●2007.04.02(Sun.) |
やっと「観音院」等の写真をUpできましたが、いただいたパンフレットを読んでて気になったことが。
陶器山の手前の道標で右に行ったけど、左に行くと「三都神社」があったようで、ここもまた「観音院」同様、「熊野権現」が勧請されているんですね。神社近辺の地名「今熊」は、「今熊野」からきているようで。
「観音院」は阿弥陀堂の向かいに鳥居があり、稲荷社と熊野権現社が並んでいるんだけど、「三都神社」にあった真言宗の「金蔵寺」は廃寺になっていて。
「金蔵寺」の詳細はわからないようだけど、真言宗で子院や伽藍があった大きなお寺のようなので、ひょっとしたら行基も関係しているかもしれないなとも思うが、「根来寺との関係が推測される」とされているあたり、びみょ〜なんだな。
泉大津市にあった「極楽寺」と「金蔵寺」は、規模や空海が絡んでいる(?)点で似ているように思われるが、信長に焼かれる前、根来衆に焼かれているようだし。
「金蔵寺」が同じ理由で焼かれたとしたら、「観音院」が無事だった理由とは・・・。
行基と熊野権現の繋がり、ちょいと調べてみなきゃ。
ん?以前調べたような、そうでないような・・・。(どっちやねん)
先月、和歌山の「藤白神社」で、聖武天皇が行基を詣らせ、熊野三山に皇子誕生を祈らせたところ、高野皇女が誕生した、ということを書いたけど・・・。
あと、何度か書いている「日向薬師」、行基が薬師如来を彫る際に協力した「若光を祭ると供に熊野権現を勧請」して、「白髭神社」を創建している・・・。
そういえば、行基ゆかりとされる「金蔵寺」という名のお寺、兵庫県多可郡にあるんですよね。ここの場合、
その昔、笠形山に湧出した黄金仏薬師如来が、この地方の地神と崇められた熊野権現の導きにより、金蔵山へ移ったのを大和大峯山の役の行者が御仏のお告げを蒙り来山、この山を開き、さらに行基菩薩が天平3年(731)に登山し、尊像を拝して自ら大きな仏像を刻んで黄金仏を胸に納めて本堂を建て、爾来、金蔵山金蔵寺と称するようになったと伝えられている。 (http://www.kotobuki-p.co.jp/kensaku/data/10ko37.htm) |
とのことで、「この地方の地神と崇められた熊野権現の導きにより、金蔵山へ移った」というあたり、興味深いですね。
山武郡芝山町飯櫃の「蓮福院」では、開創の時に行基が
「熊野権現の御啓示により阿弥陀如来を敬刻開眼して当地に安置。」 |
さらに弘法大師が
「大同年間当地に来られて熊野三社権現を勧請され梛の木を植えられ、大きな塚をお作りになり六万部の教典を読誦し開眼供養された。」 |
とのことで。そしてさらに、
「八代弁賀上人が紀州根来寺よりの真言宗のこの地域の本寺としての法流を受け継ぎ伽藍復興の基盤を作る。」 |
とのことで、フルキャストとも言えそうな。(http://www.renpukuji.or.jp/html/engi.html)
また、香川の塩江温泉に「六角堂」があり、「熊野権現の導きで行基が発見したと伝えられる」源泉だそうで。
(http://homepage1.nifty.com/odemu/2003/0321si/0321a05.htm)
他にもいくつか出てきましたが、「み熊野ねっと」さんのサイトによると、
「熊野本宮大社」の主祭神の「家都御子神(けつみこのかみ)」は阿弥陀如来 、新宮の「熊野速玉大社」の「熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)」は薬師如来、「熊野那智大社」の「熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)」は千手観音とされる。 そもそも熊野権現と申すのは、役の行者・婆羅門僧正が真の本地そのままを信仰されたのである。 |
とあって。八角形の水晶ってピラミッド?でも「十一面観音」はないんだなぁ、と。あ、「十二所権現」の中の「五所王子」の「若一王子」と「禅師の宮」が「十一面観音」と、ありますね。
いや、キリスト教に関連させたいわけじゃないけど、「八角形」という文字があると、その方面との共通性の有無が気になったりするわけで。
「英彦山」・・・あ、「求菩提山」のことで2002/02/05(tue.)分にあった。「求菩提山」は「英彦山」の北東約10キロの位置にあり、かつて「英彦山」「犬ヶ岳」と共に「修験道の山」だった・・・。
が、何で「求苦提の神(神社)は昔、「求菩提山権現」または「求菩提山白山権現」と称した。」のか。
「白山」というと泰澄?あ、だから2002/02/05(tue.)分は、石動から求菩提山に移ったんだっけ。
「求菩提山」の神は草創のころは「大己貴命」であった、そして「石動山」の「火宮の蔵王大権現」の祭神が「大物主命」・・・「大己貴命」と「大物主命」は同じ神とされていることが多いが・・・。
「大己貴命」と「大国主命」が同じ神とされているなら、「大己貴命」と「大物主命」は別かも?じゃ、泰澄は何を示そうとしていたのだろうか・・・「求菩提山白山権現」と「白山権現」は別だということかなぁ。
ん?「白山信仰とその歴史」(http://www.geocities.jp/une_genzaburo/Shirayama.htm)に、「大汝峰の大汝神社には大己貴神(おおなむちのかみ=大国主命)を、別山の別山神社には白山の地主神である大山祇神(おおやまつみのかみ)をお祀りしています。」とあって、どっちなの!?と。
だけど、「大己貴神(または大男知神)(おおなむちのかみ)は、阿弥陀如来の垂迹神といわれています。大山祇神は聖観音(しょうかんのん)の垂迹神といわれています。」とのことで、「大己貴神」と「熊野本宮大社」の主祭神「家都御子神(けつみこのかみ)」が繋がるのかな、と。
あ、「漢國神社」(奈良市韓国町)の御祭神が園神・韓神で、大物主命・大己貴命・少彦名命とあって・・・なかなか興味深い説が。
(漢國神社:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kangoji2.html)
(京都市の新羅神社:http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/142.htm)
(折口信夫・唱導文学:http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/47188_35992.html)
「聖武天皇は、藤原一族でありながら、仏教の力によって藤原の行き過ぎを必死で是正されたのであった。」とされているが、果たして「仏教」だったのかどうか・・・。
園神(大和系の神)の「大物主命」。「大物主命」は「火明命」で「ニギハヤヒ」で「賀茂別雷神」で、「ヤタガラス」の父、ではないかというのを書いたことがあるが・・・。
瑞応山弘明寺(神奈川県横浜市南区弘明寺)
「行基菩薩が当地に来た時、空中に白蓮が乱れ飛び、山上の古木のあいだに落ちるのを見た。さっそく山に登ったところ、白狐と烏に乗った神(稲荷明神と熊野権現)が現れて、善無畏三蔵の事跡について語った。行基は荒削りの観音像を一刀三礼して作り、この地に安置した。天平九年(737)のことといわれる。さらに弘仁年間(810〜824)には、筑波山にいた弘法大師が、はるかに瑞雲がたなびくのを見て、当地に巡錫してきた。そして、善無畏と行基の跡を継いで伽藍を建立し、一千座の護摩を修したといわれている。」 (http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/reikenki/bando/reijo14.html) |
堺市の行基ゆかりの「観音院」では、稲荷社と熊野権現社が並んで建っていた・・・。
善無畏三蔵・・・「善無畏」とは、「(637〜735)密教列祖の一。インドのマガダ国の王子。中央アジアを経て長安に入り、玄宗の勅命により「大日経」などを漢訳、中国密教の基礎をつくった。」(大辞泉)とのことで、また新たな謎が。
あー、「善無畏」「行基」で検索したら出てきた!富山県南砺市安居の「安居寺」。
「インドから渡来した善無畏三蔵によって718年(養老2)に開かれた名刹。奈良時代に聖武天皇の勅願所として、行基が勅命を受けて壮大な伽藍を造営。」 |
