行基ゆかりの寺院[関東2]

埼玉県
四萬部寺秩父市栃谷
秩父三十四ヶ所霊場第一番本尊は行基作の聖観世音菩薩。(?年)
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
坂氷山 常楽寺秩父市熊木町
秩父三十四ヶ所霊場第十一番縁起によると、行基菩薩が関東巡錫の折、当地の巌上に十一面観音を感得。その姿を刻んで壇を設け、安置したという。また、『秩父回覧記』によると、天照大神・春日明神・八幡大菩薩・妙見大菩薩・蔵王権現と名乗る五人の老翁が守護していたクスノキで、行基菩薩が十一面観音を刻んだとされている。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
慈眼寺秩父市東町
秩父三十四ヶ所霊場第十三番本尊は行基作の聖観世音菩薩と伝えられている。(?年) 1486年東雄禅師の開創。
観音寺秩父市寺尾
秩父三十四ヶ所霊場第二十一番お寺の通称「矢之堂」について、伝承では行基がこの土地に来て自作の聖観音像を安置する堂宇を建てたところ、この一帯の邪神悪鬼どもが反抗して火を降らせたのを、白馬にまたがった土地の守り神の八幡宮が、逆に鏑矢を放って火を追い払ったからとされている。他にも、日本武尊が東征の際に矢を収めた場所であるからとか、平将門が矢を収めたなどの諸説もある。街道沿いには芭蕉の句碑、宝篋印塔、百万遍唱念搭、弁財天の石塔などがある。(?年)
久昌寺秩父市久那
秩父三十四ヶ所霊場第二十五番本尊は行基作の聖観世音菩薩と伝えられている。鬼女の伝説があり、鬼女のための観音堂を建立の際にその像が納められたとされている。(?年)
長福寺秩父市(旧秩父郡吉田町)下吉田

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
菊水寺秩父市(旧秩父郡吉田町)桜井
秩父三十四ヶ所霊場第三十三番寺名の「菊水」は、楠木正成の家紋と関係があるとか、行基が山賊たちを戒めて「この先の菊水の泉で身を清めよ。」と言ったことによるなどの説がある。(?年)
蔵王山長徳寺行田市犬塚708

御本尊の正観音は行基作と伝えられている。
玉室山清岩寺行田市駒形2-7-10

御本尊の延命地蔵は行基作と伝えられている。
医王山遍照院常福寺行田市駒形1-4-18

平泉城主藤原秀衡が守り本尊の薬師如来に心願を立て祈ると快癒し、その薬師如来像を牛車に乗せ向かわせたところ当地で牛が亡くなったため、仏縁の地として創建された。堂内に安置されている薬師如来像は行基作で秀衡の守護仏と伝えられている。
慈眼山真南院観福寺行田市南河原1500-1
行田救済菩薩十五霊場第六番御本尊の正観音は行基作と伝えられている。
能護寺熊谷市(旧大里郡)妻沼町大字永井太田

天平15年(743)に国家安穏・万民豊楽と五穀豊穣を祈願のため行基が開山し、後に弘法大師空海が再建されたと伝えられている。もともと利根北岸の邑楽郡大川村仙石(現在の群馬県大泉町)にあり、その後、この地に移ったと伝えられているが年代については不詳。境内に虚空蔵菩薩が祀られている虚空蔵堂があり、他に閻魔大王、十王像、そして脱衣婆が安置されていた。本尊は金剛界大日如来坐像。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
真光寺熊谷市(旧大里郡)江南町樋春

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
観喜院熊谷市(旧大里郡)妻沼町妻沼

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
惣持寺(蓮沼山地蔵院)深谷市蓮沼463

行基による草創、御本尊の大日如来は行基作とされている。
吾庵山 放光寺 金乗院(山口観音)所沢市上山口2203
武蔵野三十三観音霊場第十三番
狭山三十三観音霊場第一番
正式には吾庵山放光寺金乗院といい、本尊の千手観音は行基菩薩の彫刻と言われている。開祖は弘法大師。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
遊石山 新光寺所沢市宮本町1−7−3
武蔵野三十三観音霊場第十番新光寺略縁起に、遊石山観音院と号し、本尊の聖観音は、行基作と伝え、慶安2年(1649)に観音堂領として、幕府から六石の朱印が出されている。地元では昔から「馬の町」の「観音様」と呼ばれている。
滋尊院草加市稲荷町

