とんでもニャ〜Mの推測3−11
※役にたたない推測ばかりの駄文です。(爆)

2012.01.03(Tue.)

「笠沙路探訪」さんの今月号になるほどと思いつつ、「『建御雷神』と『天照大御神』は『天つ神』と共に『天武王統』のもとで「雑作」された『天武禍』の核であった、のでは・・・」というのはどうかなぁ、と。
(『言趣(ことむ)け・国譲り』は『お祓い』の神事:http://www4.synapse.ne.jp/yatusiro/newpage56.html)
(漢国(かんごう)神社:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/ku/kangojin.html)
(星神「天津甕星」誅殺神話の深層:http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-242.html)

タケミカヅチが「春日神」とされているあたり、明らかに不比等による乗っ取りであり、天武天皇の名を隠れ蓑にしているわけで、「言趣け・国譲り」という「お祓い」の神事の主をなしたであろう「比売神」も、「春日神」とされているのもその証しかと思われるのだが。
(伊豆山・熱海・伊豆半島・伊豆国の謎を追う!:http://protecs.web.infoseek.co.jp/izunokuni_kitan_izugogen.htm)

「大海人」皇子という名だった天武天皇が「春日神」を祀ったという話は聞いたことはないと思うし、「アマテラス」は天武天皇との関連が考えられる「アマテル」とは違う神なのでは。
(津風呂神社:http://www.7kamado.net/tuburo_kasuga.html)
(伊勢神宮の創期:http://bell.jp/pancho/kasihara_diary/subfiles/isejingu.htm)
(アマテラスの誕生:http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books102.htm)

それはさておき、「待人・さわりあり、来らず」「失物・出がたし、下にあり」」「転居・さわがぬ方がよし」などの「大吉」のおみくじをひいた、毎年初詣に行く行基ゆかりとされる神社に祀られている神も、「笠沙路探訪」さんの今月号に関連していると思っている。

2012.01.07(Sat.)

「笠沙路探訪」さんの今月号に書かれていた「鏡」が気になってまして、「隼人域」ではなぜ「鏡」がほとんど出土しないことや、たまに出土するというのが「破鏡」であるのはなぜなのか、と。

偶然、森氏の「語りの古代学」の昨日読んでいたページに、「鏡では、すでに伊都国で、弥生後期後半にはこの技術は発生していた。」(p94)と同型・同笵の鏡について書かれていて、「伊都国」と言えば2010.09.11分で「仲哀天皇の熊襲征伐の途次、岡県主の熊鰐、伊都県主の五十迹手がそれぞれ白銅鏡、八尺瓊と共に十握剣を差し出して降伏している。」ことの他に、「月」はアイヌ語で「鏡」であることなどを引用させていただいて、ん?と。
(十束剣:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E6%9D%9F%E5%89%A3)
(月が鏡であったなら:http://blog.livedoor.jp/adapt6/archives/51881248.html)

「鏡」が「月信仰」「月読尊」に繋がるのならば、「瀬織津姫」と「月」の繋がりから「隼人域」にも繋がるのではないかと思われるが、それならばなぜ「鏡」があまり出土しないのだろうかと思うし、「十束剣」の別名「伊都之尾羽張」が「伊都之尾張神」と繋がるなら、何故「鏡」が「伊都国」で作られるようになったのだろうか、と・・・。

誓約の原形?「日本書紀」で出てくるのは「八坂瓊之五百箇御統」ですよね・・・。
(アマテラスとスサノオの誓約:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%81%AE%E8%AA%93%E7%B4%84)

2010.09.11分に「石屋神社」の御祭神:國常立尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊が、「一説には月読尊とも、伊都之尾張神とも」とあることも引用させていただいているが、大三元さんのサイトなどを拝見して、「五十迹手」「五十猛」「イザナギ」「スサノヲ」の繋がりが気になったとともに頭がウニに。
(「素戔嗚尊」を考える:http://www.dai3gen.net/susanaki.htm)
(名草の神々:http://kamnavi.jp/kinokuni/majime-rekisi4.htm)

で、「破鏡」について、中国のことわざに「破鏡重円」というのがあり、「離散した夫婦が巡り合う」とか「離婚した夫婦が再び元の鞘に収まる」という意味の中国のことわざだそうだが、「このことわざの由来となった物語は九世紀の中国で起きた。」とのことでこれは違うだろうし、「死の旅立ちに必要と思えるもの」を壊すのはおかしいですよね・・・。
(中国のことわざ 破鏡重円:http://www.epochtimes.jp/jp/2007/01/html/d79277.html)
(破鏡--2:http://homepage1.nifty.com/o-mino/page495.html)

さらに、これも繋がりそうだなと感じたのが、神奈備さんの掲示板に書かれた生田氏の、朝鮮語の「urφ」が「龍」で「ur」はアイヌ語でも「水」で「ur の開音化された語形(ura)だけでも「水神」でした。」ということと、「伊丹市のイタミとはイフキ、胆振、と同じ造語で、「ふいご・する」ということに還元できると思います。」とあることで、つまりは「瀬織津姫」に繋がりそうで。
([11002] Re[11001][11000][10999]: 浦島子の物語 1:http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/kambbs.cgi)
(青草談話室[6344]:http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/aokbbs.cgi)

もしアイヌ語で「月」「鏡」「龍」に繋がりがあればそれが明らかになると思われるし、伊丹市は行基が開拓に関わっていて「昆陽寺」や塔頭も多くあり、開拓地と思われる範囲内には「鋳物師」(臂岡天満宮のあたり)という町名があったり、伊丹空港のすぐ近くには火明命・火闌降命・素盞嗚尊を祀る「桑津神社」があり、伊丹では古代からのネットワークの存在が見えるようで。
(2010.01.15分、2011.01.20分など)
(昆陽寺:http://wagamachi-itami.jp/temple/temple11/temple11.html)
(臂岡天満宮:http://wagamachi-itami.jp/shrine/shrine27.html)
(桑津神社:http://wagamachi-itami.jp/shrine/shrine10.html)


昆陽寺(伊丹市寺本)[本堂]
瑠璃殿、薬師堂とも称せられ、
行基作の丈六の薬師如来を安置。


臂岡天満宮(伊丹市鋳物師1-104)


桑津神社(伊丹市西桑津字流作)

2012.01.14(Sat.)

今まで「応神天皇」については何度か検索はしているんだが、な〜んとなく「おうじん」と入力して変換したら、「王仁」と出てきて、はぁ?と思いつつ確かにそうとも書けるなぁ、と。(笑)

たしか神功皇后は和邇氏系だったなぁとか考えていたら、ウラがありそうな気がして、神功皇后、和邇氏、阿田賀田須命(赤坂比古命)、菟道稚郎子、王仁、宗像氏などを連想していると、瀬織津姫に辿り着くようで。

2010.08.06分などで書いたように、行基の父方の本拠地にある「高石神社」は、「和泉名所図絵」には「高志の祖、王仁を祀る」と記されていたこととの関連も気になるところで。

このあたりのこともかつて迷宮に入り込んでしまい、そこから出られずにいるんですよね・・・。

2012.01.15(Sun.)

神奈備さんの「青草談話室」で生田氏が「筒はカミナリです。」と書かれていて、「龍 = 雷 = 金属精錬」とあることから、「住吉三神」も「龍」なんだなぁ、と。
(「生まれ出づるの悩み」のタツどし:http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/aokbbs.cgi)

ということは、各地に伝わる「龍」が3つに分かれて落ちてきたというような伝承は、「住吉三神」が「星」ともされていることから、「隕石」の落ちた場所なのか、それとも「製鉄」が行われていた場所なのかが気になるところだが、いずれにしても「瀬織津姫」あるいは「ニギハヤヒ」との関連がありそうで。
(住吉三神はオリオンの三ツ星:http://lunabura.exblog.jp/15412072/)
(「龍」を求め歩く:http://daitouburari.web.fc2.com/rekisan/ryuu.html)
(龍間を歩く:http://www5d.biglobe.ne.jp/~kanahori/tatumawalk.htm)

昨夜読み終えた森氏の「語りの古代学」の193ページに、発掘された住居跡の地震によるものと思われる地割れのところに、「地震の神がでてこないように鎮めて」いる跡が見られる遺跡もあり、その地鎮に「銅鐸」が置かれていたのかもしれないということが書かれていて、そうしたことも考えられだし、川の氾濫とかの関連も考えられそうで。
(康和地震:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E5%92%8C%E5%9C%B0%E9%9C%87)
(繰り返す大和川の氾濫により形作られた重層遺跡・瓜生堂:http://www002.upp.so-net.ne.jp/tsukamoto/kyoudoshi/kyodoshi8.html)
(下田遺跡:http://www.city.sakai.lg.jp/city/_bunkazai/_maibun/simoda.html)

「龍」が3つに分かれて落ちてきた伝承のうち、行基が絡んでいる大東市のあたりを検索していると、「三箇氏」という「キリシタン」がいたこと、「三箇の名称の由来は、深野池(ふけのいけ)に三つの島があったから、とするのが通説とされる。」とあること、「水月院」という名の寺院があったことなどが気になりますね。
(大東市:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E5%B8%82)
(三箇城祉:http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/kawachi3.htm)
(深野池:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E9%87%8E%E6%B1%A0)
(歴史散歩道大東:http://www.city.daito.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/57/rekishi_2010.pdf)

行基ゆかりの「野崎観音」にも近いようだし、三箇城は飯盛城の支城だったということは「楠木正成」との繋がりもあったということから、やはり「瀬織津姫」が連想されるのだが。

聞いた話によると、大東市には車両工場があるそうで、改めて調べてみないと・・・。

近畿車輛
鉄道車両などの生産を行う近鉄グループの企業である。
太平洋戦争前からの客車・電車メーカーである田中車輛が前身であり、終戦後の近鉄傘下入りに伴って、1945年11月に現社名に改称した。本社は大阪府東大阪市北西部にあり、車両製作所(工場)も同じ場所にある。本社・工場の最寄駅は西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線) 徳庵駅。

かつては様々な製品を製造していたが、現在は鉄道車両関連の製品のみにほぼ特化したメーカーとなっている。

三菱重工業と業務提携を行っている。

田中家から近鉄に経営権が移ってからは、代々日本国有鉄道の工作局長が社長に就任していた。国鉄分割民営化後は国鉄から帝都高速度交通営団理事を勤めた運転畑の出身者が社長を勤めた後、近鉄出身者が務め、現在はJR西日本の役員経験者が社長を務めている。田中車輛の社長だった田中太一は、近畿車輛に改組後も監査役を務めていた。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E7%95%BF%E8%BB%8A%E8%BC%9B)

住所は東大阪市稲田上町ですが、大東市のすぐお隣ですね。天下り先のようなのが気になるが・・・。

2012.01.19(Thu.)