「医王山」の北東約13キロほどのところですか。御本尊は「木造聖観音立像」で、「本堂には珍しい見返阿弥陀如来立像も安置されている。」とのことで、熊野権現と繋がるのかなぁと考えてみたりして・・・。
「安居寺」・・・あ、四天王寺の近くに「安居神社」があったなぁ、道真ゆかりの。境内社に「金山彦命」があって、昔は鉱物が出たんじゃないかなぁ。って、関連は薄いかな。
それにしても、今回もまた覚え書きに留まってしまうようで・・・すみません。
●2007.04.05(Thu.) |
小豆島の行基ゆかりのお寺に行ってみたいけど・・・と考えていて、何故か「宝篋印塔」のことが頭をかすめた。上記にある「観音院」にもあったんですよね・・・。ってことで調べてみまして。
まず、「宝篋印経」とは何ぞや、と。
「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」を略して「宝篋印陀羅尼経」といい、
このお経のなかに「一本の線香や一本の花(一香一華)を供えて礼拝し、供養すれば、八十億年もの極めて長い間の過去におかした重罪もいっぺんに消えてなくなり生きている間は災いから逃れ、死後は極楽に生まれる」と書かれています。 (http://www.asahi-net.or.jp/~cb9s-jyuk/kaikokutou/kaikoku.htm) |
とのことで、「即身成仏」についてのお経で。それを根本経典の1つとする宗派が検索で出てきた・・・「仁寛」を開祖とする「真言立川流」。(http://www15.ocn.ne.jp/~ateliera/tatikawa.html)
「理趣経」も根本経典の1つだそうで、
とのことで。また、そのことに関して、
弟子の兼蓮が陰陽師だったと言うのも、充分ありそうな話しである。陰と陽を「女性原理」と「男性原理」とし、これを密教の「胎蔵界」と「金剛界」と照応し、「理趣経」の文章を即物的に解釈した、というのも自然な話しだ。 (http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/tachikawa/ninkan.htm) |
で・・・「ウィキペディア」を見たところ、「特に髑髏本尊は大頭、小頭、月輪行などの種類があり・・・」とあり、「月輪行」というのがあった。「月輪観」は真言密教の瞑想法の1つらしいが、「月輪行」は・・・。
「脚注」の「両液に糊としての作用はない。」は笑えたけど・・・。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E6%B5%81_(%E5%AF%86%E6%95%99))
司馬氏の「兜率天の巡礼」が収録されている「ペルシャの幻術師」に「牛黄加持」があり、そこに真言密教の加持が書かれていて、「お精水」が出てきて面くらったけど、「髑髏本尊」は「和合水」・・・。
司馬氏も立川流について一時調べたことがあると書かれていたが、ひょっとしたら「秦氏」と「空海」の繋がりを、そのあたりから探ろうとされていたのかも・・・と。
そういえば、北大路欣也氏が演じた「空海」で、洞窟で悟りを開く前は煩悩に苦しみ、そのなかには女性のこともあったような・・・うつろな記憶なので、定かではないが。
「ウィキペディア」に、「儀式の奥には別の真実が隠れている。(中略)僧侶とその伴侶の女性が悟りを得ることがその目的だからであり・・・」とされている部分、「ダ・ヴィンチ・コード」で「ソフィー」が見た祖父の「儀式」と似ているように思うのだが・・・。
で、「宝篋印経」から意外な、というか、やっぱりというか、繋がりが検索で出てきた。「狭山池 埋蔵文化財編page10 [第2章]第2節 樋の調査」に、
東大寺南大門金剛力士像(阿形・吽形)内より最近発見された「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」の交名や、金剛杵の墨書にも■阿弥陀仏の名が見える (http://www.skao.net/rack/ike/ike10.html) |
「重源狭山池改修碑」に「■阿弥陀仏」という名が出てきて、それが「交名」の中にあったので、「高野山の僧鑁阿」のことではなかろうか、と。(拓影拡大画像(106,851byte):http://www.skao.net/rack/ike/ike10_s1.html)
「鑁阿」で検索したところ、「鑁阿寺」という真言宗寺院が足利市にあり、
源義家が下野守の時別荘として建てたのがその始まりという。その子義国は初めてここに住み、義国の子義康が地名をとって足利氏を名乗った。その子義兼は1189年、構内に持仏堂を建て、1196年に剃髪して鑁阿と号し、持仏堂を鑁阿寺と改めて氏寺とした。 (http://www.pref.tochigi.jp/gateway/rekishi/rekishi2_04.html) |
とあるので、その人ではないかと思われるわけで。また、
とのことで、な〜んか気になるんですよね・・・。
「重源」は東大寺を再建し、「狭山池」を改修しており、行基のことも充分知っているであろうし、「鑁阿」同様「高野聖」だったので、「宝篋印陀羅尼経」だけでなく「理趣経」も理解していたと思われるわけで。
(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0063.html)
で、「宝篋印塔」に戻りますが、「宝篋印陀羅尼経」を納める「塔身」の部分に「月輪」があるんですね。そこに梵字が刻まれていて、「五智」を表わしているそうで。
(塔自身) | 空 | 大日如来 | |
東面 | ウン | 風 | 阿閃如来 |
南面 | タラーク | 火 | 宝生如来 |
西面 | キリーク | 水 | 阿弥陀如来 |
北面 | アク | 地 | 不空成就如来 |
「五輪塔」は「五輪法界塔婆」といい、空海が中国から持ち帰ったものだそうで、上から空・風・火・水・地、真言密教でこれらは「万物構成の要素」とされているそうで。
(http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/6663/m_rkouza/html/s_sekizo.html)
ということは、「宝篋印塔」も「五輪塔」も、真言宗が絡んでいると言えるのでは。空海はそれらに、密教だけでなく、習合させたものがあったのでは、と考えられなくもないかな、と。
「宝篋印塔」で検索した時、先に出てきたのが「墓と語る」さんのサイト(http://www5f.biglobe.ne.jp/~ohaka/index.htm)で、岡山のお寺などの写真が主な中、京都の「法輪寺」があって、そこにも「宝篋印塔」が写っていた・・・。
さらに、岡山の「金陵山西大寺」や「安養寺」にも。「近水園」には「マリア灯篭」が。
「金陵山西大寺」は「報恩大師」の開山だそうで、「報恩大師」の詳細はわからないものの、「孝謙天皇の病を加持祈祷によって治癒し、その功によって備前四十八ケ寺の建立を許された。」という伝承があり、行基と近い、あるいは同じ時代にいた人であろう、と。
「安養寺」の開祖は空海の甥の「円珍」で、どうやら「栄西」も絡んでくるようだが、「栄西」は堺でキリシタンたちとの交流があったと思われるわけで。
そして「重源」が備前国での活動の拠点にしたのが、岡山市湯迫の「浄土寺」で、宋からの帰りは「栄西」と同じだったそうで。そして紀氏の出。
(http://www.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/tyougen/tyougen.html)
2007.03.01(Thu.)分に書いたように、「宝篋印塔」はキリシタンの墓碑と繋がるものがあるようで、「菊」や「水」の紋がキリシタンの証しとして刻まれ、「水間寺」などにあるという・・・。
「墓と語る」さんのサイトに、「戦国時代の武士の墓」として「長宗我部元親の墓」が挙げられているが、「長宗我部元親」は秦氏系でキリシタンだった・・・。
兼蓮が「理趣経」の文章を即物的に解釈した、とされていることと、行基が「唯識」をすぐに解したとされているのと似てるように思われ、それらのことを含め、行基ゆかりのお寺にあった信仰が受け継がれ、形として残されたものが「宝篋印塔」だったり、「キリシタン燈籠」だったりするのではないかと思うのだが。
あ、2004/03/25(Thu.)分に、「報恩大師」と行基の繋がりを追って覚え書きしてましたので、ご興味のある方はご覧くださいませ。
