に弥陀三尊(聖観音、勢至菩薩、無量寿仏)がとどまる夢をみた。翌日、カツラの木を発見し、三体を作像し祀ったのが始まりと伝えられるとのことです。本尊は行基が桂の大木で刻んだといわれる聖観世音菩薩。 |
六椹山 宗福院(六椹観音) | 山形市山形市鉄砲町1−2−20 |
最上三十三観音霊場第八番 | 創建は行基とされている。御本尊は行基作といわれる聖観世音菩薩と勢至菩薩の二体。(秘仏) |
正覚寺 | 鶴岡市鳥居町 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
医王山 薬師寺 | 東根市東根字花岡甲 |
天平9年(737)、行基が開基したと伝えられる智山派の古刹。仁寿元年(851)、弘法大師の高弟の真済が中興開山。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
鈴立山 若松寺(若松観音) | 天童市山元2205-1 |
最上三十三観音霊場第一番 | 行基が東国巡錫の途中、この地にたどり着いた折、山の東方で振鈴の音が聞こえ、山上に登ったところ、光輝く三十三観音の御影を拝したことから開山したと伝えられる。ご本尊は和銅元年(806)、行基菩薩が山上の杉で刻まれたといわれる聖観世音菩薩。後に弘法大師が一千座の護摩の奉修をし、その灰で腹ごもりの弁財天を作られ、これを安置して奥の院としたとのことです。 |
青蓮山 清浄院(小松沢観音) | 村山市小松沢6500 |
最上三十三観音霊場第二十番 | 天平9年(737)に行基が開創したのが始まりとされ、観音堂には行基の作と伝えられる聖観世音菩薩がご本尊として安置されています。 |
慈恩寺 | 寒河江市大字慈恩寺 |
神亀元年(724)、聖武天皇の指示により行基がこの地を選び、天平18年(746)、婆羅門僧正が開基したとされています。 | |
観音寺(上ノ山観音・湯ノ山観音) | 上山市十日町9-29 |
最上三十三観音霊場第十番 | 本尊は行基菩薩の作と伝わる聖観世音菩薩。 |
長谷山 光明院(高松観音) | 上山市高松52 |
最上三十三観音霊場第十一番 | 本尊の聖観音は一尺五寸の坐像で、行基菩薩が出羽を巡錫した時、この地に草庵を結んで彫ったものと伝える。これからのち、聖武天皇などの信仰が厚く、観音霊場としてにぎわったと伝えられる。 |
長谷山 長光院 | 上山市長谷堂23-3 |
最上三十三観音霊場第十二番 | 本尊は行基作と伝わる十一面観世音菩薩。 |
法音寺 | 米沢市御廟1-5-32 |
天平9年(737)4月聖武天皇の勅命により、越後国魚沼郡藤原の里に建立されました。天皇の命を受けて諸国巡視中であった藤原政照が越後国飯盛山の麓で病死し、この菩提を弔うために、行基菩薩が勅命により法相宗の寺を建立したのが始まりです。 | |
称名寺 | 西置賜郡白鷹町大字十王 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
金剛山 常福寺(三河観音) | 東村山郡山辺町三河尻23 |
最上三十三観音霊場第十三番 | 本尊の聖観音は行基作とされている。 |
金剛山 正法寺(岡観音) | 東村山郡中山町岡69 |
最上三十三観音霊場第十四番 | 本尊の千手観音は大和長谷寺の観音と同木の白檀香木をもって、彫刻され、雨乞い観音として、有名である。このいわれは、行基菩薩がこの地を訪れた時、あまりにも激しいかんばつに見舞われていたので、農民は行基菩薩に雨乞いを願った。行基菩薩はこの請いをいれて観音の前で誦経祈念したところ、一点にわかにかき曇って大雨がふったという。 |
寒江山 長登寺(長登観音) | 西村山郡西川町大字睦合乙142 |
最上三十三観音霊場第十七番 | 本尊十一面観音は行基菩薩の作と伝える。 |
福島県 | |
大福寺 | 福島市大笹生町中寺 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
常光寺 | 福島市清明町 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
大蔵寺(小倉寺観音) | 福島市小倉寺捨石 |
大同2年(807)に徳一が開創したといわれる寺で、弘仁10年(819)田村麻呂が陸奥地方を鎮護するために、行基作の千手観音像を祀ったという伝承がある。 | |
安洞院 | 福島市山口字寺前 |