風琳堂さんのブログが更新されていて、「道元」と「瀬織津姫」の繋がりについて書かれていた。
(遠野郷天女伝説の故地──三陸町綾里・綾織姫大神【T】:http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/archive/2012/01/19)

「建保5年(1217年) 建仁寺にて栄西の弟子・明全に師事。」とのことで、2010.02.14分に書いたように、「道元」は「栄西」の弟子との繋がりもあって「栄西」を尊敬していたようで、「栄西」は2009.05.16分などで「明恵」との繋がりが見られ、また2007.04.05分では「重源」との繋がりも見られることなど、それらの関係のウラに「古代からのネットワーク」が存在しているようで。
(道元:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%85%83)
(栄西:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%84%E8%A5%BF)
(明恵:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%81%B5)
(重源:http://www.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/tyougen/tyougen.html)

「重源」は「西行」と「東大寺」を介して繋がり、「栄西」は「重源」 の後を受けて東大寺勧進職に就任しており、「茶」を介して「栄西」と「明恵」が繋がり、「明恵」と「西行」は歌で繋がるなど、「文化」の向上が「古代からのネットワーク」の特徴とも言えそうで。
(西行・明恵:http://www.rinnou.net/cont_04/myoshin/2002-02a.html)

「高台寺」の境内北の墓地内に「道元荼毘の地」があり、隣接して「西行庵」があるようで、そのあたりの繋がりも気になりますね。
(道元荼毘の地・曹洞宗高祖道元禅師荼毘御遺蹟之塔:http://everkyoto.web.fc2.com/report874.html)

「道元」の生誕地の候補が伏見区久我と宇治市木幡のようで、いずれも秦氏のテリトリーだったと思われるあたりもまた興味深く、何らかの繋がりがありそうだな、と。
(道元と伏見:http://shigeru.kommy.com/husimiburaburadougen.htm)

追記:(2012.01.21)
小林一三氏が開いた日本で初めての郊外分譲住宅地であり、秦氏のテリトリーと思われる池田市の「呉服神社」の「呉綾織大神」と、更新された風琳堂さんのブログにある「綾織姫」は繋がるのではないかと思われるが、池田から陸前高田までは別の神名での移動と思えたり、「衣太手神」と「伊居太」(尼崎では「いこた」、池田では「いけだ」と読む)が似ているように思えたり・・・。
(遠野郷天女伝説の故地──三陸町綾里・綾織姫大神【V】:http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/archive/2012/01/21)
(呉服(くれは)神社:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E6%9C%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE)
(呉服神社:http://kamnavi.jp/ym/osaka/kureha.htm)
(伊居太神社(池田市):http://kamnavi.jp/ym/osaka/ikeda.htm)
(伊居太神社(尼崎市):http://kamnavi.jp/en/settu/ikota.htm)
(特選スポット:http://www.ikedashi-kanko.jp/play.html#spot)
(上代〜漢織と呉織:http://blog.livedoor.jp/p_lintaro2002/archives/55402344.html)
(豊嶋郡の「織姫伝承」について:http://toyoreki.way-nifty.com/blog/2011/11/post-5b18.html)
(倭文神社は織物の神を祭ります:http://homepage1.nifty.com/o-mino/page579.html)
(謡曲「呉服」伝説:http://jama103dajo.at.webry.info/201103/article_1.html)
(縫殿神社:http://www.geocities.jp/turiten2010/jinja_db_tsuyazaki/208_nuidono/index.html)
(摩多羅神3:http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/3_J.html)
(大酒神社:http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/oosake.html)
(七夕 当麻と交野:http://kamnavi.jp/ym/hiboko/tanabata.htm)

あと、「松尾大社」の境外末社「衣手神社」(羽山戸神)との関連も気になるところで。
(衣手神社:http://kumoi1.blog84.fc2.com/blog-entry-14.html)
(歌枕・衣手の里:http://meiso22.nobody.jp/meiso14-10.html)

2012.01.20(Fri.)

昨夜テレビを見てて、「トイレの神様 富士の女神様」という儀式用セットが販売されていて、信仰が現代にも受け継がれているのを知り、「水神様」ともあったので「瀬織津姫」への信仰かと。
(ぶらり途中下車の旅:http://www.ntv.co.jp/burari/contents/20120107.html)
(90年前からトイレの神様?:http://www.ntv.co.jp/burari/contents/detail_2681280.html)
(トイレの神様:http://www.fujisan-net.jp/news/2011/01/27/15.html)
(下吉田駅 松島屋:http://www.fujigoko.tv/tdet.cgi?code=6527)
(トイレの神様 富士の女神様:http://kakaku.com/tv/channel=4/programID=147/episodeID=536496/)

山梨にも行基ゆかりとされる寺院が多く、駅名にもなっている「月江寺」や行基創建とされる「西念寺」は「富士信仰」が盛んだったようで、「月江寺」は「小室浅間神社」の祈祷所であった天台宗寺院だったことから、やはり「瀬織津姫」への信仰と言えそうで、いつからかは不明だが「小室浅間神社」の御神馬をJRAが奉納しているということは、「古代からのネットワーク」による繋がりを想像するわけで。
(月江寺:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E6%B1%9F%E5%AF%BA)
(西念寺:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%BF%B5%E5%AF%BA_(%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%90%89%E7%94%B0%E5%B8%82))
(小室浅間神社:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%90%89%E7%94%B0%E5%B8%82%E4%B8%8B%E5%90%89%E7%94%B0))

で、検索していて「雛鶴神社」が気になり、「御神体は護良親王、雛鶴姫の守護神でった水神様の木像であると伝えられ、「弘仁9年(818 年)空海奉作之」と記してある。」とのことで、空海と瀬織津姫の繋がりも見られるかなと思ったが、「水神様の木像」について他では調べきれず、また御祭神の雛鶴姫命・神直天日命、大直天日命の「神直天日命、大直天日命」は初めて知った御祭神で、「倭姫命世記」の「日神直日大直毘神」なのかも?と思ったが、関連を見出すことはできなかった。
(「まるごと博物館つる」推進事業計画(雛鶴神社):http://www.city.tsuru.yamanashi.jp/div/keikaku/pdf/manabinomachi/marugoto_museum.pdf)
(雛鶴神社:http://www.geocities.jp/bear7bear7/akiyama/hinaturu/hinaturu.htm)
(護良親王の御首級と雛鶴姫伝承:http://sans-culotte.seesaa.net/article/181419883.html)
(護良親王:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B7%E8%89%AF%E8%A6%AA%E7%8E%8B)
(護良親王・大塔宮:http://www8.plala.or.jp/oomorihidtaka/morinagasinnou.html)
(石船神社〜雛鶴神社:http://d.hatena.ne.jp/kureha/20070810/p1)
(石船神社:http://www.geocities.jp/bear7bear7/turu/isifune/isifune.htm)
(倭姫命世記・多賀宮一座:http://nire.main.jp/rouman/sinwa/yamatohime.htm)

「石船神社」のみで検索すると、新潟県村上市(御祭神:饒速日命、水波女命、高おかみ神、闇おかみ神)、茨城県東茨城郡城里町(御祭神:天鳥船命)、京田辺市(御祭神:饒速日命)がヒットし、都留市の場合と同じく物部氏系だなぁと思いつつ、なぜか「徐福伝説」へと移ってしまった。(苦笑)
(新潟県・石船神社:http://www.genbu.net/data/etigo/iwahune_title.htm)
(茨城県・石船神社:http://www.genbu.net/data/hitati/iwahune_title.htm)
(京田辺市・石船神社:http://kyotana.be/object/detail/25/)
(京田辺市・石船神社:http://kamnavi.jp/mn/kinki/iwafune.htm)
(徐福伝説(山梨県河口湖町〜富士吉田市):http://www.asukanet.gr.jp/tobira/jofuku/jofuku.htm)

行基絡みで検索するとさらに横道にそれて、青梅市の地名に辿り着き、「塩船」は「周囲の地形が小丘に囲まれて船の形に似ているところから僧行基が塩船と名付けた」という伝承があるが、拝見したサイトの方は、「身をかがめた(ような丘の中にある場所)」という意味のマオリ語の「チオフ・ネイ」の転訛と解されているようで。
(http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei11.htm)

「古代からのネットワーク」に関する氏族のうち、「行基プロジェクト」にはマオリ語を用いる人々がいた、というか、物部氏がそのようだが・・・。
(和名抄について:http://murata35.chicappa.jp/yomoyama/0806/index.html#137)
(京都府船井郡の丹波町ほかの歴史:http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/195.html)
(碧玉と九鬼水軍:http://kiyond.blogspot.com/2010/05/blog-post_30.html)

2012.01.28(Sat.)

風琳堂さんのブログを拝見し、「以下は、三十九度という高熱のなかでのカッパ狛犬への妄想言で、だれもこれは信じてならない話である。」との前置きの下に、「(蓮峰山常堅寺の十王堂を護るカッパ狛犬の)頭をえぐられるのは、自由な思考を封殺されるのと一緒だろう。」とあり、ふとコミック「陰陽師3」での「追儺」を思い出して。
(http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/archive/2012/01/28)

コミックでは牛の頭から罌粟(けし)を取り出し、篝火にくべる、という場面が描かれていて、「火の神が煙とともに供物を天上に運び、天の恩寵にあずかろうとする素朴な信仰」が見えるようで。
(追儺の始まり:http://www.ffortune.net/calen/setubun/tuina.htm)
(追儺式:http://blog.goo.ne.jp/penpentaro/e/a454d1bdc148023e278e18626e3c0d6c)
(追儺考:http://www.geocities.jp/edelfalter/recture/tsuina.htm)
(護摩:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B7%E6%91%A9)

だから「カッパ狛犬」の頭には「罌粟」が置かれ、火による浄化の儀式が行われていたのではないかと思ったんだが、常堅寺は「カッパ淵に隣接しており、そこに住むカッパが常堅寺の火事を消して狛犬になったという伝説がある」とのことで、違うのかなぁ、と・・・。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E5%A0%85%E5%AF%BA)

2012.01.31(Tue.)

