茨城県 |
中根寺 | 水戸市加倉井町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
報仏寺 | 水戸市河和田町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
二十三夜尊 桂岸寺 | 水戸市松本町 |
| 号は大悲山保和院。通称は水戸谷中の二十三夜尊。天和2年(1682)檀海和尚の開山で、もと全隈町にあった普門寺を中山備前守信治が小松寺住職宥密を説いて水戸藩家老中山信正の供養のため、譲り受け現在の地に建立。 本尊は勢至菩薩で行基の作と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
常春寺 | 石岡市三村 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
泉福寺 | 岩井市大谷口381 |
猿島坂東三十三霊場二十九番 | 神亀元年(724)行基菩薩の開基と伝う。 |
医王山 金剛院 延命寺 | 坂東市弓田388-2 |
| 薬師堂の厨子殿に奉安する薬師如来像は、将門の守り本尊と称する持護仏で、縁起書によると行基作とあり、高野山の霊木で刻まれた尊像と記されている。 |
明王山慈光寺(弓田の不動尊) | 坂東市岩井1111 |
| 寺伝によると、奈良時代の天平18年(746)に、僧行基の高弟がすべての悪魔を退散させ、世の中を平和にする衆摩降伏・真理円融の道場として創建され、不動明王が祀られました。平安中期、平将門が政治、経済、軍事の拠点を岩井営所に移すと、当寺を鬼門除けの本尊として仰ぎ、また守り本尊として深く信仰したと伝えられています。 |
普賢院 | 笠間市(旧西茨城郡岩間町)上郷 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
施無畏山 宝樹院 小山寺(富谷観音) | 桜川市(旧西茨城郡岩瀬町大字)富谷2190 |
| 天平7年(735)行基を開基として創立されたと伝えられている。本尊の十一面観音菩薩は行基作、脇士の不動尊は慈覚大師作、多聞天は運慶作と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
南明山 清瀧寺 | 土浦市(旧新治郡新治村)小野1151 |
坂東三十三か所霊場第二十六番 | 「坂東霊場記」では、行基が聖観音を刻んでお寺を開いたとされている。(?年) |
宝性院 歩崎山 長禅寺(歩崎観音) | かすみがうら市(旧新治郡霞ケ浦町)(旧出島村)坂 |
| 天平年間、聖武天皇の代に、行基菩薩が南都奈良において彫刻した十一面観音を旅の僧に与え、この僧侶が当地に至り、山上に一堂宇を建立して安置したといわれる。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
西福寺 | 東茨城郡大洗町磯浜 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宝憧院 | 東茨城郡城里町那珂西 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
白雲山 普明院 小松寺 | 東茨城郡城里町(旧常北町)上入野 |
佐竹七福神(毘沙門天) | 寺伝では天平17年行基が大御堂を建て、創建したという。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
大霊寺 | 久慈郡大子町町付 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
実相院 | 猿島郡五霞町元栗橋 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
栃木県 |
清水寺 | 栃木市(旧下都賀郡)大平町西山田 |
下野板東二十六番札所 | 本尊は十一面千手観音像で僧行基の作として伝えられている。この観音は一名「滝の観音」ともいわれ、県の文化財指定を受けている。 |
宗泉寺 | 足利市松田町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
行基山 徳正寺 | 足利市本城 |
| 天平3年(731)、行基上人により開基。現在の本堂は1710年(宝永7年)に中興の祖・十誉聞栄上人によって再建。ご本尊は虚空蔵菩薩。毎年1月13日に「まゆ玉市」が開かれる。 |
大岩山 多聞院 最勝寺 | 足利市大岩町264 |
| 天平17年(745)聖徳太子の命により行基の開山と伝えられている。12月31日から元旦にかけての夜に行われる奇祭「悪態祭り」がある。 |
浄因寺 | 足利市月谷町 |
| 和銅7年(714)行基の開創と伝えられている。寺には行基分身の入定の霊地がある。 |
竜泉寺 | 佐野市村上町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
薬王寺 | 真岡市東大島 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
寺山観音寺(法楽寺) | 矢板市本町 |
| 奈良時代の神亀元年(724年)のころ、寺山観音の前身である法楽寺が、高原山剣ヶ峰近くに行基菩薩によって建立されたと伝えられる。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
安楽寺 | 那須烏山市(旧那須郡南那須町)田野倉 |
| 薬師如来坐像は行基作という言い伝えが残っているが、正確には不明。 |
感応寺 | 河内郡上三川町名田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
獨鈷山 普門院 西明寺 | 芳賀郡益子町益子4469 |
坂東三十三か所霊場第二十番 | 天平9年(737)行基菩薩の草創、紀有麻呂によって建立。聖武天皇の勅命で刻んだ十一面観音を、安置してあった豊前国(大分県)から移して本尊とした。(737) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
観音寺 | 芳賀郡益子町益子 |
関東八十八ヶ所霊場第三十番 | 奈良時代に行基が開山したとされている。(708〜749?) |
安楽寺 | 芳賀郡茂木町北高岡 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
小野寺山 大慈寺 | 下都賀郡岩舟町小野寺2247 |
関東薬師札所第五十五番 | 天平9年(737)に行基が建立したと伝えられ、隣接する村檜神社境内からは奈良時代や平安時代の瓦が出土している。別名を小野寺とも、大雄山鎮国千部道場ともいいます。開祖行基の後は、二祖道忠様、三祖広智様と法が伝えられます。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
群馬県 |
大慈山 光明寺 | 桐生市宮本町三丁目9−15 |
| 天平11年(739)聖武天皇の命により、行基が観音像を一体刻み、一宇の堂を建立して水月庵と名付けられた。 |
西広寺 | 安中市安中 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
終南山 見松院 善導寺 | 館林市楠町3692 |
館林七福神(毘沙門天) | 浄土宗の寺で、行基の手による和銅元年(西暦708年)の創建と伝えられる古刹。 |
日輪山 観音院 南光寺 | みどり市笠懸町阿左美967 |
関東八十八ヵ所霊場第七番 新上州三十三ヶ所観音霊場第六番 北関東三十六不動尊霊場第八番 関東地蔵百八札所第三十七番 | 弘法大師巡錫の霊地に、行基作の白衣観世音を本尊として開創された、と伝えられます。 御本尊:大日如来(霊場御本尊:十一面観世音菩薩) |
長谷寺 | 高崎市(旧群馬郡榛名町)白岩 |
坂東三十三か所霊場第十五番 | 「坂東霊場記」では、郷士の高崎氏が42歳の厄年に悩んでいたところに訪れた行基が、役行者の修行した跡地に生えていた柳の木で、大和初瀬の十一面観音を模した尊像を作って与えたとされている。(?年) |
不動寺 | 甘楽郡南牧村大塩沢 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
草津山 光泉寺 | 吾妻郡草津町草津479 |
関東薬師札所第四十四番 | 行基による開山と伝えられている。行基が病人のために祈って杖を突いたところ、地面から温泉が湧き出し、そこに堂を立てたのが寺の始まりという。境内には薬師如来を祭る本堂、町の文化財指定の釈迦堂、芭蕉や一茶の句碑などがある。 |
泉龍寺 | 吾妻郡高山村 |
| 天平7年(735)に行基が開いた草庵の旧蹟に建てられ、源頼朝からの寄進を受けたとする伝承も残る。 |