そういえば「荼吉尼の秘法」って、「新カルラ舞う」に出てきたような・・・何度も読んでるハズなのに、忘れてしまってる。京極氏の「狂骨の夢」も、誰かが「ソフィー」のように偶然儀式を見てしまった、というのをうっすら覚えてるだけで・・・。
●2007.04.06(Fri.) |
あったぁ、「荼吉尼の秘法」が。「カルラ舞う18」の「伏見狐勧請戸籍譚」だった。ふーん、生きた人間の腎臓(胆石)が供物ですか。あ、司馬氏の「牛黄加持」は「牛の結石」なのね。
東大寺二月堂では、お水取りの行法中に牛玉日が定められており、「牛玉・陀羅尼」摺りが行われます。御札の牛玉墨には、墨汁、お香水と、牛黄が混ぜ合わされます。この護符を「牛玉宝印」といって、無病息災、厄よけのお守りとして有名です。 (http://www.asm.ne.jp/~seikou/syouyaku/gou.htm) |
というのがあり、また、
修二会では、法要の始めに「牛玉降(ごおうおろし)」が行われる。錫杖を鳴らし牛玉を堂内に 呼びこみ、その活力により法会の無事を祈り、魔障を払うものである。 (http://www.narayaku.or.jp/narayaku/narayaku/02_5.html) |
とのことで。また、「八咫烏神事」というのもあるそうで。(http://www.hongu.info/maturi/yatagarasu.html)
あ、「陰陽師」にもありましたね、晴明が「羅城門」で護摩を焚いて。雪の「白」は「金」の気だから、「金」に勝つ「火」によって春の「木」の気を呼ぶ儀式、ということやね。で、「お水取り」が終わると春がくる、と。
とのことだが、「不老長寿」といえば「徐福」を思い出す・・・が、話がまたややこしくなるのでやめとこ。
「神農」といえば、「大国主命」の国造りを手伝ったとされる「少彦名命」と習合されてたりして、大阪・道修町の製薬会社の近所では、共に祀られていたりするわけで。
ん?荼吉尼天と稲荷を東密が習合した、と?これかぁ、なるほど。伏見稲荷、秦氏だな。
●2007.04.10(Tue.) |
DVDでふと「三菱」のマークを見て・・・菱形を半分にして、ちょいちょいと動かせば、北条氏の家紋になっちゃうし、切り取った三角形をくっつけて重ねると、ダビデの星じゃないの?と。
検索してると「澤田美喜記念館」があった。(http://www.town.oiso.kanagawa.jp/kanko/sawada.htm)
「長い海外生活の中、キリスト教の教えを愛した彼女は・・・」とあるが、そもそもキリシタンだったのではないか、とも思えて。
「ウィキペディア」によると、
三菱グループのシンボル「スリーダイヤモンド」の基のひとつとなった家紋の「三階菱」は、武田氏に由来するという(ほかに土佐藩主山内氏の家紋「丸に土佐柏」を元にしたとの説もある)。しかし日本古来の原住民である山祇族の流れではないかという説もある。 (中略) 岩崎家が土佐に移った時期は不詳だが、当地では安芸氏、長宗我部氏、次いで山内氏に仕えた。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%B4%8E%E5%AE%B6) |
とのことで。「長宗我部氏」は秦氏系でキリシタンだったわけで。また、武田氏で検索すると、
武田信弘は文治三年、平戸黒髪山麓に居を構え、のちに宇久島に渡って城を築き、やがて宇久久次郎家盛と号した。」(http://www2.harimaya.com/sengoku/html/uku_k.html) |
とある。
五島の真言宗本山に「明星院」があり、
弘法大師(空海)が中国から留学の目的を達して帰朝の徒次お立ち寄りになり、当山に本尊虚空像菩薩を安置してあると聞き伝えられ参篭し祈願された、という。(http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/omura17.htm) |
また、「鎮南山清浄寺」には、
境内には宇久氏歴代の当主のうち、9代・勝、10代・基、11代・儀、12代・定、13代・勝、14代・幡、15代・覚、19代・純堯の墓所がある。それにしても9代から15代までの当主はまだよいとして、何故にキリシタンであるはずの19代・純堯の墓所があるのだろうか? |
と、キリシタンがいたことを示しており、境内の宇久氏の供養塔は「宝篋印塔」のようで。
また、「清浄寺に代わってこの寺を菩提寺と定め、寺号を大円寺と改めさせた。」とされる「広嶽山大円寺」にも、「宝篋印塔」があるようで。(http://www.kenshinyakata.com/uku/uku-temple.html)
五島では行基の名はなかったが、空海が寺院をいくつか創建している。そして隠れキリシタンも多くいたようで・・・密教にキリスト教が習合されていたのではないかと想像するわけで・・・。
あ、「野母崎」にありました、行基ゆかりの「みさきの観音禅寺」が。(http://www.at-nagasaki.jp/archives/003/55.html?css=area.css)
三菱グループの「造船」から五島が出てきたわけだが、「香焼」という地は「弘法大師様が立ち寄った際にお香を焚いたことから名付けられたという伝説が残る香焼は、造船と漁業の町。」とのことで。
(http://www.at-nagasaki.jp/area/c013/)
しかし、「みさきの観音禅寺」に書かれている、「真言宗の寺院跡に建立された寺」って、どういうことだろ?
●2007.04.11(Wed.) |
キーボードの福田さんのブログを拝見し、おぉ〜!と。桜がきれい〜。で、その桜を見に行かれたという福井市の「足羽神社」に、「坐摩神」が祀られているじゃあーりませんか!調べてみよっと。
・・・あった。(http://www.asuwajinja.jp/)
福田さ〜ん、御由緒の看板をUpしてくださり、ありがとうございました。と、ここで書いても、だけど。
御神紋は「三光の紋」で「日(太陽)」と「月」と「星」・・・天王寺区の「三光神社」と同じなのだろうか。ならば、アマテラス・スサノオ・ツクヨミと「坐摩五神」はどう繋がるのか・・・。
で、「宇宙全体・大きなエネルギー、つまり御威光の壮大無辺を表しています。」ということは、「大日如来」のようなだな、と。「六地蔵宝塔」が六角形というのが、何やら意味ありげな。
うーん、柴田勝家はなぜ「愛宕大権現社」を一乗谷から足羽山に移したんだろ・・・。あ、「柴田勝家や島津家などが寄進」してる?ってことは・・・え、ルイス・フロイスが福井にも行ってる?ということは・・・。
何かと「神功皇后」が絡んで(?)くるので、ちと調べてみたところ、「聖母宮」があった。御神紋が「三つ星」・・・キリシタン燈籠と北条氏の家紋を思い出した・・・。(http://www4.ocn.ne.jp/~syomogu/index.htm)
「3」という数字から、どうもそっち方面に繋げてしまいがちになるんだが・・・。
どうせならと、「ルイス・フロイス」で検索してみた。
「Facusang(百済寺)と称する大学には、相互に独立した多数の僧院、座敷、池泉と庭園を備えた坊舎1000坊が立ち並び将に地上の天国(Heavenly Paradise)が・・・・・」と、ルイス・フロイスが絶賛したのが、聖徳太子創建とされる滋賀の「百済寺」だそうで。
また、その近辺に居住した渡来人の中心は「依智(エチ)秦公」で、「百済寺」は「一族の氏寺」だそうで。
(http://www.hyakusaiji.or.jp/contents/keyword/01.html)
ちなみに、「湖東三山」とされる「百済寺」「金剛輪寺」「西明寺」のうち、「金剛輪寺」は行基創建、円仁再興で、「松尾寺」とも言い、「秦川山」にあるという・・・。(http://www.biwa.ne.jp/~kourei/)
で、3つのお寺に「天海」やその弟子、そして天台宗が絡んでいるってのは、どういうことだろうねぇ。
で、「足羽神社」だけど、神社の名前から「坐摩神」が「諏訪神」だったら、タケミナカタが諏訪に着くまでに立ち寄った場所だったのかもしれないなと思ったんだけど、それなら岸和田の「積川神社」等に祀られている「坐摩神」と、タケミナカタとする「諏訪神」の関係がわからなくなる・・・ということは、別の何かと習合したのかも?