「古代からの暗号」さんのブログを拝見している時に西行のMLが届き、両方に「橘」が出てきたのでちょっと気になりまして。
(古代からの暗号・春の七草:http://blog.goo.ne.jp/kotodama2009/e/224d83b1d8f75af5f63c41b12ed41c4d)

西行の歌にもあるように、「万葉集」でも「橘」は「卯の花」「ほととぎす」などと合わせて詠まれていて、「源氏物語」の「花散る里」では「追憶の象徴として橘が詠まれている。」とのことで、引用させていただいた以下の西行の歌は、意味ありげな感じがしますね。。
(『東日流外三郡誌』の中の孝謙天皇 2:http://blog.goo.ne.jp/kotodama2009/e/5ecca4eedd81f907e1e72fc88f35dc4f)

西行辞典 213号より

卯の花を垣根に植ゑてたちばなの花まつものを山ほととぎす
(岩波文庫山家集250P聞書集188番)

卯の花を垣根に植えて、橘の花が咲くのを待っているのになあ、山郭公よ。
(和歌文学大系21から抜粋)

ほととぎす花橘はにほうとも身をうの花の垣根忘るな
(岩波文庫山家集45P夏歌・新潮196番)

郭公よ、花橘は香り高く匂おうとも、お前がもう宿らなくなるので
身を憂く思っている卯の花の垣根のことを忘れないでほしい。
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)

ほととぎす花橘になりにけり梅にかをりし鶯のこゑ
(岩波文庫山家集46P夏歌・新潮欠番・西行上人集)

時鳥がかぐわしい花橘に訪れて鳴く季節になったよ。
この間までは梅のかおりに鴬の声までもかおっていたのだが。
(和歌文学大系21から抜粋)

わが宿に花たちばなをうゑてこそ山時鳥待つべかりけれ
(岩波文庫山家集43P夏歌・新潮182番・西行上人集)

自分の家に花橘の木を植えてこそ、山郭公も待つことができるというものである。
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)

よそに聞くはおぼつかなきにほととぎすわが軒にさく橘に鳴け
(岩波文庫山家集260P聞書集249番)

離れた所に聞くので聞えたかどうかはっきりしないから、
郭公よ、私の家の軒に咲く橘に来て鳴けよ。
(和歌文学大系21から抜粋)

うき身知りて我とは待たじ時鳥橘にほふとなりたのみて
(岩波文庫山家集46P夏歌・新潮欠番・西行上人集)

わが憂き身を知って自分からは時鳥がやって来て鳴くのを期待するまい。
橘がかおる隣に訪れるのをあてにして。
(和歌文学大系21から抜粋)

たちばなのさかり知らなむ時鳥ちりなむのちに聲はかるとも
(岩波文庫山家集259P聞書集248番・西行上人集・雲葉集)

橘の盛りを知ってここへ来て鳴いてほしい。
郭公よ、花が散った後に声は枯れ、遠ざかるとしても。
(和歌文学大系21から抜粋)

軒ちかき花たちばなに袖しめて昔を忍ぶ涙つつまむ
(岩波文庫山家集194P雑歌・新潮714番)

軒近くに咲いた花橘の香を袖に染ませて、
昔恋しさに流す涙を袖で包んで隠そう。
(和歌文学大系21から抜粋)

ふかみどり人にしられぬあしひきの山たちばなにしげるわが恋
(岩波文庫山家集242P聞書集116番)

人に知られない山の中の山橘の葉のように、人知れず深緑に繁りゆく私の恋よ。
(和歌文学大系21から抜粋)

かさねてはこからまほしきうつり香を花橘に今朝たぐへつつ
(岩波文庫山家集144P恋歌・新潮587番)

袖を重ねての共寝を重ね、染みこませようと思う移り香を、
今朝は花橘の香をその移り香にたぐえつつ、逢った折のことを懐かしむことだ。
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)

世のうきを昔がたりになしはてて花橘におもひ出でばや
(岩波文庫山家集188P雑歌・新潮722番)

この世の憂さはすべて昔語りにしてしまって、
花橘の香にさそわれて懐旧の念にひたろうよ。
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)

西行のML発行責任者の阿部氏のサイト「花の詩」にアップされている「ホトケノザ」に(仏座・三階草)とあり、「三階草」から北野天満宮の「三階松」紋を思い出し、関連が気になるところで。
(ホトケノザ:http://hanahito.web.fc2.com/hotokenoza.html)
(安倍晴明陰陽師ツアー「いざなぎ流祭文」:http://www011.upp.so-net.ne.jp/dhistory/sei_0vj.htm)

しかし、道真の祖が「天穂日命」であること、出生に「渡会氏」が絡んでいるようであること、滋賀の余呉に道真に関する伝承があることなど、そして「いざなぎ流祭文」で書かれている「梅」「熊野」「鍛冶神」の繋がりなどが、頭の中でいまいち整理できておらず・・・。

あと、「春の七草」の「ホトケノザ」は「田平子」(コオニタビラコ)だそうで、「三階草」も「田平子」も「葉のつきかたが仏様の円座に似ている」ようだが、「胡瓜草」にも「田平子」という別名があるようだし、田平子=小鬼田平子≠鬼田平子ともあり、加えて「和風諡号」が気になってきたりして、もう頭の中はウニ。(苦笑)
(田平子:http://www.hana300.com/tabira.html)
(胡瓜草:http://www.hana300.com/kyurig.html)

ただ、「『東日流外三郡誌』の中の孝謙天皇 2」に書かれている「(日本国の成立に関わった7つの民族または国の名や歴史を)「秋の七種(ななくさ)」とする花の名前に仮託した暗号を『万葉集』に残し、その秘伝を伝える努力」は、戦国時代以降はわかりにくくなっているようだが、その民族間の繋がりは昭和初期頃までは残っていたように思う。

2012.02.01(Wed.)

「笠沙路探訪」さんのサイトの2月号を拝見し、「事代主命」が女性かもというのは考えたことはあるが、「国譲り」と隼人の「俳優」の繋がりに関しては調べたことがなかったのでとても勉強になり、いつぞや書いた「天穂日命」が女性かも、というのも考えられなくはなさそうに思ったが、以前調べて挫折してからまだ改めて調べることはしてなくて・・・。。
(http://www4.synapse.ne.jp/yatusiro/newpage57.html)

あと、「建御名方神」と「阿多の笠沙」の縁のキーワードは「瀬織津姫」と思われ、風琳堂さんのブログによると、松本市の「神林神社」では、「建御名方命」と「瀬織津姫」が祀られてますね、「八幡大神」とともに。
(神林神社:http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/11281422.html)

岐阜県養老町の「火闌降命」を祀る7社をリンク先で拝見したところ、関市の「南宮神社」の境内社「若宮神社」の御祭神が「火闌降命 他 玉依姫 應神天皇」とあり、2009.06.02分や2009.08.26分などで書いた太子のヨメとされる蘇我氏の「刀自古郎女」が、出家して尊光上人として「善光寺」の尼僧となる際に勧請した「加茂神社」の御祭神「玉依比売命」と「瀬織津姫」は繋がるのではないかと考えていて。
(加茂神社:http://homepage3.nifty.com/himegappa/jisha/kamo/kamo.html)
(天香山 の吾田媛 と 「かご弓 ・ かご矢」(1):http://www4.synapse.ne.jp/yatusiro/newpage8.html#nado)

で、養老町石畑には行基ゆかりとされる「浄誓寺」があり、「火闌降命」を祀る7社の下に書かれている常陸大田市の「長幡部神社」は「長幡部秦氏」が関連しているようで、古代からのネットワークの存在が見えるようで。
(長幡部神社:http://www.geocities.jp/engisiki02/hitachi/bun/hit210401-01.html)

他に「火闌降命」と行基の関連を考えられる神社としては、伊丹空港近くに「桑原神社」があり、南西約3キロに行基ゆかりの「昆陽寺」があって。
(桑津神社:http://kamnavi.jp/mn/kinki/kuwadu.htm)

また「横並び二つの鳥居」は、「池上・曽根遺跡」からほど近い「泉穴師神社」にあり、信長に焼かれるまでは行基ゆかりとされる「極楽寺」が西約2キロのところにあった。
(泉穴師神社:http://kamnavi.jp/ym/hiboko/izumiana.htm)
(http://www.city.izumiotsu.lg.jp/kakuka/toshiseibi/machizukuriseisaku/tantougyoumu/tosikeikaku/jyuukyohyouji/shouwachou.html)

現在「泉穴師神社」の御祭神は「天忍穗耳尊、栲幡千千姫命」だが、「五畿内志」「泉州志」では「級長津彦命・級長津姫命」とされているようで「兵主神」が考えられ、「栲幡千千姫命」も含めて秦氏が見えてくるようで。
(泉穴師神社:http://ameblo.jp/yukariokada/entry-10784535411.html)

あ、薩摩川内市高江町の「南方神社」には「級長津彦命・級長津姫命」も祀られてますね・・・あ、ここの神社って2011.01.06分で検索してますね、かつての職場の最寄駅が「南方」であることから。
(南方神社:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%96%A9%E6%91%A9%E5%B7%9D%E5%86%85%E5%B8%82))

2012.02.03(Fri.)