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
南光院草加市花栗

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
西勝院入間市宮寺489
狭山三十三観音霊場第二十九番
奥多摩新四国八十八ヶ所霊場第五番
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
円通庵(西久保観音)入間市宮寺1544
狭山三十三観音霊場第二十八番行基によって開かれたとされている。
東三ツ木薬師堂狭山市大字東三ツ木8番地

薬師如来縁起によれば、本尊は東方薬師と称し、行基作一刀三礼の尊像となっていますが、像の底部に応永6年(1399)9月18日□□作者常仁の銘がある。
地蔵院鳩ヶ谷市桜町

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
慈林薬師(宝巖院)鳩ヶ谷市本町

聖武天皇の勅願により、行基上人が開創。
光音寺日高市大字鹿山

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
東明禅寺(吹上観音)和光市白子3-14-13

天平の時代に行基菩薩が巡行中に聖観音像を彫刻し、赤池の地に一宇を建てたとされている。本尊は薬師如来。
高貴山 常楽院(高山不動尊)飯能市大字高山字西の下

霊亀2年(716年 )行基によって一根五枝の大木で五大尊明王像を刻して奉安したが、後に軍茶利明王像を除く四尊が焼失した。白雉5年( 654年)長覚坊上人、宝勝坊上人、岩田三兄弟によって開山されたと伝えられる。
医王寺飯能市(旧入間郡名栗村)上名栗556

法恩寺の末寺。本尊は、平安時代末〜鎌倉時代に製作された薬師如来像で「医王寺縁起」によると、古来、この地は熊野・三島・天神の三社が鎮座していた場所で、行基によって薬師如来が安置された。
瑠璃山 薬王院 光明寺(久喜薬師)久喜市本町1
新四国八十八ケ所霊場第三十九番真言宗豊山派。行基菩薩の開山で白鳳辛巳(10年)の創建である。本尊は薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来であり、脇士は日光菩薩、月光菩薩、十二神将である。
吉祥院久喜市(旧南埼玉郡)菖蒲町菖蒲655

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
定福院久喜市(旧北葛飾郡栗橋町)佐間566

観音堂には、行基作の聖観世音が祀られている。
密蔵寺久喜市(旧北葛飾郡鷲宮町)東大輪1746

白鳳11年(656)に、行基が自作の薬師如来像を安置したのが始まりとされる。
宝珠山 錫杖寺川口市本町2丁目

開基は天平12年(740年)の春、行基菩薩がによって草庵が結ばれたのを濫觴とすると伝えられている。本尊は地蔵菩薩。
地蔵院ふじみ野市(旧入間郡大井町)亀久保192

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
江長山 光徳寺さいたま市見沼区膝子623

観音堂の聖観世音菩薩像は行基作と伝えられ、正徳3年(1713)麻布龍穏寺住職好外和尚によって寄贈された。その後、栃木市の傑峯寺に移ったが、夢のお告げで当寺へ戻された。曹洞宗。
桂木観音入間郡毛呂山町桂木

養老3年(719)行基菩薩の創建であるという。
松渓山 法恩寺入間郡越生町越生704
越生七福神(恵比寿)行基が東国遊行のおり、金名水・銀名水より立ち上る気を見て、大日、釈迦、弥陀、如来、薬師の像をみつけ、天平13年(738)にこれを祀ったのが始まりといわれる。
永源寺比企郡小川町青山1602

寺伝によると747年行基による開基で、本尊は行基作の薬師如来とされている。開山は霊山院第四世の霊峰月清和尚(1292)とされている。
岩殿山 安楽寺(吉見観音)比企郡吉見町御所374
坂東三十三か所霊場第十一番
関東八十八ヶ所霊場第七十五番
行基が東国巡錫中に本尊の聖観音像を刻み、岩窟に安置したのが創始。真言宗智山派。(?年)
岩殿山 息障院 光明寺比企郡吉見町御所146-1