●2007.04.12(Thu.) |
今朝の新聞に、吹田市芝田町の「吹田操車場遺跡」から、「難波宮跡で見つかった瓦と同型の蓮の花の文様が入った軒丸瓦(複弁八弁蓮華文軒丸瓦)が出土した。」とのことで。
近くに「七尾瓦窯」があったことから、「難波宮への物流の中継地だった可能性がある。」とされており、「神亀3年(726)に造営が始まった後期難波宮で、聖武天皇の住まいなどに使われた瓦と同型」とのことで。
「掘立柱建物跡の南にあった土坑から見つかったが、亀裂が入っており、不良品とみられる。また、同じ土坑からは、未使用の硯「獣脚円面硯」の一部も見つかった。焼きが甘く、やはり不良品という。」と。
参照
七尾瓦窯跡:http://www.suita.ed.jp/hak/bun/mai/bun_mn1.html
岸部地域:http://www.suita.ed.jp/hak/bun/rekishi/bun_r9.html
「かつては吉志部神社の御旅所として神輿の渡御があった」とされる、「名次宮」の「天御中主尊」の石碑が興味深いですね。
遺跡とは反対側(東)に少し行くと、Qちゃんの通っておられた大学があり、阪急京都線の「正雀駅」があって、「正雀駅」の次の駅が「相川駅」で、JR「吹田駅」に向かう途中に行基ゆかりのお寺がある。
「慧日山 常光円満寺」の御縁起によると、「隣村の吉志部(現在の岸部)にあった円満井(えまい)流の猿楽(能楽)発祥の地である円満院と合併して、寺名を「常光円満寺」と改め・・・」とのことで、窯跡や遺跡近辺は土師氏や秦氏のテリトリーだったのではないかと思われるわけで。
「高浜神社」の御由緒によると、吹田近辺は「火明命・天香山命」を祖とする「次田連」のテリトリーのようであるが、「『二魂坊』或いは『日光坊』の脳(なづき)をまつるとしています。」とされているあたり、先日書いてた「髑髏本尊」を思い出したりするわけだが・・・。
あ、「常光円満寺」の中興が「覚鑁上人」だわ。そういえば「カルラ舞う」で髑髏を使った呪法があったような・・・中臣氏?対馬の卜部氏?って、あちこち寄り道すると長くなるのでやめておこう。(苦笑)
「七尾瓦窯」で焼いた瓦等を「吹田操車場遺跡」近辺で選別し、JRの線路に沿うように南下して「常光円満寺」で泊まり、そこから船で「難波宮」まで運んだのではないかと想像してたわけで。
で、その行程の安全を祈るのに、「名次宮」の「天御中主尊」にお参りして旅立ったのかな、とも。
「常光円満寺」の創建は、後期難波宮造営より10年後とされているが、それより前に布施屋のような建物があったのではないかと想像している次第で。
そう考えると、「佐井寺」までの行基の足跡が繋がるのでは、と。いや、千里丘陵にあった須恵器の窯跡、さらに北へと続いていたのかも・・・。
気になったので、「大辞泉」でちょっと調べてみた。
円満井座: 大和猿楽四座の一。四座中最も古い歴史をもち、興福寺・春日(かすが)神社に奉仕した。のちの金春(こんぱる)座。竹田の座。 金春流: 円満院: |
宇治の「平等院」は「三井別院」とされているんですか。鳳凰堂・・・阿弥陀堂でんな。
で、寄り道しかけてやめたけど、秦氏と中臣氏が「高浜神社」で繋がったかな、と。
「三井三門跡の一」が出てきたのは偶然なのか、それとも新羅明神=摩多羅神で、秦氏と中臣氏の繋がりを示している、あるいは、それらが「弥勒菩薩」や「坐摩神」との繋がりをも意味することになるのだろうか・・・。
「対馬の卜部氏」もちょいと検索してみたところ、「壱岐氏は古い時代の占部氏の出」とあった。そして「京都の松尾大社の社家」であった、とも。また、「月神は高皇産霊の子孫」である、と・・・。
出てきましたね、「神后皇后」の名も。
(http://members.jcom.home.ne.jp/ochozt-t/ikihtm/IKIURABE.htm)
「高皇産霊神」というと、「丹生祝(総神主)家系図」では「天之御中主神」の次にあり、紀氏や秦氏とも繋がり、「高木神」で「木俣神」(御井神)でもあり、「大国主命」の長男、「栲幡千千姫」の父、「ニニギ」の祖父・・・。
あ、みょ〜な寄り道して、とんでもニャ〜11を見ていたんだけど、先日書いた「坐摩神」が祀られている福井市の「足羽神社」の神紋「三光の紋」と同じ、「日(太陽)」と「月」と「星」を神紋とする神社があった・・・京都の「城南宮」。
で、西宮の「廣田神社」の脇殿には、「諏訪健御名方大神」と「高皇産霊神」が、「住吉大神」「八幡大神」とともに祀られているそうな。そして「城南宮」「廣田神社」ともに、「神功皇后」創建とのことで。
「廣田神社」の御祭神「天照大御神荒御魂」で検索してみた。
「天照大御神荒御魂」とは「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」で、「秀真伝」では「瀬織律姫」とされていて、伊勢外宮宮城内の下御井神社・忍穂井神社の縁で産んだのが、「オシホミミ」つまり「栲幡千千姫」の夫で「ニニギ」の父ということになるようで。
(http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megami/oni-megami-6-6.htm)
同じページにある「熊野権現垂迹縁起」によると、「天照大御神荒御魂」が「瀬織律姫」であり、「紀伊の港に着き、室根山で熊野神とされた」ということになるのかな、と。
「瀬織律姫」の称名「天下る日前向津姫」から、「天道根命」が祀った「日前大神」を連想したのだが、そうなると「国懸神」は「アマテラス」で男神なのかも、と。
大阪・中央区の「御霊神社」でも、「天照大神荒魂」は「瀬織津比売神」として祀られているが。(http://www.goryoujinjya.com/)
「櫟(イチイ)の木に三枚の月となって現れ」たのが「熊野坐神社の三所権現であると伝えられる」ということだけど、「三枚の月」とは、「聖母宮」の御神紋「三つ星」と同じような形、あるいは「日(太陽)・月・星」のような形だとしたら・・・。
はて。
ぼ〜んやりと思うこととして、「マリア」を認めるか認めないか、あるいは、「キリスト・イエスの神性」を認めるか否か、というのと似ているような。
特に真言宗に多くの宗派があり、「ウィキペディア」で「ここまで真剣に女性原理を考えている宗教は無い。」とされる「立川流」が、「マリア」を認めるとされる立場に通じるものがあるように思い、またそれが「神功皇后」や「瀬織律姫」に通じるものがあるような気がするわけで。
その認める側として、秦氏や紀氏や中臣氏等がいるのかなぁと思ったりするんだが、「空海」と「最澄」がびみょ〜なんだなぁ。どちらも行基の追っかけをしてた節があるけど、2人は水と油のような関係に思えて。
「アマテラス」「ツクヨミ」「スサノオ」は、それぞれ何と習合した?