実家のある泉大津市は「毛布の町」として織物が盛んだった町で、最近では機織りの機械の音が聞こえなくなって寂しく思うのですが、私が小学生くらいの時には、近所のどこを歩いても機織りの音がしてました。

で、祖母はかつて織物工場の工員さんたちの昼食の賄いの仕事をしており、どういう経緯でそのお仕事についたのかは母親も知らず、ふと気になって検索してみたところ、これかなと思うことが出てきまして。

「泉大津織物業の歩み」というPDFファイルが検索でヒットし、それによると祖母の勤務先だった会社の社長が「愛知県三河の出身」のようで、「三河の蒲郡あたりには紡績もあったので、技術者として大津に大勢来たのだと思います。」とあった。

祖母の曽祖父(祖母の母方の祖父の父)の本籍が愛知県幡豆郡西尾町で、祖母の父親の本籍が愛知県愛知郡長久手村なので、祖母の父親がヨメの親戚の紡績技術者らとともに移り住んだのだろうな、と。
(泉大津織物業の歩み1:http://ir.library.osaka-u.ac.jp/metadb/up/LIBOEP/oep055_2_107.pdf)
(泉大津織物業の歩み2:http://ir.library.osaka-u.ac.jp/metadb/up/LIBOEP/oep055_3_083.pdf)

さらに検索を続けていると、「1875年 三谷の(現蒲郡市三谷町)小田時蔵氏が自宅の2階を工場にして、20台の織機を据え付け近所の女子を集め始めた事が、蒲郡での織物業の始まりである。」とあり、
(夢織人:http://www.yumeoribito.jp/know/history/history.html)

『類聚国史』や『日本後記』によると、799年(延暦18年・平安時代の初め頃)に崑崙人(コンロン人)が愛知県幡豆郡福地村(現・西尾市)の海岸に流れ着き、助けてもらったお礼に綿の種と栽培方法を伝えたと言われています。『日本後記』には、これが日本の綿の起源と記されています。
(三河木綿のルーツを辿って:http://nakase.jp/conduct/)

とのことで、織物の起源から技術者の泉大津への移転には、「古代からのネットワーク」の存在の有無ははっきりしないとしても、縁故関係が伺われ、代々農家だった幼馴染の家では親戚の紡績会社の内職もされてた時期があって。

で、泉大津にはかつて行基ゆかりの「極楽寺」があり、「虫取浄忠寺にある「石仏阿弥陀如来」、春日町上品寺の「阿弥陀如来坐像」は、もと極楽寺の仏像」とされており、紡績会社があったのはその近くで、蒲郡市形原町には「行基山 實相院」が、西尾市(旧幡豆郡幡豆町)東幡豆大境には「薬王山 三ケ根観音(太山寺)」が行基ゆかりの寺院とされており、「三谷温泉」も行基による発見とされていて。
(昭和町(極楽寺):http://www.city.izumiotsu.lg.jp/kakuka/toshiseibi/machizukuriseisaku/tantougyoumu/tosikeikaku/jyuukyohyouji/shouwachou.html)
(實相院:http://www.kimura-product.co.jp/sikoku4/mikawa882/mikawa19.htm)
(三ヶ根観音:http://www.asahi-net.or.jp/~gi4k-iws/sub44-19.html)
(三谷温泉:http://www.aichi-kanko.jp/search/detail.asp?id=2065)

上記の愛知県幡豆郡福地村(現・西尾市)の海岸に流れ着いたという「崑崙人」は、「村人の中にいた中国の人」によって「コンロン人」とわかったようで、そのコンロン人を辿ると、村の「川原寺」に住み、勅令により「大阪、和歌山、徳島、兵庫、岡山、香川、福岡、高知、愛媛、まで綿の栽培方法を 教えにいき」、「その後、村をでて僧になり、近江(今の滋賀県)の国分寺に移り住み、さらに河内(今の大阪府)の国分寺に移ったといわれています。」とのことで、定家の門弟(衣笠大臣)による綿の種についての歌があったことや、「村人の中にいた中国の人」のことや、「コンロン人」がもたらした種が「紀波陀種」で「秦氏」に繋がるようなあたりが興味深いですね。
(http://www.yumeoribito.jp/know/QA/backs/01.html)
(天竹神社:http://www.e-tukemono.com/tenj2s.htm)
(天竹神社:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%AB%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE)
(西尾天竹神社の棉祖祭(You Tube):http://www.youtube.com/watch?v=KtM-4cZ5bzo)

近江や河内の「国分寺」に移った、とされるあたり、「古代からのネットワーク」の存在が見えるようですね、「752年(天平勝宝4年)4月9日には東大寺盧舎那仏像の開眼供養の導師をつとめ」たという「菩提僊那」はインド人で、行基は難波まで菩提僊那を迎えに行ったり、「霊山寺」は2人による開基で繋がりがあって。
(菩提僊那:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E6%8F%90%E5%83%8A%E9%82%A3)
(霊山寺:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E5%B1%B1%E5%AF%BA_(%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82))

さらに検索を続けていると、田村麻呂の本拠地にある「杭全神社」がヒットし、「天竹神社」についても書かれていて、さらに「綿の栽培には干鰯や油かすなどを買い入れなければならないため・・・」とのことから、北海道で仕入れた「にしん粕」を木綿栽培用として兵庫などに売った「嘉兵衛」を思い出した。
(杭全神社:http://kamnavi.jp/kumano/osk/kumata.htm)
(干拓地と北前船の寄港地:http://www.iokikai.or.jp/siomatinominato.simotui.html)
(兵庫県と北方領土:http://www.hoppou.go.jp/gakusyu/watashitachi/hyogo/hyogo.htm)
(菜の花の沖1・2・3:http://leo.nit.ac.jp/~ito/shagaku/book/502book176.pdf)
(靱・天満 大阪の問屋街:http://homepage3.nifty.com/KOMBU/kombu/kombu_41.html)

うーん、「木綿の話になると、節目節目に日本から遠く離れたインドが登場するのが、何やら、歴史の機微に触れているようでおかしみを感じる。」とあるのも興味深いですね、私も一時インドを検索してたことがあったので。
(木綿のはなし(1):http://peruseus.at.webry.info/201008/article_3.html)

上記の「木綿のはなし」の2話目を拝見してすぐ、「蒲団」の文字と「布のなかに蒲(がま)の穂をいれたものだともいわれたりするようだが・・・」とあることに「三河の蒲郡」を思い出し、由来を探したけどよくわからず・・・。
(木綿のはなし(2):http://peruseus.at.webry.info/201008/article_4.html)
(布団の語源・由来:http://gogen-allguide.com/hu/futon.html)
(蒲原に生える蒲(ガマ):http://www.ac.auone-net.jp/~takizawa/gama.html)
(ガマ(蒲):http://www.geocities.jp/tama9midorijii/ptop/kagap/gama.html)

ということで、またしても中途半端になったけど、私にも「古代からのネットワーク」の血が流れているんだなぁ、と。

ちなみに父親の父方の本籍は、居住地だった東京での空襲で焼失して不明だけど、生前母親が父親から聞いてた話によると、新潟の出身だったそうで、父親の母の本籍が愛知県碧海郡矢作町だったから、父親も母方の紡績技術者だった親戚を頼って大阪に来たのかも。

で、祖母が働いてたので母親は「おしかばーさん」に育てられたとよく話していて、その「おしかばーさん」が祖母の母親の姉ということで、紡績技術者が集団で移動したことがわかる事例かと。

母親は詳細を忘れてしまったようだが、よく聞かされた「(勤めてた紡績会社の)本宅に田村3兄弟が来てる。」という話に、どういう繋がりによる訪問なのかを疑問に思ったが、阪妻さんが「木綿問屋の息子」だったということで、なんとなく納得。(苦笑)
(阪東妻三郎:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E6%9D%B1%E5%A6%BB%E4%B8%89%E9%83%8E)

追記:(2012.02.06)
3日の検索の続きをしていて、蒲郡で織物業が始まったとされるのが明治8年(1875年)だそうで、2001.07.01分で書いたように泉大津では江戸時代には真田紐が作られていたようだが、大正8年に祖母が両親たちとともに泉大津に移り住んだ頃には羊毛による毛布が作られていたと思われるので、技術者として移り住んだのかどうかが何となく気になるんだが、よくわからず・・・。
(主な産業の歴史:http://www.city.izumiotsu.lg.jp/oideya/sangyou/omonasangyou.html)
(後藤又兵衛:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%9F%BA%E6%AC%A1)
(泉州毛布のはじまり:http://japanblanket.com/mouhu_arekore1.html)
(これが真田紐です:http://www.sanken-intl.co.jp/arcive_sanada/contents/column/himo/sanadahimo.html)
(泉大津市における戦災の状況:http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kinki_05.html)

追記:(2012.02.20)
母親に話を聞いてきて、訂正箇所がありまして。

「おしかばーさん」が祖母の母親の姉と書きましたが、祖母の母親とは血縁関係はなく、祖母の養母なだけだそうだが、祖母の両親と同様に移住してきたのは確かなようで。

祖母の母親の本籍はわからないけど、祖母の母親の父が岡崎城に仕える武家だったらしいから、近くに住んでいたのではないかとは思えるんだが、泉大津に移住してきたのは祖母の母方の繋がりによるものではなく、紡績会社の初代社長と祖祖父が知り合いだったから、ということのようで。

あと、「(勤めてた紡績会社の)本宅に田村3兄弟が来てる。」という話は、本宅の親戚の家に来られてた、というのが正しいようで、田村3兄弟は初代社長の孫娘の婿の親戚で、さらにその婿の身内に映画監督をされていた方がおられたので来られてたようで、阪妻さんが「木綿問屋の息子」だったということが孫娘とその婿との縁に関わっているのかどうかは不明。

で、どういうことなのかの詳細がわからないんだが、初代社長が「蒲郡」から来られたようだけど、そもそもは「福釜」に住んでいたらしい・・・検索したところ、福釜は三河国碧海郡(現在の愛知県安城市福釜町)だそうで、曽祖父の本籍地の「長久手」よりも、私の父親の親戚がいたという疎開先の碧海郡矢作町や、祖母の母親とは血縁関係のない養母の本籍である幡豆郡西尾町の方が近いようで。

