東京都 |
高徳寺 | 港区北青山 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
竜泉寺 | 港区南青山 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
願海寺 | 港区三田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
円照寺 | 新宿区北新宿 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
薬王院 | 新宿区下落合 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
光照寺 | 新宿区袋町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
西帰山 常光寺 | 江東区亀戸4-48-3 |
亀戸七福神(寿老人) (江戸六阿弥陀第六番) | 行基草創の地であると伝えられ、御本尊阿弥陀如来は行基作とされている。曹洞宗。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
光明寺 | 大田区鵜の木 |
| 寺伝によると、天平年間(729〜749)に行基が開創し、 弘仁年間(810〜824)には、関東高野山宝幢院と称したが、 寛喜年間(1229〜1232)に浄土宗に変わり、 関東弘通念仏最初の道場となった。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
大楽寺 | 大田区新蒲田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
安養寺 | 大田区西六郷2-33-10 |
| 733年(天平5)、皇子をもうけた聖武天皇の妃が、乳の出の悪いことを行基に相談したところ、安養寺の薬師仏に祈念するように献言を受けました。行基の教えどおりにしたところ、ほどなく願いが叶ったため、銀杏の木を寄進したといわれています。(霊木「乳銀杏」) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長遠寺 | 大田区南馬込 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
聖輪寺 | 渋谷区千駄ヶ谷1-13-11 |
| 開基は725年行基、中興の開山は1657年法印宥光上人。本尊は開祖である行基作の如意輪観世音菩薩。 |
慈雲山 荻寺 光明院 | 杉並区上荻 |
| 当寺の縁起によると、本尊千手観音は、行基菩薩の真作にして、和銅元年(708)某行者尊像を笈して此の地を通るや、不思議にも尊像重くして、歩くこと能はず、行者思ふに、尊像此の地に縁ありと、附近一帯に繁茂せる盧荻を刈りて、草堂を営み、佛を安置し草堂を荻堂(荻寺)と名付けた。爾来此の地一帯を荻窪と称した。 |
慈雲山 正法院 | 豊島区西巣鴨4-8-1 |
| 天平2年(730)行基により下谷に神仏習合寺院として創建されました。神仏分離令により下谷稲荷(現下谷神社)を分離し、その後当地に移転しました。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
性翁寺 | 足立区扇 |
| 木造阿弥陀如来坐像は、「新編武蔵風土記稿」によれば、足立庄司宮城宰相が、愛娘足立姫が荒川に身を投げたことを悲しみ、紀州熊野権現に参籠した際感得した霊木で仏を造刻するよう僧行基に頼んだところ、6体の阿弥陀如来像(六阿弥陀)を彫刻したあとのさらに余った根元の木で作ったものであるといわれている。このことから、別名「木余り如来」あるいは「根元阿弥陀」と呼ばれているとのこと。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
恵明寺 | 足立区江北 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
大乗院 | 足立区西保木間 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
実相院 | 足立区西伊興町 |
| 子育観音(木造観世音菩薩立像)が行基作との伝説がある。 |
光福寺 | 江戸川区松島 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
寿昌院 | 江戸川区松本 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
高尾山 薬王院 有喜寺 | 八王子市高尾町 |
| 天平16年(744)行基によって開かれ、薬師如来を安置する薬王院が建立された。成田山、川崎大師とともに真言宗智山派の大本山。本堂両側に大天狗・小天狗が羽を広げて立つ。1375年に俊源大徳によって飯縄[いづな]大権現が本尊として祭られるようになり、戦国武将の信仰を集めた。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長福寺 | 八王子市川口町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
宝生寺 | 八王子市西寺方町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
安楽寺 | 青梅市成木 |
| 行基が和銅年間に彫刻して安置した軍茶利明王が基になっていると伝えられ、京都の仁和寺の直末として、源頼朝・足利尊氏らが尊信したとも伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
大悲山 塩船観音寺 | 青梅市塩船 |
| 寺伝などでは大化年間(645〜650)に若狭国の八百比丘尼が関東を遍歴したときに、ここに千手観音を安置したのが始まりとされている。天平年間(729〜749)に僧行基が荒廃していた堂を再建し、ここの地形が船型に似ていたので、仏が衆生を済度する「誓いの船」に擬して塩船と名付けたもの。 |
高幡山 明王院 金剛寺 | 日野市高幡 |
| 草創は古文書によれば、大宝年間(701)以前とも、或いは奈良時代行基の開基とも伝えられるが、平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の削がん勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定め、山中に不動堂を建立し、不動明王を御安置したのに始まる。真言宗智山派別格本山。 大日如来像、不動明王像、二童子像、菩薩像(三躯)、歓喜天像等、平安時代の古像が現存している。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