開創は天平のころ(729〜749)行基によるとされているが、大同年間(806頃)坂上田村麻呂が開基したという説もあり、古くは吉見護摩堂といわれた。「息障院」の号は、天慶(938〜947)のとき、平将門を調伏する護摩を修した功により、下賜されたもの。真言宗智山派。
大串山 金蔵院(毘沙門堂)比企郡吉見町大串2044

修験の寺で本尊は行基作といわれる毘沙門天の立像。山門左手に応安6年(1373)の銘の宝篋印塔がある。
卜雲寺秩父郡横瀬町横瀬1430
秩父三十四ヶ所霊場第六番本尊は行基作の聖観世音菩薩で、武甲山頂の蔵王権現社から移されたとされている。身長3mの山姥が里人に危害を加えていたが、行基の祈祷で降参し、自らの前歯1枚・奥歯3枚を折り取って差し出したという武甲山にまつわる伝説がある。(?年)
法長寺秩父郡横瀬町横瀬1508
秩父三十四ヶ所霊場第七番お寺の別名「牛伏堂」にまつわる伝説に、昔行基が自作の十一面観音を背負って行脚中、この場所で観音像が急に重くなったので仕方なく置いて立ち去った。
のちに土地の牧童が草刈りをしていると、どこからともなく1頭の牛が現れて座って動かなくなり、牧童が調べると草の中に観音像があったので、村人と協力して堂宇を建てて牛伏堂と名付けたというのがある。(?年)
観音院秩父郡小鹿野町飯田観音山
秩父三十四ヶ所霊場第三十一番本尊は行基作の聖観世音菩薩と伝えられている。平将門の乱でその像が行方不明となっていたが、畠山重忠がこの地に狩りに来て、霊夢のお告げで鷲の巣の中から像を見つけ出し、堂宇を建立したところ一門の人々は残らず帰依したと伝えられている。(?年)
法性寺秩父郡小鹿野町般若2661
秩父三十四ヶ所霊場第三十二番奈良時代に行基が開創。行基作とされる本尊の聖観世音菩薩は、舟に乗り笠を冠って手に櫂を持つ姿なので「お船観音」と呼ばれている。(?年)
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
寿光寺児玉郡神川町(旧神泉村)下阿久原813

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
密巖院 常楽寺大里郡寄居町赤浜860

真言宗智山派。ご本尊は行基作による大日如来。本堂には大日如来の脇には、薬師如来、閻魔王、馬頭観音がまつられている。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
浄福寺大里郡寄居町鉢形620

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
観福寺南埼玉郡白岡町野牛656

本尊は十一面観音で行基の作と伝えられる。新義真言宗智山派の寺院。『風土記稿』によれば、「戸ケ崎村(現菖蒲町)吉祥院の末寺、大悲山与楽院と号す」とあり、第5世良栄が寛永18年(1641)に亡くなったという記録が残されているが、それ以前の由緒は不詳。
西光院南埼玉郡宮代町字東410

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
永福寺北葛飾郡杉戸町下高野396

天平勝宝5年(753)に行基が開山。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
馬頭院北葛飾郡杉戸町堤根4254

行基の開山と言われる。本尊は馬頭観世音菩薩。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
千葉県
千葉寺千葉市中央区千葉寺町
坂東三十三か所霊場第二十九番元明天皇の時代にこの地を訪れた行基が、池の中に咲いている蓮の中で阿弥陀如来と観音菩薩が説法しているのを見て十一面観音を刻み、唐の西明寺の宗鑑大師作の観音像を胎内に納めた。(707〜715)
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
源心寺市川市香取