ということで、頭の中がこんがらがってきたんだが、いちばん驚いたのが曽祖父が移住した理由で、「紡績会社が『信達』にガラ棒の工場を作ることになったから、こっちに来て働かないか。」と言われて来たそうで、しばらくは泉大津から「信達」の工場まで通ってたらしい・・・なぜ離れた泉南市に?と思った反面、やはり「古代からのネットワーク」なのかもと、行基ゆかりの「長慶寺」を思い出していた。
(ガラ紡:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%A9%E7%B4%A1)
(長慶寺:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%85%B6%E5%AF%BA_(%E6%B3%89%E5%8D%97%E5%B8%82))


長慶寺本堂
御本尊は行基作と伝えられる如意輪観音。


[多宝塔(開山堂)]御本尊:行基菩薩

余談になるが、何かの検索で見つけた安城市・西尾市・額田郡幸田町に伝わる伝統芸能「三河萬歳」がちょっと気になる。
(三河萬歳:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E8%90%AC%E6%AD%B3)

追記:(2012.03.12)
昨日実家に行った時に母親に、「泉州で妙見さんってどっか知ってる?」と訊ねたところ、「ゆうばぁがよく妙見さんがどうのって話してたように思うんやけど、どこかはわからんわ。」と。

「ゆうばぁ」というのは、蒲郡から泉大津に来て紡績工場を創業したうちの1社の社長の奥さんのことで、妙見信仰を通じての繋がりが連綿とあったことの証しではないか、と。

ただ、泉大津近辺での「妙見」についてはよくわからず、泉州で有名なのは堺市南区の法道仙人創建とされる「感応寺」で、東海方面では静岡市葵区の「井宮神社」がヒットしたけど、遠いですよね・・・。
(感応寺:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E5%BF%9C%E5%AF%BA_(%E5%A0%BA%E5%B8%82))
(感応寺:http://kouyakaidou.kankou-kawachinagano.jp/kouya/kouya10-9.html)
(妙見川(感応寺近くに流れている川):http://agua.jpn.org/sensyu/myoken.html)
(その他の妙見社:http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/sonota-myouken.html)
(井宮神社:http://www.asahi-net.or.jp/~kw2y-uesg/jiin/inomiya/inomiyajinjya.htm)
(井宮神社:http://www.shizuoka-cvb.or.jp/oogosho400/study/07_40.htm)
(井宮神社:http://www1.odn.ne.jp/genzo/syumi_gen1.html)
(井宮神社:http://www1.odn.ne.jp/genzo/tanabata_folder/tanabata_2_folder/tanabata2.html)
(近畿地方の妙見菩薩:http://www.ensenji.or.jp/img/pdf/05.pdf)
(中部・北陸地方の妙見菩薩:http://www.ensenji.or.jp/img/pdf/04.pdf)

2012.02.17(Fri.)

昨日の朝、テレビで「白川郷」の特集みたいなのがあり、そこで元旦に行われる「春駒踊り」で「七福神」に扮した方々がおられるのを見て気になり、検索してみたけど「岐阜県指定の重要無形文化財」で、「寛永年間に中国より伝わったものとされて」いるということくらいしかわからなくて・・・。
(春駒:http://www1.odn.ne.jp/~vivace/Gifu/shirakawamiyage.html)
(白川村の春駒踊り:http://shirakawa-go.org/lifeinfo/info/kankou/harukoma.html)
(白川村の春駒踊り:http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku-bunka-sports/bunka-geijutsu/bunkazai-zuroku/bunkazai-zuroku/mumin/sirakawamura/sirakawamuranoharukoma.html)
(白川郷の七福神:http://www.youtube.com/playlist?list=PL260CF27DEC300D1A)
(2012年新春 白川郷春駒祝い唄:http://www.youtube.com/watch?v=hUIZLlUavEk)


神奈備さんの「青草談話室」で生田氏が書かれている「日本の精神文化の中核を形成した言語」に関わる事柄で、アイヌに入ったタジク人「オタシュツ・アイヌ」と「出雲」の関係なども気になって、検索して生田氏がかつて他のサイトで書かれたのを拝見し、「古代からのネットワーク」や「瀬織津姫」との関連が見えそうな感じがしたんだが・・・。
(青草談話室:http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/aokbbs.cgi)
(http://www.azaq-net.com:8080/saijyo2/28.html)
(掲示板書庫.13:http://www.max.hi-ho.ne.jp/stan/l_bbs/bbsold13.htm)
([6069] 出雲と紀:http://kamnaviphoto.web.fc2.com/aodanwa.htm)

円空は「オタシュツ・アイヌ」と出会えたんだろうか・・・。

で、「掲示板書庫.13」で書かれている中に、「斑鳩」や「生駒」などの地名が「東三河」から移されたとあるのも気になり、検索したいことがたくさん・・・。

「歌棄厳島神社」の「歌棄」は、「アイヌ語の「オタシュツ」にちなむ。」とのことで、御祭神が「市杵島姫命」なんですね・・・「松前藩」絡みということは、根室に「金刀比羅神社」を創建した嘉兵衛は「歌棄厳島神社祭」を知っていた可能性がありそうで。
(日本の山車(05037 歌棄厳島神社祭・36677 高田屋嘉兵衛):http://hiyou.easy-magic.com/user/index.php?menu_id=0&main_content_type=BOX_CONTENT&mode=viewcontent&box_content_id=142)
(歌棄郡:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E6%A3%84%E9%83%A1)
(厳島神社:http://www.hokkaidojinjacho.jp/data/04/04060.html)

「斑鳩」と「東三河」の繋がりについては「聖徳太子」の「壬生部」とされる「秦氏」が絡んでいるようだが、地名の由来はそれらによるものかどうかは不明で。
(掲示板 古代神都・東三河:http://6327.teacup.com/maeda/bbs/469)

うーん・・・あ、今朝「高階通憲(藤原通憲)」役の阿部サダヲさんをテレビで拝見しましたが、法号は「信西」の前は「円空」で、江戸時代の「円空」がそれを知っていて名乗ったのであれば、「信西」もまた「何か」を知る人物だったのかも、と思えて・・・大学寮の役職を世襲する資格を失ってまで「高階経敏」の養子になり、出家したのは何故なのか・・・全国にある「行基ゆかり」とされる伝承のように、「古代からのネットワーク」やその背後にある真実を伝えるべく活動をするためだったのかも?
(平治の乱と平清盛(平氏)の隆盛:http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/history001/heian007.html)
(高階氏:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%9A%8E%E6%B0%8F)

2012.02.19(Sun.)

「東三河」と「秦氏」の繋がりには、行基が絡んでいるだろうと検索していたところ、行基が刻んだとされる十一面観世音菩薩を御本尊とする田原市の「泉福寺」がヒットした。
(泉福寺:http://www.net-plaza.org/KANKO/tahara/senfukuji.html)

そのサイトによると、「東大寺建立勧進」のために訪れたとされていて、十一面観音像は「渥美郡の始祖、渥美重国開創のこの寺に寄進した」とあり、「渥美重国」で検索したら「安曇族の末裔」とあり、「古代からのネットワーク」が見えるようで、その繋がりに存在する「瀬織津姫」を、近くの「白山神社」や「阿志神社」などで感じられて。
(阿曇連とサクヤヒメ:http://ascc-style.com/column/2003/11/post-29.html)

で、田原市には西行が「東大寺大仏殿再建の勧進」のため、「奥州に向かう途中、持仏(御本尊・宝玉瑪瑙観音像)を当寺に納めた」とされている行基開基とされる「瑪瑙寺」があり、やはり「古代からのネットワーク」が絡んでのことではないか、と。
(瑪瑙寺:http://www.net-plaza.org/KANKO/tahara/menoji.html)
(東海七福神:http://www8.plala.or.jp/rikan/sitifukujin/sitifukujin.htm)

17日に届いたML「西行辞典」での「立田姫」の歌は、業平の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」が「立田姫」である「瀬織津姫」を歌っていることの補足のように思え、「立田川」とともに歌われている「卯花」も「瀬織津姫」のように思えた。

立田姫染めし梢のちるをりはくれなゐあらふ山川のみづ
(岩波文庫山家集92P冬歌・新潮497番)

秋の女神である立田姫が染めた梢の紅葉が散る時は、
その落葉のために山川の水は紅のくくり染めをさらすかとばかりに思われるよ。
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)

立田川きしのまがきを見渡せばゐせぎの波にまがふ卯花
(岩波文庫山家集43P夏歌・新潮176番・西行上人集追而加書・夫木抄)

神社の瑞垣の近くに咲くのも何かの縁なのだろう。
ここに咲く卯の花は木綿をかけたように見える。
(和歌文学大系21から抜粋)

2012.02.22(Wed.)

昨日の夕刊に「旅の歌人 柱絵で表現」という見出しと「柱絵判錦絵」の写真が載っていて、「京都文化博物館」で「北斎展」が開催されていることなどが書かれていた。
(京都文化博物館:http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special.html)

見出しにあった「旅の歌人」が「西行」のことで、柱絵の「富士見西行」とは「日本画の画題の一。笠・旅包みなどをわきに置いて富士山を眺める西行の後ろ姿を描くもの。」とあり、柱絵だけでなく「伏見人形」というのもあった。
(富士見西行:http://kotobank.jp/word/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%A6%8B%E8%A5%BF%E8%A1%8C)
(紙本淡彩 富士見西行図:http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin/search/search.cgi?panel=detail&d01=10076913853291&c=10)
(富士見西行:http://www.hayashibara-museumofart.jp/bizyutu/009/index.html)
(白隠の「富士大名行列図」の意味するもの・「富士見西行図」:http://ga.hanazono.ac.jp/homepage/fujiHP/index.html)
(西行「富士見西行」:http://www.h2.dion.ne.jp/~hushimi/saigyo.htm)
(三井記念美術館・北斎の生涯と画業http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index2.html)

なぜ「富士」を見ている「西行」が「日本画の画題」の1つとなったのだろうか・・・「旅をする人物として西行法師がいかに良く知られていたかを示すと考えられる。」とされるサイトもあったが、それだけだろうか、と。
(西行法師小伝:http://www.geocities.jp/edelfalter/recture/saigyou.htm)