千手院 | 野田市小野路町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
普光山 福王寺 薬師堂 | 町田市野津田町3409 |
武相寅歳薬師如来霊場第十八番 | 天平年間(729年 - 749年)の草創。行基菩薩が薬師如来(秘佛で十二年に一度、寅年の四月上旬から五月上旬の一月間だけ扉が開かれる)を彫った。薬師堂が開山。もとは北方にあったが新田義貞らの兵火により焼失。高野山真言宗。 |
常楽院 | 調布市西つつじケ丘4ー9ー1 |
(江戸六阿弥陀第五番) | 天平年間(729?748)に行基菩薩の開創と伝えられ、本尊阿弥陀如来も行基作と伝えられている。当寺はもと、宝王山常楽院長福寿寺という名称で、現在の東京都台東区上野広小路にあったが、昭和20年3月の戦火で焼失したのを機に、現在の調布市に移った。当地にはそれまで、福増山延命院蓮蔵寺という無住の寺があったが、その寺と合併する形で福増山の山号を継ぎ、福増山常楽院となった。 |
樹光山 浄土院 常楽寺 | 稲城市東長沼2117-2 |
多摩川三十三観音霊場第十六番 | 行基創建とも慈覚大師創建とも伝えられている。阿弥陀堂の阿弥陀如来は行基作とされている。 |
神奈川県 |
宝蔵院 | 横浜市鶴見区馬場 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
良忠寺 | 横浜市鶴見区矢向 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
総持寺 | 横浜市鶴見区鶴見 |
| 行基の建立した諸獄寺が前身と伝えられている。 |
本覚寺 | 横浜市神奈川区高島台 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
瑞応山 弘明寺 | 横浜市南区弘明寺町 |
坂東三十三か所霊場第十四番 | 随応山の近くを通りかかった時に、白い蓮華が古木の上に散っているのを見てここを霊地と知り、その古木で本尊の十一面観音像を刻んで一宇を営んだのが草創とされている。(737)が、像は10世紀〜11世紀の作らしい。弘仁5年(841)弘法大師が彫ったという歓喜天が奥の院に安置されている。 |
東光寺 | 横浜市保土ヶ谷区上星川町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
海照寺 | 横浜市磯子区坂下町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
薬王寺 | 横浜市金沢区寺前町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
持明院 | 横浜市金沢区富岡東 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東照寺 | 横浜市港北区綱島西 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
蔵田寺 | 横浜市戸塚区上倉田町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
専念寺 | 横浜市戸塚区谷町1021 |
| 鎌倉権五郎景政の祈祷所として建てられたものです。景政の守護仏として行基菩薩の作といわれる薬師如来像が安置されております。 |
正覚寺 | 横浜市港南区港南町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長源寺 | 横浜市旭区上川井町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
観音寺 | 横浜市泉区新橋町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
観音寺 | 横浜市都筑区池辺町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東漸寺 | 横浜市都筑区佐江戸町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
願成寺 | 横浜市西区西戸部町 |
| 寺伝によれば奈良時代(708〜782)に行基が当地巡錫のみぎり、亀の導きでこんこんと湧く泉を見つけたことから法亀山と名づけた、とあり、山号として今に伝わる。 |
法栄寺 | 川崎市川崎区殿町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
真福寺 | 川崎市川崎区堀之内町 |
| 御本尊が行基作とされている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
西明寺 | 川崎市中原区小杉御殿町 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
影向寺 | 川崎市宮前区野川 |
| 縁起によると、天平12年(740)光明皇后の病がいえたのを記念して聖武天皇の願により行基が開基したとされている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
岡上山 東光院 宝積寺 | 川崎市麻生区岡上 |
| 行基の創建と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
香林寺 | 川崎市麻生区細山 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
曹源寺 | 横須賀市公郷町 |
| 行基によって開かれ、本尊の薬師は行基作と伝えられている。往古は宗元寺、宗源寺と称し、三秀山(東光山)と号した。建久三年八月、頼朝の奥方政子夫人の安産の祈願所であった。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
能満寺 | 横須賀市鴨居 |
| 行基の創建と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
長徳寺 | 横須賀市長井 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
称名寺 | 横須賀市野比 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
白瀧山 高巌寺 | 相模原市上溝6-18-4 |