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
手児奈霊堂(真間山求法寺)市川市真間4-9-1

天平9年(737)行基が、真間の入江に身を投げた娘手児奈の供養のために御堂を建てたのが始まりといわれている。
大船形山 大福寺(崖の観音)館山市船形835
安房三十四観音霊場第三番養老元年(717)行基が自然石に本尊の十一面観音を刻んだとされている。堂の奥には行基が漁師の安全と豊漁を祈願して刻んだとされる高さ1.5mの磨崖仏がある。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
補陀落山 那古寺(那古観音)館山市那古1125
坂東三十三か所霊場第三十三番
安房三十四観音霊場第一番
養老元年(717)元正女帝の病気回復を祈って行基がこの地を訪れ、海中から得た霊木で千手観音を刻むとただちに霊験が現れて女帝が本復し、これを喜んだ女帝の勅命で那古山の頂上に伽藍が建てられた。頼朝や里見氏など、武家の信仰を集めてきた。
金剛山 金蓮院館山市犬石379
安房三十四観音霊場第二十九番本尊の十一面観音は行基作とされている。
養老寺館山市洲崎1331
安房三十四観音霊場第三十番養老元年(717)役小角の開創。本尊の十一面観音は行基作とされている。
普門山 長福寺 館山市館山928
安房三十四観音霊場第三十一番寺伝によれば、神亀二年(725)に行基菩薩が自刻の千手観音を奉安したことに始まり、里見城下に寺領を有した古刹。観音菩薩像は当初、北下台という高台に祀られたが、昭和39年に現在地に遷座、現在は平成2年落成の観音堂に安置している。
金剛山 小網寺館山市出野尾859
安房三十四観音霊場第三十二番本尊の聖観音は行基作とされている。(710年)
杉本山 観音院館山市西長田372
安房三十四観音霊場第三十三番行基の開創とされている。
正福寺木更津市桜井

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
高蔵寺木更津市矢那
坂東三十三か所霊場第三十番本尊は行基がこの地に訪れた際に刻んだ1丈余の聖観音で、頭部の中にはお寺を創建した徳義上人が祀った像が納められているとされている。(729〜748)
万満寺松戸市馬橋

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
正蔵院成田市江弁須

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
満蔵寺市原市五所

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
西願寺市原市平蔵

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
橘禅寺市原市皆吉六

天平9年(737)光明皇后、行基に命じ橘禅寺を創建させた。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
真ケ谷太子堂市原市真ケ谷

「真ヶ谷太子堂縁起」によると、一刀三礼の御修法を行じながら聖徳太子の尊像を彫って箱根山の麓に安置したものを、源海阿閣梨が上総の国で安置し、「聖徳山宝珠院太子堂寺」となったらしい。
慈愍山 観音寺我孫子市日秀

聖観世音菩薩(將門の守本尊)は行基作と伝えられている。地域史誌『湖北村誌』に、「守谷村の天台宗西林寺から徳道和尚を請して開祖とし、大悲山和泉寺と称した。」と記されている。
正福寺君津市郡

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
建暦寺君津市浜子

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
松翁院富津市竹岡

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
東明寺富津市湊

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
千光山 清澄寺鴨川市(旧安房郡)天津小湊町清澄322
安房三十四観音霊場 第十七番本尊の十一面観音は行基作とされている。(?年)
石見堂寺鴨川市貝渚2261−1
安房三十四観音霊場第十八番本尊の如意輪観音は行基作とされている。
大山寺不動堂(滝本堂)鴨川市平塚1718
安房三十四観音霊場第三十四番旧大山寺の不動堂の外陣に、行基作とされている尊像が奉安されている。
岩峰山 真勝寺南房総市(旧安房郡)富浦町青木173
安房三十四観音霊場第四番行基が安産祈願のために如意輪観音を刻んだとされている。(?年)
太嶺山 高照寺南房総市(旧安房郡)富山町山田1162
安房三十四観音霊場第十五番本尊の十一面観音は行基作とされている。
補陀洛山 普門寺南房総市和田町中三原270
安房三十四観音霊場第十九番行基作とされている本尊の聖観音は今は女人の厄除観音として信仰されている。別当の正文寺は領主真田氏の菩提寺として建立された。。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
長安山 石堂寺(石堂観音)南房総市丸山町石堂302
安房三十四観音霊場第二十番
安房国白寿六地蔵尊霊場第六番
関東百八地蔵尊霊場第八十番
花観音 東国花の寺百ヶ寺第七十四番
関東九十一薬師如来霊場第九十番
神亀3年(726)聖武天皇勅願により行基が開創(大塚山)。仁寿年間(851〜854)円仁により再興。創建当時の寺名は石塔寺。水晶でつくられた宝塔が、当山に納められていることに因んだ命名。日本三石塔寺のひとつ。(滋賀と群馬の石塔寺)後に足利頼氏がこの寺で養育さたことから、頼氏の幼名石堂丸にちなんで改名された。本尊は十一面観音立像。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
長楽山 智光寺南房総市(旧安房郡三芳村)山名
安房三十四観音霊場第二十一番本尊の千手観音は行基作とされている。
道場山 勧修院南房総市(旧安房郡三芳村)上堀35
安房三十四観音霊場第二十二番本尊の千手観音は行基作とされている。
金銅山 宝珠寺南房総市(旧安房郡三芳村)府中687
安房三十四観音霊場第二十三番本尊の十一面観音は行基作とされている。里見氏の祈願所。
高倉山 真野寺(真野大黒天)南房総市(旧安房郡)丸山町久保587
安房三十四観音霊場第二十五番鹿島大神の託により行基が堂宇を創建し、自作の覆面千手観音像を奉安したのが始まりとされている。(725)大黒天像は貞観二年に慈覚大師が彫り上げ たと言われる御秘作で、朝日開運大黒天と称えられている。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
中嶋山 住吉寺南房総市(旧安房郡)千倉町南朝夷1353
安房三十四観音霊場第二十七番本尊の正観音は行基作とされている。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
不動院 長勝寺(浪切不動尊)山武市成東