これらのパーツ、どう繋げればジグソーは完成するのだろうか・・・。
「三光」で検索してみたところ、興味深いのがいくつかあった。
まず、諏訪の「御射山神社」は、「虚空蔵菩薩を祀る国常立命社が本来の御射山に鎮まる山宮の神」だそうで。
また、諏訪の七不思議の1つ「穂屋野の三光」があり、「御射山御狩神事という行事の終わるとき、太陽、月、星を同時にみることができる」とされているそうで。
(http://www.genbu.net/data/sinano/misayama_title.htm)
京都「城南宮」の御祭神は国常立尊、八千矛神、神功皇后で、「三光の神紋」は神功皇后の軍船の旗印だったと言われていて、何か近いものがあるような感じですよね。でも「虚空蔵菩薩」は「天御中主神」だったような・・・。
秋田市牛島西の「三皇熊野神社」では、「三光大神として、『日・月・星』を祀る神社といわれており、祭神を総称し、『三皇熊野大神』という。」とのことで、御祭神は天照皇大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、須佐之男命、配神は稲荷大神、八幡大神。
(http://www.cna.ne.jp/~kinzan/mokujiframe.htm)
「三皇熊野神社」のご神紋、「聖母宮」のご神紋に似ているんですよね・・・。
滋賀県マキノ町の「唐崎神社」は「古昔より此社、日、月、星 三光の紋所ゆえに三光明神と称されることもあった。」とのことで、御祭神は瀬織津比盗_、速開津比盗_、速佐須良比盗_。
(http://www.ex.biwa.ne.jp/~k728s3emtz/)
仙台市宮城野区岩切の「青麻神社」では、「社伝によれば、第五十五代文徳天皇の御世の仁寿二年(西暦八五二年)、現社家の遠祖穂積保昌が山城国(現京都府)よりこの地に来たり、里人に麻の栽培を教え、且、一族の尊崇せる日月星の三光神即ち天照大御神・天之御中主神・月読神の三神を清水湧く山峡の岩窟中に奉祀せしが本杜の創始と伝え・・・」とある。
(http://www12.plala.or.jp/aosojin/yuisho.html)
福井市の「分神社」は、神紋が三光とされているようだが、その詳細は不明。「継体天皇が越前に居られた頃、御伯父である伊波知和希命の御霊を祀ったもの」とのことだが、「ただし、天皇が肉親を祀ることの不自然さから、安閑天皇・彦坐王(別公祖神)・別雷神など、異説も多い。」とされていて。
(http://www.genbu.net/data/etizen/wake_title.htm)
栃木市平井町の「大平山神社」は、「鳥居には「三光神社」という扁額が掲げられている。社伝では、三光とは、日月星の三光天子で、本来の祭神だともいわれている。」と。天正年間から現在に至る御祭神は、瓊瓊伎命、天照皇大神、豐受姫大神。
(http://www.genbu.net/data/simotuke/taihei_title.htm)
で、「大平山神社」でもう少し検索してみたところ、どうやら近くに「連祥院」というお寺があり、「六角堂は京都六角堂を模倣したのでこの名で知られてる。」とされており、「本地仏は山城国国宝寺の虚空蔵尊を撮したもの、そして作は聖徳太子とのこと」と。
(http://www.geocities.jp/memory5001/geocities_057.htm)
聖徳太子といえば、「橘寺」に聖徳太子が勝鬘経の講義をしたときに、月、日、星の光がその石に集まり、輝いたと言われている「三光石」がありましたよね。
何だか特定できないような感じで・・・。
京都「北野天満宮」の本殿前に、「日・月・星」の彫刻がある「三光門」と呼ばれる中門があるそうで、その近くには「織部形石灯籠」が・・・。
(http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/6786/kitanotenjin.html)
うーん、お手上げですわ。(苦笑)
●2007.04.13(Fri.) |
「国常立尊」を御祭神とする、行基ゆかりの神社が池田市にありました。
「五社神社」といい、「神亀元年(724)、この地に多羅山若王子(釈迦院)を創建し、その鎮守社として奉祀した。」とのことで。相殿は速素戔嗚尊・五十猛命・住吉大神・穴織大神。
ここは鳥居の前まで行きかけたけど、熱中症でバテてしまって結局お参りはできなかったのね。しかも工事をされててトラックがいたりして。かれこれ5年ほど前だったから、工事も終わってるだろうけど・・・。本殿のウラに「上円下方墳」という横穴式石室のある古墳があって、その古墳内には「十三重の塔」があるそうで。って、私は行基ゆかりの温泉を見ようとしてたんだけど、つい寄り道が長くなって・・・。
●2007.04.16(Mon.) |
2007.03.14(Wed.)分に、検索で「性空蘇生譚」が出てきたことから、「閻魔」のことを書いたんだけど、忘れていたことが2つあった。
1つは吹田の「常光円満寺」で、境内に閻魔さまと六地蔵があった。
で、もう1つは昔のファイルを見ていたことろ、2003/04/13(sun.)の日記に
行基ゆかりのお寺を見つけまして、秋田「八橋山不動院」と静岡の「春埜山大光寺」の2ヶ所ですが、行基が梵天・帝釈天・閻魔を刻んだという伝承は初めてのような・・・。 (春埜山:http://homepage3.nifty.com/ishildsp/kikou/sizuoka2.htm) そもそもは、両者とも「青面金剛童子」での検索で見つけたのですが、最澄建立とされる水口町庚申山山上の「広徳寺」では、「本尊が、後に真鍮の製法を伝授したことから、真鍮の祖社としても有名。」というのには驚きましたね。 「真鍮」は「黄銅」のことで、銅と亜鉛の合金なんですが、ご本尊が・・・ですか。興味深いですよね。江戸時代に真鍮を鋳造した座があったそうですが、それと何か関連があるのかな??? 京都・八坂庚申堂では、「新春祈祷会と初庚申会には厄除けコンニャク炊きが行われる。」とのことで、「閻魔」が関連してくるのかもしれないなと思ったのですが、こちらの本尊の青面金剛童子は秦氏の念持仏だったそうなので、真鍮についてもやはり秦氏が関係しているのかな、と。 |
「三尸(さんし)」という虫が、閻魔の眷属である「司命」に善悪の報告をするのが「庚申の日」なので、寝てる間に報告に行かないよう、徹夜するということらしい。(曹洞宗月光山鳳林寺:http://holyji.com/index.html)
ほぉ〜、長野の「善光寺」にも、行基ゆかりの「布引観音」にも閻魔さまはおられるようで。
ちょい調べてみた。「本尊さんは、末法の乱れた世の人々を救おうとお釈迦様と阿弥陀様とお薬師様が相談され、その結果、青面金剛となって現れた。」とのことで。脇侍は以下の通り。
四大夜叉 | 庚申さんの眷属の夜叉神たち |
不動明王 | 千日回峰の行者さんが拝みに来る由緒あるお不動様 |
弁財天 | 剣と宝珠を持った二臂の弁天様 女性の守護神 |
地蔵菩薩 | 地獄にも助けにきてくださる心強いほとけ |
大黒天 | 火災にあって黒焦げですが霊験はあらたか |
大聖歓喜天 | 聖天:威力絶大の神 |
天神 | 菅原道真公:学問・文芸の神 |
賓頭盧尊者 | お釈迦様の弟子の中でも超能力者のビンズルさんは、撫で仏としてさすってお願いします |
三猿 | 庚申さんのお使いの見ざる・聞かざる・言わざる |
甲賀三山(飯道山・庚申山・岩尾山)の1つが、「広徳寺」のある「庚申山」で「飯道山」の南東約3キロのところにあり、「飯道山」の南西約3キロのところが「紫香楽宮跡」、西に5キロちょっと行ったところに「金勝寺」がある、「飯道山」の南南東約6キロのところに「岩尾山」があるようで。
(滋賀県甲賀市周辺の地図:http://map.livedoor.com/map/scroll?MAP=E136.8.0.7N34.55.28.9&ZM=7)
「紫香楽宮跡」の近辺ということ、行基や良弁ゆかりのお寺や、行基のおっかけをしたと思われる天台宗の方々の名前が見えるお寺があること等、やはり「広徳寺」も秦氏との関連があるように思われるわけで。