当本尊は文知摺観音として、河原左大臣と乙女の伝説をもって有名である。伝によれば行基菩薩の作といい、文武天皇の時にはじめて安置されたといわれている。 | |
円通寺 | 福島市大森城山 |
観音堂は大同二年(807)の建立といわれ、行基菩薩作聖観音像をまつっている。 | |
明智寺 | 福島市飯坂町 |
観音堂の本尊は十一面観音。行基菩薩作と伝える。 | |
物宝山 良縁寺(松野観音堂) | 喜多方市慶徳町松野730 |
会津三十三観音霊場第二番 | 行基が会津下向の際、三体の霊像を彫刻し開基。本尊は千手観音。曹洞宗。 |
紫雲山 光明寺(熊倉観音堂) | 喜多方市熊倉町熊倉字熊倉837 |
会津三十三観音霊場第七番 | 行基の作とも慈覚 の作とも伝わる観音像を安置。本尊は千手観音。浄土宗。 |
阿弥陀寺 | 郡山市富久山町久保田 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
八幡山 無量院 護国寺 | 郡山市三穂田町八幡字西屋敷 |
天平10年(738)行基上人が開山し、同上人作の本尊を奉安して神宮寺と称した。大同2年(807)会津恵日寺3世金耀上人が、古義真言宗の安積布教の本拠とし、八幡寺と改称。応永年間(1394〜)焼失。明暦年間(1655〜)文心上人が現在地に移し、護国寺と改む。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
住吉観世音 | 郡山市熱海町高玉(旧高玉観行院付近) |
行基の開基とされている。 | |
安祥院 | いわき市平下大越字根廻 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
成就山 満願寺 | 白河市関辺字関山 |
聖武天皇の命により天平2年(730)に行基が開いた。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
竜泉寺 | 二本松市二伊滝 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
称名寺 | 伊達市梁川町 |
行基菩薩が伊達霊山において修法の時、一体の観音像を彫った。その後自ら一堂を草創したのが当寺のはじまりという。もと利生寺といっていた。 | |
満福寺 | 二本松市(旧安達郡安達町)油井飯出93 |
1057年、源頼義が義家とともに安倍頼時を征討した時、吉祥院(満福寺)に来て休息し、院の名を聞いて頼義は安倍追討の首途によい名であると喜び、守本尊の行基の作とされる地蔵を献じたので、この寺には長く地蔵を秘佛とされて来た。(のち焼失) | |
大悲山 観音寺 | 伊達郡桑折町大字万正寺字坂町 |
奥州観音札所第十二番 信達三十三カ所第十九番 | 本尊は行基菩薩一刀三札の作と伝える。大同二年(807)釈照海によりこの地に安置されたものという。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
小栗山 観音堂 | 岩瀬郡鏡石町 |
堂の中にある岩の洞穴には、行基菩薩の作と伝えられる十一面観世音が安置されている。 | |
泉光寺 観音堂 | 南会津郡南会津町(旧舘岩村)塩の原 |
南山御蔵入三十三観音札所 西福島観音霊場第二十二番 | 圓通山大慈院と号す。真言宗。境内に観世音堂があり、そこに安置している仏像は行基菩薩の作と伝えられている。 |
薬師寺 | 南会津郡南会津町(旧田島町)田島本町甲 |
西福島観音霊場第十四番 | (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
如意輪寺 | 東白川郡棚倉町 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
常隆寺 | 東白川郡棚倉町流豊都 |
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) | |
金剛山 如法寺(鳥追観音堂) | 耶麻郡西会津町野沢字如法寺乙3533 |
会津三十三観音霊場番外 (会津ころり三観音巡りの1つ) | 天平八年(736)の春、行基が会津巡錫された際、とある貧しい農家に宿をとり、念持仏である一寸八分(約6p)の聖観音の御尊像を授けた。大同二年(807年)、僧・徳一は、坂上田村麻呂公の帰依を受けて、金剛山如法寺を創建し、御本尊に行基御作と伝えられる聖観音像を奉安、胎内仏に「鳥追観音」を入仏秘された。本尊は虚空蔵尊。 |