行基が諸国行脚の際、成東に立ち寄り、この近海に海難の多いことから海難除けの不動明王尊像を刻み、寺を建立したのが始まりと伝わる。
醫王山 妙覚院 東大寺印西市平岡1230

当山は、古書によりますと、無本山一山の旧跡で、南都(奈良)東大寺(華厳宗)の関東別院といわれており、開祖は、行基菩薩とも、東大寺初代別当・良弁僧正とも言われております。又、本尊は、東大寺大勧進・俊乗坊重源感得の像で、江州(滋賀県)多賀大神の化現、信州(長野県)善光寺一体の分身で、行基菩薩作の薬師如来像もありました。
地蔵寺印西市(旧印旛郡印西町)別所

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
角龍山 医王院 栄福寺印西市(旧印旛郡北印旛村)印旛沼

本尊の薬師如来は行基作と伝えられている。
医王院 松蟲寺印西市(旧印旛郡印旛村)松虫7

天平(729〜749)の頃、聖武天皇が行基に七仏薬師を刻ませ、また都の工匠たちをこの地に遣わし、その薬師をまつる大きな寺を建てさせた。その寺は聖武天皇の姫の名に因んで松蟲姫寺と呼ばれた。
北陸山 東栄寺旭市(旧香取郡干潟町)溝原

天平年間(729〜749)行基菩薩の創建に始まり、その後建暦年間(1211〜1213)、什覚の中興と伝えられている。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
地蔵院旭市(旧香取郡干潟町)万歳

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
薬師寺匝瑳市(旧匝瑳郡野栄町)川辺

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
瑠璃山 三光寺いすみ市(旧夷隅郡夷隅町)万木1111
外房七福神(弁財天)天平二戸津庚午(730)行基菩薩の開山による。以後定かでない。天正丙子(1576)円海和尚により中興とされる。当初は真言宗であったが中途天台に改宗する。(上総国誌)
新善光寺山武郡横芝光町(旧匝瑳郡光町)篠本

(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
稲葉山 阿弥陀院 蓮福寺山武郡芝山町飯櫃8

天平三年に、行基菩薩が東国に巡錫の際、熊野権現の御啓示により阿弥陀如来を敬刻開眼して当寺に安置して供養したのが開創である。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
乾坤山 日本寺安房郡鋸南町元名184
安房三十四観音霊場第八番神亀2年(725)聖武天皇勅願により行基が開き、弘法大師が修行したという曹洞宗の古刹。本尊は高さ約31mある露座の石の大仏で、磨崖仏としては日本一の大きさ。
(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)
鹿峰山 信福寺安房郡鋸南町大帷子字毛沢637
安房三十四観音霊場第九番本尊は行基作とされる如意輪観世音。
奇雲山 金胴寺安房郡鋸南町上佐久間字森1977
安房三十四観音霊場第十一番本尊の聖観世音は和銅二年(709)行基菩薩刻由来とされている。
玉崎山 観明寺長生郡一宮町一宮3316
外房七福神(寿老人)行基菩薩開基、慈覚大師中興を経て、江戸時代には玉崎神社の別当寺であった。


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