また横道にそれてしまいそう・・・JR草津線の貴生川・甲南・寺庄・甲賀・油日の駅と併行して「杣街道」があり、「仁和2年(886)に鈴鹿峠越えの新道「阿須波道」が開通する以前の官道」だそうで。
(http://www.k3.dion.ne.jp/~ninken/01kogasanzan.htm)
「阿須波道」ですか・・・。
山賊の伝説に混じって「蟹」が出てきた。
田村神社の前、歩道橋のたもとにある高橋商店は、かにが坂飴が名物だ。鈴鹿峠に巨大な蟹が出没して危害を与えたので、恵心院の僧都が説法を施すと、蟹は、甲羅を八つに割り裂いてとけ失せた。僧都が懇ろに埋めてかに塚を建てると、蟹の血がかたまり八個の飴と化した。これがかにが坂飴の由来だ。 (http://homepage3.nifty.com/hyakkaido/toukaidou30sakasitaminakutisinjyou.htm) |
蟹、八個の飴、坂上田村麻呂、白山神社・・・な〜んかありそうだな。
「鈴鹿関」の築地塀の軒先に、「聖武天皇の宮殿のシンボルマークとも言える同心円を描いた瓦」が使われていた、とのことで、平安以前にもけもの道のような形で「阿須波道」の名称で道があって、平安時代には「官道」とすることで、守備を強化したのかも。
(http://blog.goo.ne.jp/yaasanarchaeologue/e/4bb8ad2eed8aabb439f705a61090ddfc)
うーん、「阿須波道」の名前の由来までは探せなかった・・・。
おまけとして、キリスト教その他に出てくる方々を調べてみた、「大山阿夫利神社はユダヤの祖モセス(ヨセフ)王の墓」とされていること。」と、司馬遼氏の「兜率天の巡礼」で、「大酒神社」の御祭神「天御中主命」が「エホバ」、「大避大神」が「ダビデ」とされていることから。
●ヨセフ 旧約聖書「創世記」の人物。ヤコブの子。 ●ヤーウェ ●ダビデ |
「熊野三神」の本地仏が「阿弥陀如来」「薬師如来」「千手観音」、これが上記の3者なのかどうか・・・。
「創世記」は「モーセ五書」の1つで、「旧約聖書」は「ユダヤ教」「キリスト教」の正典で、イスラム教でもモーセ五書、詩篇が啓典とされているそうで。
しかし、「三位一体の教説」はその捉え方がそれぞれ違うようで。
ただ、行基が和歌山の「藤白神社」で「熊野三山」に皇子誕生を祈ったのは、「瀬織律姫」に祈ったように思え、また「瀬織律姫」や「宗像三神」が、ギリシャ神話などに見られる、運命を司る「三姉妹の女神」のように思えて。
またまとまりなく1日が過ぎたのであった・・・。
●2007.04.18(Wed.) |
昨日、ホームページ用のフォルダをいじくっていて、画像を移動するのに間違ってないかを確認する際、こんなのを見つけた。
住吉大社 [星宮] 御祭神:国常立命・竈神 竈神住吉大神と共に星辰の神。 御縁由浅からず厄除の為、星祭を行う慣習古く古来竈殿に竈神を祀り星神なりと伝ふ。 大方の熱願凝って両神の奉斎となる。 |
つまり、「国常立命・竈神」は北斗七星と関係するってことなのかな、と。「初辰まいり」も関係するかもしれない、種貸社のすぐ近くだし。「竃神」が「波比祇神・阿須波神」なら、「国常立命」は「高木神」で「坐摩五神」に?
でも「高木神」は「高皇産霊尊」のハズだし・・・。
「種貸社」「楠君社」の御祭神は「倉稲魂命」で、「浅沢社」は「市杵島姫神」、「大歳社」は「大歳神」。
北斗七星といえば、2003/04/16(wed.) Vol.1分でややこしくなってから、あまり触れないようにしてきてたりする。「北辰」は「天御中主神」でしたよね。
住吉さんのホームページ(http://www.sumiyoshitaisha.net/calender/no07.html)に、「星宮」は「金星の神様」とされていたが、
法華文句巻二下に「普香は是れ明星天子にして虚空蔵の応作なり」とある。 (http://www.d1.dion.ne.jp/~janis/9-8-1.html) |
と、されていて。しかし、
日本では民間陰陽道で「金神」がたたりをなす神として恐れられたが、江戸時代後期にこの金神は実は隠された神・国常立命であるという思想が生まれている。 (http://www.ffortune.net/fortune/astro/sensitive/venus.htm) |
という記載もあって・・・どっちやねん。一方、「竈神」について中国では、
旧暦12月23日:「祭竈節」「送竈」 一家の諸事をつぶさに見てきた竈神が、「玉皇上帝」に報告のために天に上る旅にでます。 (http://www.aleis.net/~matsushima/tiiik/siyu.html) |
なんだか「庚申さん」みたいですよね。ま、閻魔の眷属「司命」に報告するのとは、天と地の違い(?)があるようだが。ちなみに、「玉皇上帝」は道教の最高神のようで。
ちょっと横道にそれるが・・・検索してる時に「キリシタン神社」があるのを知った。ずっとお寺や燈籠で検索してたので、つい熱中してしまった。
「長崎くんち」で有名な「諏訪神社」の、合殿神「森崎神社」がその1つだそうで、御祭神のイザナギ・イザナミを「聖母マリアとイエス」と捉えておられる方がいた。(http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/nagasaki_suwa_jinja.html)
さらに、京都「祇園祭」の「函谷鉾(かんこぼこ)」の前掛が、旧約聖書「イサクの嫁選び」をデザインしたものである、と。(http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/gion_matsuri.html)
●イサク 旧約聖書「創世記」に登場するイスラエルの伝説的族長。神との契約によってアブラハムとサラとの間に生まれた。 |
京都「八坂神社」・・・「八坂庚申堂」の御本尊「青面金剛童子」は秦氏の念持仏だということだけど、「八坂神社」と秦氏も何か繋がりがあったような・・・。
で、話を「キリシタン神社」を戻すと、さすがと言いましょうか、長崎でやたら出てきた。「四面宮(諫早神社)」は以前から気になってた神社だけど、
温泉山縁起書による四面神は、島原半島全体を神域とする結界を現わし、半島の東西南北に鎮座する「千千石」「山田」「有江」「伊佐早」は密教曼荼羅図の四方位に対応すると考えられ、その中央には「温泉山温泉神」大日如来が座している (http://blog.goo.ne.jp/westmac/) |
とのことで。また、元明天皇勅願による和銅元年創建の「法川山弘済院和銅寺」(諫早市高来町)の御本尊は、「行基が人々に異変を及ぼしていた肥後国宇土郡にあった橋脚で七体の観音像を彫った。」と。
そしてそこには、一木作りの「行基像」「空海像」が並んで安置されているとか・・・。
また、ルイス・フロイスが訪れた「岩戸山」は、当時「岩殿山」と呼ばれた小島で観音道場のあった霊地で、観世音の御本尊は行基作だったそうで・・・。
まだある。勅願による行基開山の「満明寺」境内にあるという「温泉山石書法華塔碑銘」によると、
伊勢、熊野の僧との深い交流が察しられ、伊勢、熊野の僧と雲仙の僧とが、一緒に唐に渡海していたことを刻んだ碑が、大阪、泉南市の林昌寺という寺に残っています |
とのことで。「林昌寺」は行ったことはないが、聖武天皇の勅願寺として行基が開創、真言宗寺院で信長に焼かれたのを、同じ泉南の「長慶寺」で知った・・・。
ということで、頭の中がごちゃごちゃになってきたので、今日は覚え書きで終わることにするが、他に検索で出てきたこととして、
(壱岐市芦辺町の)安国寺境内にある二つの拝塔は松浦藩27代藩主松浦久信夫妻のもので、左側にあるのがキリシタン大名大村純忠の五女で久信公の妻であったメンシアの拝塔である。水盤にキリスト教的特徴が見られるという。 マリアを象徴する三日月とキリストの象徴である太陽を組み合わせた日月水盤。また台石の表面に魚と蟹のようなレリーフがある。魚もキリストの象徴として扱われることが多いという。 |
あと、聖徳太子ゆかりの奈良の「法隆寺」には、奈良時代に橘夫人の発願によって行基菩薩が建立したと伝えられている「八角造りの西円堂」がある。橘夫人とは不比等のヨメで諸兄の母・県犬飼美千代。「八角形」は熊野権現が英彦山に天降った時の水晶の形・・・ピラミッド?ダビデの星?
