競馬翁「安田伊左衛門」展


[2001/11/04撮影]

岐阜県海津郡海津町にある「海津町歴史民俗資料館」の
第10回特別展「安田伊左衛門展」に行ってきました。


海津町歴史民俗資料館の外観


低湿地で行われていた「堀田(ほりた)」の復元

入り口は2階で、そのフロアの第1・2展示室では、輪中と低地の農業についての説明や、農具・民具の展示があります。

3階は、高須松平藩御館の一部が復元されており、広い能舞台では「狂言」を拝見できました。

1階の階段付近に「高須輪中大地型模型」があり、「安田伊左衛門展」はその向かいあたりで展示されていました。


「安田伊左衛門展」 平成13年10月30日(火)〜11月25日(日)

開館時間午前9時30分〜午後5時(入館受付は4時30分まで)
休館日月曜日(当日が祝日の時はその翌日)
入館料一般310円・小・中学生150円

6月に行われるG1「安田記念」のレース名の由来は、
日本競馬会の父といわれる安田伊左衛門氏によるものです。

明治五年七月二十八日生まれ。幼いときから馬が好きで、帝国大学農業科大学(現東京大学農学部)に進んだ頃は、大学近くの陸軍乗馬学校の教官も舌を巻くほど、馬に乗ることが上手になっていました。

日露戦争で再招集されたのちは、当時外国に比べ劣っていた日本の軍馬の改良のためには、競馬を盛んにするのが有効と考えて、その実現に努力し、明治三十九年に「東京競馬会」を設立しました。

やがて、競馬の賭博性が社会問題化し、馬券発売を禁止する動きが高まると、馬匹業界全体の衰退を招くとして、自ら衆議院議員となり、大正十二年、悲願であった競馬法(馬券発行許可)を可決するはこびとなりました。

昭和二十九年九月、戦後設立した日本中央競馬会(JRA)の初代理事長に就任し、日本競馬会の発展に大いに貢献しました。そして、昭和三十三年に、文字通り競馬とともに生きた八十五年の生涯を終えました。

(いただいたパンフレットから抜粋)


'98の「安田記念」のポスター
横のパネルと比べるとわかると思いますが、かなり大きなものでした。


安田伊左衛門氏の肖像画


千葉の三里塚御料牧場に建てられた墓碑の碑文。
安田伊左衛門氏によるもの。
(フラッシュで見づらくなってすみません。)


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