文学における富士山
富士山は和歌の歌枕としてよく取り上げられる。また、『万葉集』の中には、富士山を詠んだ歌がいくつも収められている。

「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」 (3.318) は山部赤人による有名な短歌(反歌)である。

また、この反歌のその次には作者不詳の長歌があり、その一節に「…燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ…」(巻3・319・大意「(噴火の)燃える火を(山頂に降る)雪で消し、(山頂に)降る雪を(噴火の)火で消しつつ」)とあり、当時の富士山が火山活動を行っていたことがうかがえる。

『新古今和歌集』から。富士の煙が歌われている。

風になびく富士の煙の空にきえてゆくへもしらぬ我が心かな 西行 (#1613)

都人にとって富士は遠く神秘的な山として認識され、古典文学では都良香『富士日記』が富士の様子や伝承を記録している。
(富士山:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1)
(西行ML・駿河の歌:http://sanka11.sakura.ne.jp/sankasyu4/218.html)

とあり、上記の「万葉集巻第三 三一九」の続きには、「日本ひのもとの 大和やまとの国の 鎮しづめとも います神かも」ともあり、「大和の国の鎮護ともまします神」は「瀬織津姫」のことではないかと。
(富士山:http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/fuji.htm)
(瀬織津姫神の行方:http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/18618344.html)
(走湯山・伊豆山を地形から考察する:http://protecs.web.infoseek.co.jp/hashiriyusan_chikei.htm)

北斎の海の絵や北斎自身も気になるし、「現在広く知られる「北斎」は、当初名乗っていた「北斎辰政」の略称で、これは北極星および北斗七星を神格化した日蓮宗系の北辰妙見菩薩信仰にちなんでいる。」というのも気になっており、歌人との関連など、改めて検索してみたいと思う。
(葛飾北斎:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E)
(北斎は「写楽」を見たのか?:http://www.ten-f.com/hokusai-syaraku.htm)
(北斎 VS 広重 浮世絵、富士山対決:http://www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_5323/)
(万葉集 富士山を詠んだ歌:http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/area/kanto/fujisan.html)
(富士山の短歌たち:http://fujinoyama.blogspot.com/2011/06/blog-post_03.html)
(高橋虫麻呂の富士の山を詠む歌:http://fujinoyama.blogspot.com/2011/12/blog-post_29.html)
(和歌に詠まれた富士山の噴火:http://www.geocities.jp/yasuko8787/6-hunka.htm)
(梁塵秘抄における富士山:http://fujinoyama.blogspot.com/2011/12/blog-post_13.html)
(表富士と裏富士、表口と裏口:http://fujinoyama.blogspot.com/2011/02/blog-post_13.html)

うーん、2007.05.11分や2010.02.17分で書いたように、「高橋虫麻呂」が気になりますね・・・あ、今日の「ヒストリア」が北斎ですね。

追記:(2012.02.23)
北斎は秦氏の「狩野山雪」と繋がっていたようで、「狩野永納」の「本朝画史」が気になり、「世阿弥」の謡曲「江口」を描いているのも気になる。
(狩野山雪:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E9%87%8E%E5%B1%B1%E9%9B%AA)
(狩野永納『本朝画史』の研究:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2007/539.html)
(謡曲・江口:http://cubeaki.dip.jp/youkyoku/eguti/index.html)
(北斎の西行物語・世阿弥の江口:http://kafkadie.blog.shinobi.jp/)
(西行と遊女江口:http://15.pro.tok2.com/~fwkf8336/bijyutu2/b2katusikahokusai2.htm)

また、「広重」は国芳、三代・豊国とともに「小倉擬百人一首」を描いていて、「西行」の

なげけとて 月やはものを おもはする かこちがほなる わがなみだかな

をなぜ「弁慶」と「静御前」で描いたのかが気になるし、北家の「九条家」との繋がりも気になりますね。
(歌川広重:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E5%BA%83%E9%87%8D)
(小倉擬百人一首:http://homepage2.nifty.com/ukiyo-e/100/100-thumb01.htm)
(小倉擬百人一首シリーズ:http://tsubaki.lix.jp/hyakunin-1s/hyakunin-1.htm)
(小倉擬百人一首「西行法師」広重と豊国、国芳の浮世絵:http://hitorishiz.exblog.jp/11799789/)
(九条幸家:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E5%B9%B8%E5%AE%B6)
(九条家:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E5%AE%B6)

こうして気になることが増えたんだが、果たしてここから何を検索対象にすれば「古代からのネットワーク」と繋がるヒントが見いだせるのかで止まってしまった・・・。

追記:(2012.02.24)
西行の歌が「弁慶」と「静御前」で描かれているのは「船弁慶」から?作者は「観世小次郎信光」に比定されているようで、世阿弥の甥・音阿弥の子ということは世阿弥の「西行桜」もよく知ってるだろうから、西行の歌と「弁慶」と「静御前」を結びつけたのは「観世小次郎信光」かも?それとも「小倉擬百人一首」での「柳下亭種員」の筆記の方が先?
(船弁慶:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E5%BC%81%E6%85%B6)
(船弁慶:http://funabenkei.daa.jp/utai/funabenkei_u.html)
(観世小次郎信光:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E4%B8%96%E5%B0%8F%E6%AC%A1%E9%83%8E%E4%BF%A1%E5%85%89)
(柳下亭種員:http://kotobank.jp/word/%E6%9F%B3%E4%B8%8B%E4%BA%AD%E7%A8%AE%E5%93%A1)

追記:(2012.02.25)
北斎が当初名乗っていた「北斎辰政」が「北辰妙見菩薩信仰にちなんでいる。」というのがやはりポイントかと思われ、勝海舟、近松門左衛門、龍馬なども同様のようで・・・かつて闇の日本史さんのサイトで将門についてを拝見してて、「妙見信仰」のウラには「古代からのネットワーク」(特に秦氏)が関連していると思われるが、いまいちそれを示すものが見つかりにくいようだが、行基ゆかりとされる「能勢妙見」などがあり、京都の「宝積寺」での「星祭り」も関連がありそうで。
(北斎と法性寺:http://www.yanagishima-myouken.net/hokusai/index.html)
(北極星から取った北斎の号:http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080129/145708/)
(錦糸町の歴史:http://www11.ocn.ne.jp/~tulipfls/kinshicho.htm)
(北上・多岐神社(新山宮)─妙見信仰の残照:http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/30181010.html)
(復活!スチールロード:http://www011.upp.so-net.ne.jp/dhistory/masa_112.htm)
(平将門と瀬織津比刀Fhttp://dostoev.exblog.jp/i227)
(社説:龍馬の原動力は土佐の妙見信仰:http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-shasetu/10/1004/shasetu100415.html)
(北辰一刀流:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E8%BE%B0%E4%B8%80%E5%88%80%E6%B5%81)
(植野加代子著『秦氏と妙見信仰』:http://www.iwata-shoin.co.jp/shohyo/sho1080.htm)
(四国のマリア:http://kunitokotachi.tosalog.com/Entry/11/)
(宝積寺節分会星祭:http://www.gkyoto.com/2011/01/22/setsubun-2011-housyaku/)
(中部・北陸地方の妙見菩薩(岐阜・西行梅露庵観音堂):http://www.ensenji.or.jp/img/pdf/04.pdf)
(大井道(岐阜・西行梅露庵観音堂16・17):http://www.gctv.ne.jp/~nkmr3030/ooimichi~yamaoka-ena.html)
(秩父神社:http://nire.main.jp/rouman/fudoki/14sait40.htm)
(秩父の伝説:http://8tagarasu.cocolog-nifty.com/sakamitisannpo/2008/06/1_6a88.html)

岩手の「黒石寺」では、「妙見菩薩」に「瀬織津姫」を見いだし、対で祀られる像として行基は「薬師如来」を刻んだのかも・・・。
(黒石寺・妙見菩薩像:http://kokusekiji.e-tera.jp/b-myouken.html)

追記:(2012.04.24)
函館の「実行寺」について、「本堂前の北辰殿妙見堂にまつられている妙見菩薩は、もと高田屋嘉兵衛の守護神だったといわれる。」とあり、繋がりが見えましたね。
(函館市の史跡めぐり:http://www11.plala.or.jp/hakowest/kankou/kankou.htm)

2012.02.29(Wed.)

「百人一首」と「歌舞伎」との関連がいまいちようわからん・・・かつて2007.12.06分で、海老蔵さんのインタビューの時に「雷神不動北山桜」のことが出てきた時に検索して、何かありそうに思ったけど詳しくはわからなかったんですよね。
(雷神不動北山桜:http://www.geocities.jp/tadatanome/contents/best18/danjou_narukami.html)

北斎による「百人一首うばが絵説き」や、歌川国芳による「百人一首之内」というのもあるようで、どれをどう調べればいいのやら・・・。
(錦絵・浮世絵作品:http://www.geocities.jp/e_himajiisan/gazoushyutai.html)
(錦絵一覧表:http://tsubaki.lix.jp/nisikiemein.htm)
(百人一首うばが絵解:http://tsubaki.lix.jp/etoki/etoki.htm)
(画狂老人卍的世界:http://jam.velvet.jp/hokusai1.htm)
(歌川国芳:http://www.city.adachi.tokyo.jp/003/d10100011.html)

2012.03.06(Tue.)