武相観音四十八ヶ所霊場第三十番 | 行基作の正観世音菩薩が祀られている。 |
金目山 光明寺(金目観音) | 平塚市南金目 |
坂東三十三か所霊場第七番 | 巡錫中に高さ1.7mの観音像を刻み、その胎内に聖徳太子作とされる金銅仏を納めた(729〜748)。潮汲みの海女の桶に入った金銅仏を家内で祀ったのが、光明寺の始まりとされている。歓喜堂には大聖歓喜天、七福神が祀られ、釈迦堂には文殊菩薩・普賢菩薩を従えた釈迦如来像が安置されている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
杉本寺 | 鎌倉市二階堂710 |
坂東三十三か所霊場第一番 | 光明皇后の御願により大臣藤原房前と僧行基に命じ、堂宇を建立し、行基が自作の十一面観音を安置して開創。(734)本堂には、行基作の像の他、慈覚大師作、恵心僧都作の3体の十一面観音が本尊として安置されている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
光海山 長谷寺(長谷観音) | 鎌倉市長谷 |
坂東三十三か所霊場第四番 | (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
高徳院 | 鎌倉市長谷 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
海蔵寺 | 鎌倉市扇ヶ谷 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
星井寺(虚空蔵院) | 鎌倉市坂ノ下 |
| 天平年間、聖武天皇の命により、行基が井戸より出現した虚空蔵の形の像を安置した事に始まると伝えられている。 |
竜護山満福寺(腰越満福寺) | 鎌倉市腰越2-4-8 |
| 創建は天平16年(744年)、行基菩薩による開山とされている。奈良時代、関東に疫病が流行し、多くの死者が出た折り、聖武天皇の命令で行基は関東に下り、ここで薬師三尊を彫り、祈祷すると疫病がおさまり、これが寺の起こりだと伝えられている。 |
香林寺 | 小田原市板橋 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
一徳寺 | 小田原市田島 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
東学寺 | 小田原市別堀74 |
関東九十一薬師霊場第二十六番札所 | 本尊の寅薬師瑠璃光如来は行基菩薩作と伝えられる。 |
延命寺 | 逗子市逗子 |
| 天平年間(729〜749)行基により開基。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
神武寺 | 逗子市沼間 |
| 行基の開創で、聖武天皇が霊夢を見、命を受けた行基が十一面観音、釈迦如来、薬師如来を祀ったのが寺のはじまりと伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
法勝寺 | 逗子市沼間 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
岩殿寺 | 逗子市久木 |
坂東三十三か所霊場第二番 | 行基が自作の十一面観音を本尊として安置したのが始まり。(?年) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
持陽山 慈雲寺 | 三浦市南下浦町毘沙門 |
| 毘沙門天は行基作と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
岩浦山 福寿寺 | 三浦市南下浦町金田2062 |
三浦三十三観音霊場第七番 | 御本尊の聖観世音菩薩は行基菩薩の作といわれている。臨済宗・鎌倉建長寺の末寺。開山は、慶叔大孝禅師大和尚で、建暦二年三月(1212)開基は三浦大介義明の孫に当る、三浦駿河守義村で、寺は正治二年(1200)三月建立とされている。 |
五劫山 天養院 宝泉寺 | 三浦市初声町和田 |
| ご本尊の薬師如来は行基作とされている。和田義盛ゆかりの寺で、本尊・薬師像は義盛の身代り薬師といわれている。 |
国分寺(蓑毛大日堂) | 秦野市蓑毛 |
| 行基が聖武天皇の勅命により創建したと伝えられている。 |
宝城坊 | 厚木市飯山 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
飯上山 長谷寺(飯山観音) | 厚木市飯山 |
坂東三十三か所霊場第六番 | 縁起が2つあり、1つは神亀2年(725)に巡錫中の行基が観音像を刻み、胎内に泉の観音に入っていただいて寺院を設けて祀ったとされており、もう1つは810年ころに旅僧が、大和長谷寺の仏材で行基が刻んだ観音像をもたらしたとされている。建久年間(1190〜99)に、源頼朝が堂宇を造営させたのが始まりと伝えられる。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
信法寺 | 大和市上和田 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
霊山寺(日向薬師) | 伊勢原市日向 |
(日本三大薬師の1つ) | 716年頃、行基が開創したといわれている 日本三大薬師(他は土佐・柴折薬師、越後・米山薬師)の一つ。伊勢原市丹沢の大山阿夫利神社東山麓にある。 |
妙法山 持宝院 星谷寺(星の谷観音堂) | 座間市入谷3-3583 |
坂東三十三か所霊場第八番 | 巡錫中に星谷の「見不知森」の中で法華経を聞き、森の奥の古木の根元に観音の姿を見い出し、土地の人にそれを伝えて堂を建て、観音の霊場としたとされている。星谷寺七不思議など古くからの言い伝えが数多くあります。(729〜748) (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
楊谷寺 | 中郡大磯町大磯 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
真勝寺 | 中郡大磯町国府本郷 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
王福寺 | 中郡大磯町寺坂 |
| 天平年間に行基の創建と伝えられている。 (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |
万福寺 | 三浦郡葉山町下山口 |
| (行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院) |