「ととやの行基」という話が、有馬温泉にあったっけ。堺の茶人に、ととやという豪商の人がいたような・・・あ、利休でんな。
うーん・・・。
イクトゥス(ichtus) 弧をなす2本の線を交差させて魚を横から見た形に描いたシンボルである。初期のキリスト教徒が隠れシンボルとして使った。今日ではジーザス・フィッシュやクリスチャン・フィッシュとも呼ばれている。 イクトゥスは、ギリシャ語で「魚」という意味だが、同時にイエス、キリスト、神の、子、救世主の頭文字を並べたものでもある。 |
「鳥」は「精霊」、「魚」は「キリスト」をあらわすシンボルだそうで。
ヤタガラス・神武・ニギハヤヒで三位一体?なーんて。
「キレート」は、ギリシャ語の「カニのはさみ」から派生した言葉で、化合物の構造を表す化学用語だそうだが、「キレート:chelate」と「キリスト:Christ」が、「claw:カニの爪」と「crow:カラス」がごっちゃになったとか?まさかねぇ・・・。というのも、「イクトゥス(ichtus)」がね、ラテン語の「エクウス(Eques)」に似てるなぁと、なんとなく思って。そうすると、また「北斗七星」に戻ったりするわけで。
ひしゃく型の柄の部分の2つめの星が「ミザール」で、小さくくっついて見えるのが「アルコル」だそうで、古くからミザールを馬、アルコルを乗り手とみる見方があるそうで、アルコルの呼び名が「エクウス(騎手)」である、と。
で、「家康」を「北極星」とし、「北斗七星」が「山王権現」、「アルコル」が「摩多羅神」であるとされているのが「日光東照宮」であると、2003/04/16(wed.)分に書いてある。(参照:http://astro.ysc.go.jp/izumo/n_kanto.html)
これを見ると、「三光」とは「北極星」「北斗七星」「アルコル」なのかな、とも思えたりもするが、そうすると天海の術中にハマったといえるかも?
で、本地として、東照大権現「薬師如来」、山王権現「釈迦如来」、摩多羅神「阿弥陀如来」とされているサイトがあった。(http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/honji/files/TOSHOGU_NIKKO.html)
「薬師如来」「釈迦如来」「阿弥陀如来」というと、京都「八坂庚申堂」では秦氏の念持仏だった御本尊「青面金剛童子」ですよね。「青面金剛童子」は「帝釈天」のおつかいとして降臨したとされているが・・・。
仏教では「帝釈天」だが、古代中国では「デウス」、キリスト教では「ヤハウェ」だそうで。
「日光東照宮」では、「薬師如来」が「北極星」、「釈迦如来」が「北斗七星」、「阿弥陀如来」が「アルコル」という見方もできるということになるようだが、宇宙全体を「帝釈天」と見ているのだろうか・・・。
あ、「摩多羅神」の好物が「茄子」だそうで。(http://www.mct.gr.jp/world_h/toushogu/touzai_kairou/nasu.shtml)
堺の大寺さんこと「開口神社」は、3つの茄子が「神紋」なんですよね。「神功皇后」の勅祭による創建で、行基が「薬師堂」を建て、「塩土老翁神」や空海も関係してて、天狗の伝説もあるという・・・。
少し横道にそれるが、アラビア語で「ミザール」を「アナク・アル・バナト(Anak al Banat)」とも言い、ひしゃくの柄の1つめの星を「カイド・バナト・アル・ナアシュ(Ka'id Banat al Na'ash)」、θ・τ・υ・φなどの星々を「サリル・バナト・アル・ナシュ(Sarir Banat al Naash)」というらしい。(http://www4.airnet.ne.jp/mira/seishu/name/a/uma.html)
「カイド・バナト・アル・ナアシュ」は「大きい棺台の娘達の頭」という意味があるそうで、ひしゃくのすくう部分の4つの星(四角形)を「棺を乗せる台」、ひしゃくの柄の部分の3つの星を「台を引く3人の娘達」と見ているそうで。
「サリル・バナト・アル・ナシュ」は「君主の会葬者たち」だそうだが、水先案内人の「台を引く3人の娘達」とは?「棺」に乗って見送られているのは、「竈神」や「三尸」にチクられて「悪人」と下された方々なのか、お偉い方々なのか・・・。
そうそう、あることを思い出して「ウィキペディア」を見てみたところ、
大国主が兄神らによって殺されたとき、大国主の母が神産巣日神に願い出、神皇産霊尊に遣わされた蚶貝姫と蛤貝姫の治療によって大己貴命は蘇生する。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%9A%87%E7%94%A3%E9%9C%8A%E7%A5%9E) |
「大国主命」が「大己貴命」として「蘇生」した、と。やはり別の神になるのでは。それとも・・・。
●2007.04.19(Thu.) |
今日こそは覚え書きにしておこうと思いながらも、ついつい午前中を検索で終わらせてしまった。(苦笑)
「阿須波道」「阿須波神」がどうも気にかかってて、それで検索を始めたわけだけど、そこからまずヒットしたのが、「鶏の神(ニワタリ神社)」(http://nire.main.jp/rouman/ubu/niwatari.htm)。
福島県会津地方では鬼渡神社の名が多く、もとは「御ニワタリ」の意味のやうで、祭神は阿須波神、波比伎神となってゐる。 |
とのことで。会津には行基ゆかりのお寺がいくつかあり、ここにも空海の追っかけの跡があるだけでなく、芭蕉も多々絡んでくる。
会津若松市蚕養町の「蠶養國神社」の境内社「鬼渡神社」には、阿須波神、波比岐神が祀られていた。(http://www.genbu.net/data/mutu/kogaikuni_title.htm)
が、ここから横道へと。
上記の「ニワタリ神社」について書かれているサイトには、「木の神と矢の神」というページもあった。(http://nire.main.jp/rouman/ubu/ki1.htm)そこで気になったのが、
日本書紀に「五十猛命を称(なづ)けて、有功(いさをし)の神とす」ともあり、「イタケルのイサヲ」が縮まって「イタキソ」となったといふ。 「そばたか神社」でも18社のうち半数の9社に「高皇産霊尊」または「高木神」の名が見える。この神社も木と矢の信仰に根差した神であるやうだ。松戸市二ツ木の蘇羽鷹神社では、祭神名に「国常立尊」とあり、「国常立」とは大地に矢を立てた様をイメージした神名のやうにも見える(記紀ではそのやうな意味の神ではないが)。 青森県鯵ヶ沢町周辺に多い「高倉神社」は、岩木山の麓の神であるが、9社で五十猛命と高皇産霊尊が祀り分けられてゐる。 新潟県北魚沼郡の守門岳(すもんだけ)の南西の麓(守門村周辺)に多い「守門神社」も同様で、高皇産霊尊とともにこちらでは五十猛命は別名の高倉下命(たかくらじのみこと)の名で祀られる。 |
2006.11.24(Fri.)分に引用させていただいたように、「座摩五神とは、「波比伎神・阿須波神」は二神一体で五十猛神、「生井神・栄井神・綱長井神」は三神一体で御井神すなわち高木神ということになり、両者は親子で皇祖神に位置づけられる。 」とのことで。
「高皇産霊尊」」(高御産巣日神)は「高木神」で「木俣神」(御井神)であり、「五十猛命」とともに祀られている、あるいは祀りわけられている、ということは、「坐摩五神」との関係が見られるということではないか、と。
それにしても、「「国常立」とは大地に矢を立てた様をイメージした神名のやうにも見える(記紀ではそのやうな意味の神ではないが)。」とあるが、印象としては「高木神」のようだが・・・。