「古代からの暗号」さんのブログに、「屏風絵の源」が「藤原定家」が「後仁和寺宮」に詠進した「詠花鳥和歌各十二ヶ月」にあるという解説をご覧になったことが書かれていて、展示されていた屏風に「十二ヶ月花鳥図屏風(江戸時代・狩野永敬筆)」「十二ヶ月歌意図巻(江戸時代・土佐光起筆)」があったそうで、やはり上の推測は合っているのかも、と。
(『古今和歌集』仮名序の<結び>:http://blog.goo.ne.jp/kotodama2009/e/4afe157110350eb6a92f9e8bc8a1f9ac)
(詠花鳥和歌各十二ヶ月:http://www.choshuya.co.jp/kinko37kei/5miyabi_utagokoro/5miyabi_utagokoro.html)

2012.02.23分の追記から北斎と「京狩野」との繋がりや、狩野派以外にも「土佐派」「琳派」や西洋画なども学んだというあたりも気になってて、「土佐光起」といえば、現物を見たことはないが堺市の「開口神社」の「大寺縁起」に行基のことなどを描いているようで。
(京狩野:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E7%8B%A9%E9%87%8E)
(大寺縁起:http://www.city.sakai.lg.jp/city/_bunkazai/_kyouiku/bunkazai/ootera.html)
(大寺縁起(原文):http://izuminokuni.town-web.net/modules/meishozue_01/index.php?content_id=47)

「土佐光起」の「本朝画法大全」は「土佐家伝来の秘伝」を誤って伝えられるのを恐れて著した、とのことだが、画法だけなのかが気になるし、「狩野永納」の「本朝画史」にも何かありそうなんだが・・・「古今伝授」が誤って伝わってるのを知っていたから著したのでは、と。
(土佐光起:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E5%85%89%E8%B5%B7)

「色絵定家詠十二ヶ月和歌花鳥図角皿」というのがあるそうで、「乾山はこの題材がお気に入り」とされてますね・・・ということは、やはりこの兄弟もそのあたりのことを知っていた、ということになるのかも。
(光琳と乾山の兄弟コラボ作品:http://dramatic-history.com/art/2008/japan/rinpa/exh-dairinpa08.html)
(尾形光琳:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%BD%A2%E5%85%89%E7%90%B3)

光琳の曽祖父・尾形道柏の夫人は「本阿弥光悦」の姉、とのことで、「本阿弥光悦」は2010.03.27分でちょこっと書いた「堺伝授」に繋がるかもしれないことも気になるところで。

「本阿弥光悦や俵屋宗達など江戸の文化人と交流」があった人物として、慶長8年(1603年)細川幽斎から古今伝授を受けて二条派歌学を究め」たという「烏丸光広」が検索でヒットした。
(烏丸光広:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E4%B8%B8%E5%85%89%E5%BA%83)

その「烏丸光広」と親交があったという「俵屋宗達」は、「西行法師行状絵詞」を描いているんですね・・・。
(西行法師行状絵詞:http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=145397)

うーん、江戸琳派の祖とされる「酒井抱一」は、なぜ「定家詠」ではない独自の「十二か月花鳥図」を作ったんでしょうね・・・「蕉門十哲の第一の門弟」と言われている「宝井其角」を追慕し、抱一の肉筆浮世絵に知人の「大田南畝」が狂詩を加賛、というのも気にかかって。
(琳派─研究の最新状況,そしてデザインソースとしての可能性(1):http://kougeiichiba.com/repo/pdf/kougei33.pdf)
(酒井抱一:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E6%8A%B1%E4%B8%80)

2012.03.08(Thu.)

昨日、「堺市博物館」での企画展「開口神社と堺」を見に行き、「土佐光起」による「大寺縁起」も見てきたけど、絵巻に太子のことも描かれていたことに少し違和感を覚えたくらいで、新たな発見とかはなかった。
(堺観光ガイド:http://www.sakai-tcb.or.jp/info/index.php?id=366)

昔の境内図を見てた時、境内社に「北辰神社」があり、そのことをすっかり忘れていたので検索していると、「但馬妙見日光院」さんのサイトに辿り着き、拝見していると、「妙見菩薩」の本地が「薬師瑠璃光如来」とあるようで、「十一面観音」だけではないのかも、と。
(妙見とは:http://www.fureai-net.tv/myoukensan/page003.html)

で、検索してみると、丸井敬司氏の「『紙本著色千葉妙見大縁起絵巻』と伊勢地方の妙見信仰」からの引用に、

妙見説話の妙見の本源・本地については、密教諸流派が関った複雑なものとなっているが、大きく分けると本源については北極星と北斗七星があり、本地については観音(十一面観音)・薬師(七仏薬師)、仏眼・八字文殊・定光仏補處の菩薩の五伝がある。
『源平闘諍録』の「妙見説話」では、「本源を北辰(北極星)とし、本地を十一面観音とされているが、密教諸流派の中で本源・本地を北辰・十一面観音としているのは園城寺の妙見信仰の特徴である。一方、「戦国期の妙見説話」は、本源を北斗七星、本地を七仏薬師としている。この本源・本地を北斗七星・七仏薬師とする思想は、台密山門派の影響の強い『渓嵐拾葉集』と東密系の神道書である『霊気記』・『神代巻秘訣』に登場する。
(千葉妙見:http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/honji/files/CHIBA.html)
(仏眼仏母:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E7%9C%BC%E4%BB%8F%E6%AF%8D)
(八字文殊:http://www.mason-kitani.co.jp/butuzou/bosatu.htm)
(燃燈仏:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%83%E7%87%88%E4%BB%8F)

とのことで。

「開口神社」の神宮寺「念仏寺」の御本尊「薬師如来」は、「堺鑑(1684年刊)、和泉名所図会(1796年刊)等には、大寺境内の北東部に瑞森薬師堂があり大寺の秘所であり、そこに行基作と伝えられる薬師如来像が安置されていると記されています。」とのことで、「北辰神社」の本地を祀る「瑞森薬師堂」を「大寺の秘所」とされていたのではないかと思われるのだが、「白髭神社」の祠の中にある井戸に「竜神(しら)」が住んでいたという伝承も気になるし・・・。
(薬師社と薬師如来坐像について:http://www.aguchi.jp/aguchijinjya4.html)
(開口神社にまつわる伝説のかずかず:http://www.aguchi.jp/aguchijinjya3.html)

行基は「園城寺」に「弥勒菩薩」を奉納しているようなので、絵巻の太子との繋がりが見えるような、そうでないような・・・。
(三井寺について:http://www.shiga-miidera.or.jp/about/index.htm)

追記:(2012.03.10)
博物館で購入した「開口神社と堺」の5ページに、宿院御旅所付近にもともと「チリヤタラリ川」(タラリラ川)があったことが「泉州堺之図」(宝永元年)にあるそうで、次のページにはその川の河口を「チリヤデテ」と呼ばれていたと「泉邦四懸石高寺社旧跡并知侍伝」(元禄九年)にあるそうで。

検索では詳細は出てこなかったけど、「「法華五部九巻書」所載の猿楽唱歌の序」にあるという「千里也多楽里」だとすれば、「チチノ里ナル楽シミ多キ里」ということなんだろうか?「法華五部九巻書」は偽書だといわれているらしいが・・・。
(翁の謡出しの詞章:http://www.br4.fiberbit.net/data-pro01/nougakudo/kenkyuu/uousaou/uousaou5.html)
(とうとうたらりたらりら:http://k-yugehi.jugem.jp/?eid=2031)

2012.03.09(Fri.)

「妙見」についてさらに検索していると、妙見神=真武大帝(玄天上帝)とされる説や、琳聖太子との関連も考えられ、「真武大帝(玄天上帝)」と「琳聖太子」における共通点があると書かれたサイトがあった。
(妙見信仰と真武信仰における文化交渉:http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/6113/1/1-02-03-NIKAIDO%20Yoshihiro.pdf)
(真武大帝:http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/essay1007.html)
(琳聖太子:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B3%E8%81%96%E5%A4%AA%E5%AD%90)

「琳聖太子」については、「鎮宅霊符」で検索してた2009.06.02分や、道灌、信玄、海舟を繋ぐ1つとして「妙見信仰」が見受けられとした2011.02.12分などに書いたことがあるが、「真武大帝(玄天上帝)」は初めてなので検索してみたところ、「北方真武玄天上帝出身志伝」(北遊記)は「真武大帝」の物語のようで。
(明代神怪小説「四遊記」:http://homepage3.nifty.com/adeno1/sci/hist3b.htm)
(玄武:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E6%AD%A6)

ただ、「玄天上帝」が人格神として記載された文献は唐代以後からのようなので、行基の時代の「妙見信仰」の在り方が気になりますね。
(玄天上帝の変容:http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/xuandi.html)
(妙見神の由来:http://www.myouken.com/data/yurai/yurai.htm)
(日本における星の信仰:http://www2.tba.t-com.ne.jp/tty-gt/hoshi-shinkou/nihon/nihon-hoshishinkou02.html)

「北斗七星」は「多賀の星」ですか・・・しかし、小倉の「多賀神社」は近江の総本社からの勧請のようだけど、直方は「創建年代等については不詳」のようで・・・総本社と妙見の関連もよくわからず・・・。
(多賀神社(直方):http://lunabura.exblog.jp/i18)
(多賀神社(直方):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%B3%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%9B%B4%E6%96%B9%E5%B8%82))
(多賀神社(小倉):http://members.jcom.home.ne.jp/eirakuan2/kokuminami-sii.html)

うーん、「妙見」は「明剣」?「三体妙見、磐長姫・コノハナサクヤ姫、大山はセットのようなもの。」とされているようですが・・・。
(白濱神社の三体妙見:http://ameblo.jp/dragon-anasta/entry-10293759322.html)
(三島信仰と北条氏:http://lemurian.blog.shinobi.jp/Entry/187/)

あと、「妙見」と「大元」という名の神社がある広島の「勘定神社」や、多賀城にある「荒脛巾神社」の境内の「太子」の石碑など、関連が気になるところで。
(安浦の民話:http://www.city.kure.lg.jp/~komink/yasuk/tiiki/miyouken.pdf)
(勘定神社:http://kurechin.web.fc2.com/photo/outing01/yasuura/atonishi06_001.html)
(荒脛巾神社:http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/db658ce09f73b998d827b960dd8bfca8)

追記:(2012.03.13)
「三井寺」には行基等が納めたという「弥勒菩薩」があり、また「尊星王像」があるそうで、その関連を調べてみたところ、「富士講・弥勒講および教派神道においては、みろく=弥勒=身禄=妙見(尊星王)=天御中主神というかたちで至高神化」したそうで、日光修験とも繋がっているようで。
(弥勒講(日本における弥勒):http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Mithraism_Mirokukoh.html)
(三井寺の尊星王像:http://www.shiga-miidera.or.jp/treasure/picture/02.htm)
(霊符山 尊星王院:http://miidera.or.jp/otera.html)
(日光修験道:http://www.nikko-shugendo.com/hoshi.shtml)

ただ、「七福神」では「弥勒」は「布袋」とされているので、また頭の中がごちゃっとしているが。
(ミトラ教の東方伝播:http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Mithraism_History_EastProp.html)

2012.03.14(Wed.)