千葉県松戸市二ツ木の「蘇羽鷹神社」の詳細を知りたいところだが、今のところわかってるのは、芭蕉の句碑や「庚申堂」がある、ということだけで。(http://www.koalanet.ne.jp/~satosi/88/iware_rekisi.htm)
京都にも「坐摩五神」を祀る神社があったようだが、
福長神社 京都府京都市上京区(京都御所の西北) 御祭神:福井神 綱長井神 当社はもと一条猪熊に鎮座ましませる座摩巫祭神五座(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神、阿須波神)の中 豊太閣 聚楽邸を起さるる際し(天正十五年)福井綱長井の二坐を合祀し、其の二字を取り福長大明神として当町に遷されたるものなり。 (http://www.geocities.jp/engishiki01/kyucyu/html/000203-02.html) |
とのことで、こちらについてもこれ以上の詳細はわからなかった。
ここまでの検索で思ったのが、「イタケルのイサヲ」が縮まって「イタキソ」となったとされているのは、ひょっとして「イタケルのイサク」だったのかもしれないな、と・・・。
検索の途中、「祇園祭」の山鉾のテーマの一つに、「瀬織津姫」が鈴鹿山で鬼退治した伝説のものがあるというのを見た。「鈴鹿山」だそうで、「瀬織津姫」は「鈴鹿明神」である、と。(http://kitahata55.co.jp/osusume/gokinzyo/odekake/H17/07-15yoiyoi/yoiyoi.htm)
ひょっとしたら、「阿須波道」でのことではないかと続けて検索してみたが、やはり詳細不明。かつて、水銀商人や坂上田村麻呂と山賊の話は見たことがあったけど・・・。
で、「瀬織津姫が熊野神として東北へやってきた・・・」というのがあり、「風琳堂ホームページ」さんに辿りついた。(http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/kumanosin.html)
室根神社の「記録」は、瀬織津姫は熊野神として、さらに蝦夷降伏の祈願神として東北=唐桑半島へやってきたとされます。 藤原広嗣の反乱を平定したのは、朝廷に蝦夷降伏の祈願神の招請依頼を行った、あの大野東人でした。もっとも、このときの広嗣鎮定の祈願神は熊野神ではなく、伊勢大神と宇佐八幡神でしたが、伊勢の元つ神、そして宇佐八幡神の比売大神が、これも瀬織津姫であることを想起すべきでしょうか。 白山の改竄祭祀においても、その地主神=白山瀬織津=瀬織津姫を隠祭するときに登場させられていた神も、またイザナミでしたが(のちに菊理媛の名も加わる)・・・ |
「瀬織津姫」は、室根神=熊野神=白山神で、「伊勢大神」「宇佐八幡神」ではないか、ということですよね。あと、引用していない部分に先日の壱岐の「聖母宮」が出てきてて、元「香椎宮」である、と。
「聖母宮」の御由緒にも書かれてますね・・・。(http://www4.ocn.ne.jp/~syomogu/yuisyo.htm)
あ、泰澄は「求菩提山白山権現」と「白山権現」は別だということを示そうとしていたのではなく、改竄されていることを示そうとしていたのかも?
「記紀」との符号のため(?)に、不比等と持統天皇の行った改竄を、聖武天皇とその一派(?)が改めていった、という感じがするのは、私だけでしょうか・・・。
ただ、天武・持統天皇陵は「八角墳」だから、改竄する必要もなかったんじゃないかと思うが・・・あ、先に天武天皇が眠っている墳墓の変形までは、さすがにできなかった、ということになるんだろうか?
「伊勢大神」「宇佐八幡神」と「瀬織津姫」についてはまだ調べてないけど、背後に忌部氏・紀氏・秦氏等が浮かんでくるんで、ひょっとしたらそうかも、と。
はて・・・2007.04.12(Thu.)分で調べた時、「瀬織律姫」は「天照大御神荒御魂」とのことだったが、「天照大御神」とはアマテラスなのか?と。
「荒御魂」を「荒々しく勇猛な神霊」とし、その逆を「和御魂」とされているようだが、それだけなんだろうか?
砥鹿神社里宮の荒羽々社は、「砥鹿神社誌」によれば、江戸時代中期までは、個人により奉祭されていたとされますから、この「祭神の」という断り書きをどう読むかです。砥鹿神社の祭神は、大己貴命あるいは大物主神といわれていますから祭神の荒御魂ということになれば大己貴命あるいは大物主神の荒御魂ということになります。奥宮の荒羽々気社は、大己貴命あるいは大物主神の荒御魂を祭神とすると見ていいかと思いますが、単に荒御魂ということになれば、瀬織津姫=波波伽神という風琳堂主人の説が、砥鹿神社奥宮を除く東三河のアラハバキ神については、妥当ではないかと思います。 (http://suzuki-t.hp.infoseek.co.jp/habaki.htm) |
とのことで、ホアカリ、大物主神つまりは「ニギハヤヒ」のヨメが「瀬織津姫」?・・・ということは、「玉依姫」ということに?三河から東北までの間に、諏訪にも立ち寄ってるのではないかと思えたりして・・・。
また横道にそれてしまうが、会津若松市蚕養町の「蠶養國神社」と「東北」で思い出したことが。
馬子らに暗殺されたという「崇峻天皇」の子「蜂子皇子」について、天王寺区の「堀越神社」の御由緒から引用して2001/06/11(mon.)分に書いていたのが、
大和を脱出して、北陸より海路出羽へ向かわれた。すなわち今日、日本三山嶽宗教の一たる出羽三山の開祖はこの蜂子皇子である。 (参照:http://www.horikoshijinja.or.jp/) |
「崇峻天皇」は欽明天皇(継体天皇の子)の第12皇子で、母は馬子の姉・小姉君、太子にとって母・穴穂部皇女の兄だから叔父にあたるわけで、「蜂子皇子」は従兄弟で。
「小手姫皇后」は大伴糠手連の子、「蜂子皇子」は出羽三山の開祖と伝えられ、「能除太子」と言われていた・・・うーん、ひょっとして「小手姫皇后」が大伴氏の出だから、そのあたりを不比等は抹消したかったとか?
何か見えてきそうなんだけど、はっきりとはわからないような・・・。
でも、「坐摩五神」が別名で、あるいは祀り分けられているというのはカムフラージュで、実際に「宮中に祀られている」神を必要とする方(?)のために祀ったのではないか、と。
じゃ、「住吉大社」の「星宮」はどうなるのか・・・「神功皇后」が関係する?
「神功皇后」創建の西宮の「廣田神社」の脇殿の「諏訪健御名方大神」と「高皇産霊神」、「高皇産霊神」が「高木神」なら、「諏訪健御名方大神」は「竈神」か「波比伎神・阿須波神」か「五十猛神」になる?
あ、天水分神・奥津彦神・奥津姫神で「竈神」だわ、住吉大社の摂社(奥の院)の「止止呂支比売命神社」では。
ちなみに、ギリシャ神話で「竃神」はヘスティアで、オリンポス十二神の一人で「ゼウス」の姉だそうで。
(http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/kamado.htm)
そうそう、「ゼウス」により、「カリスト」は大熊座、「アルカス」は小熊座になったそうで。
(http://playmate.nobody.jp/i/astrology/Ursa%20Major.htm)
で、「ゼウス」は「雷神」で、ローマ神話のジュピター、北欧神話のトールなども「雷神」だそうで。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B7%E7%A5%9E)