神奈備さんの掲示板から暗号「山上憶良」さんのサイトを拝見し、そこからふと思い出して闇の日本史さんのサイトを拝見して、「柏原八幡神社」も「大阪天満宮」の「大将軍社」も、京都の「大将軍八神社」や「晴明」も、「妙見」で繋がることになるのかなぁと思いつつ、それをどう書けばいいのかなぁと書きあぐねている次第でして。
(青草談話室[6425]:http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/aokbbs.cgi)
(八幡神社:http://homepage2.nifty.com/ihmm/sub27-3.html)
(大将軍社:http://www.geocities.jp/yasuko8787/daisyougunnsya.htm)
(大将軍社:http://otube.osakazine.net/e387088.html)
(晴明神社の暗号:http://www011.upp.so-net.ne.jp/dhistory/sei_0r2.htm)
(大将軍八神社:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D%E5%85%AB%E7%A5%9E%E7%A4%BE)
(大将軍八神社:http://www.genbu.net/data/yamasiro/taisyougun8_title.htm)
(王城鎮護・大将軍神社:http://www.genbu.net/zatu/zatu001.htm)
(大将軍・蛇毒神:http://www.miesin.com/ab-gozutennou-03.htm)
(岡崎神社:http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/gion-okazaki.html)
(大将軍神社(東山区):http://everkyoto.web.fc2.com/report444.html)
(今宮神社:http://www.kamimoude.org/jinjya/kyoto-city/kita/ki-imamiya/index.html)
(藤森神社:http://kamnavi.jp/yamasiro/fujinomori.htm)
(藤森神社境内図:http://www.fujinomorijinjya.or.jp/keidaizu.html)


藤森神社境内社「大将軍社」(2004/01/05撮影)

御祭神:岩長姫命
延暦年中 桓武天皇 平安時代遷都の折(794年)、王城守護のため、四面に大将軍を祀られた。その南面の守護神がこの社である。古来この神は方除神として崇敬を集めている。
(境内の説明板より抜粋)

あ、キーワードは神奈備さんの掲示板で拝見した「大将軍社」なんだけど、検索を続けていると滋賀の「伊砂砂神社」がヒットし、そのサイトによると「大将軍」と繋がるのが「渋川神」と思われ、「ニギハヤヒ」に繋がるのかなぁ、と。
(地名 大将軍を探る:http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page195.html)
(伊砂砂神社:http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=340)
(伊砂砂神社:http://www.norichan.jp/jinja/kenkou/isasa.htm)

奈良の「秋篠寺」の境内に「大将軍社」があるようですが、お寺の御本尊は行基が刻んだとされる「薬師如来」で、その御本尊も繋がるのかも、と・・・。
(秋篠寺の神社:http://blogs.yahoo.co.jp/nekozero54/57858509.html)

うーん、「古代からのネットワーク」に属する氏族は同じ神を祀るが、氏族によって祭祀のかたちや像が異なるのかも、と、「大将軍神」「妙見菩薩」「毘沙門天」の像などを見てて思ったが、またしてもニギハヤヒと瀬織津姫が頭の中でごっちゃになってしまってるようで・・・。
(大将軍神半跏像:http://www.narahaku.go.jp/collection/d-846-0-1.html)
(妙見菩薩像:http://www.butsuzou.com/jiten/myouken.html)
(妙見菩薩像:http://kokusekiji.e-tera.jp/b-myouken.html)
(能勢の妙見菩薩像:http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/nose-myouken.html)
(兜跋毘沙門天立像:http://www.narahaku.go.jp/collection/d-754-0-1.html)
(妙見と虚空蔵、北辰と明星、破軍星と太白星:http://blog.livedoor.jp/susanowo/archives/50045218.html)

で、「方位」が関係するならば、「方除け」の堺市の「方違神社」(御祭神:スサノヲほか)や、近くにあったとされる行基による「伏屋」、「東大寺」の西北に「方除け」のために行基が建立したという「法楽寺」(御本尊:薬師如来)なども、「妙見」に繋がるのだろうか・・・また、空海が持ち帰ったとされる「宿曜経」と「妙見」はどうなんだろう。
(方違神社:http://www.hochigai-jinja.or.jp/index.html)
(方違神社:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E9%81%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE)
(厄除・方位除表:http://kanmuri.com/ka/gokitou/yakuyoke_houiyoke/index.htm)
(法楽寺:http://www.geocities.jp/kawai24jp/nara-ikoma-hourakuji.html)
(法楽寺:http://narajisya.blog.eonet.jp/mahoroba/2006/03/post-56fa.html)
(文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AE%8A%E5%B8%AB%E5%88%A9%E8%8F%A9%E8%96%A9%E5%8F%8A%E8%AB%B8%E4%BB%99%E6%89%80%E8%AA%AC%E5%90%89%E5%87%B6%E6%99%82%E6%97%A5%E5%96%84%E6%82%AA%E5%AE%BF%E6%9B%9C%E7%B5%8C)
(宿曜道:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E6%9B%9C%E9%81%93)

2012.03.16(Fri.)

昨日から読み出した本に疑問がわき、読まれた方で同じような疑問を持った方がおられないかと検索していたら、その本の概要を書かれたり、関連する神社等に行かれたブログは見つかったんだが、疑問は解消できなかった。
(あらはばき:http://sanpomichi114.web.fc2.com/arahabaki.html)
(アラハバキ神と謎の古代史「記紀」 7:http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/952505f81f00be0d805ea43aec0e41b8)
(神のはじめの神:http://homepage2.nifty.com/kodaishinto/page007.html)
(イナンナ(イシュタル)とアラハバキ:http://ameblo.jp/mametantantan/entry-11182074980.html)

「アラハバキ」に関して検索して拝見したサイトに、蒲郡市の「神倉神社」が載っていたのでさらに検索していると、「昔新宮からやってきた鵜殿氏が蒲郡を治めていたということがわかりました。」とあり、鵜殿氏によるものかどうかは不明だが、熊野と三河との繋がりには「古代からのネットワーク」の信仰があったのでは、と。
(福島の歴史物語:http://plaza.rakuten.co.jp/qiriya/diary/?ctgy=18)
(田村大元神社:http://www.town.miharu.fukushima.jp/03kanko/03kanko/01_0201jinja.htm)
(神倉神社:http://www.mikumano.net/zaiti/gamakamikura.html)
(鵜殿氏:http://www2.harimaya.com/sengoku/html/udono_k.html)
(藤原実方:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9F%E6%96%B9)

で、「神倉神社」で検索していると、先日行基ゆかりとされる寺院が数ヵ所見つかった形原に「形原神社」があるのを知り、御祭神の「埴安大神」「朝廷別王命」が気になり、検索内容が横道にそれたが、「朝廷別王命」を祀る神社は宝飯郡一宮町の「砥鹿神社」くらいしかないようで、「荒羽々気神社」があることから、あながち無関係ではなさそうで。
(形原神社:http://www.genbu.net/data/mikawa/katahara_title.htm)
(砥鹿神社:http://kamnavi.jp/en/mikawa/togano.htm)

また「埴安大神」がなぜ祀られているかについては、同じような疑問を持たれている方のサイトがあり、そちらに書かれていた「石見神楽」の演目「五神」を拝見し、こちらもまた「アラハバキ」に繋がりそうで。
(筑前の地禄神社。:http://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/2e7d7810fef3e357b95a551c4ff00d5f)

あと、「ちかた、ちかつの神」について書かれていたサイトで「形原神社」のことが取り上げられていたので拝見していると、柳田氏の「石神問答」で「近津社が、川に関する神と同類であるかのやうに置かれてゐることに気づいた。」とされていて、瀬織津姫に繋がりそうな。
(ちかつ拾遺:http://nire.main.jp/rouman/ubu/tikatas.htm)

話が前後して申し訳ないですが、「武埴安彦」の検索で神奈備さんの掲示板のログを拝見し、そこでリンクされてた玄松子さんのサイトを拝見したところ、こちらもまた「アラハバキ」との関連がありそうで。
(神奈備掲示板の案内とログ:http://kamnavi.jp/log/yumv0404.htm)
(社日:玄松子の雑記帳:http://www.genbu.net/zatu/zatu004.htm)
(社日:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E6%97%A5)

近江氏の「記紀解体」の125ページに書かれている、「皇帝以外には行うことが許されない秘法」となった時点で、「アラハバキ神の性格は護法神から国家鎮護の『大元帥明王法』として皇帝独占の秘法へと変わった。」とのことだが、それには「空海」や「常暁」は関わってるようだが、公費で留学した「最澄」がもたらした密教はどう捉えたらいいんだろうか・・・。
(大元帥明王:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%85%83%E5%B8%A5%E6%98%8E%E7%8E%8B)
(大元帥明王:http://web1.nazca.co.jp/atchde/01-sinra24b.html)
(大元帥明王像:http://1仏像.jp/budda/19_1.html)

だが、「(空海は)当時、仏教は国家仏教で庶民とは縁遠い宗教であったが、度会氏が外宮を大元尊神とする教理を打ち立てたのと同様に、仏教に組み込まれて外道に落とされたアラハバキ神の本流への復活が狙いだったのではないだろうか。」(p129)は同感で、「アラハバキ神の本流への復活」は行基の活動の1つでもあったのではないか、と。

2012.03.19(Mon.)

昨夜熱がある時に本を読み終え、今日もまだぼ〜っとしてるので、どうにも頭の中がまとまらずにいるのだが、西行のMLの管理者の方が清盛のドラマに違和感を覚えておられるのと同様に、近江氏の「記紀解体」に首をかしげておりまして。

清盛のドラマのみならず、「記紀」や韓流の歴史物には首をかしげることが多く、それが正しい歴史だと思われてしまうのはコワイことだなと思うものの、それを質すほどの知識がないので、歯がゆくもあるんだが・・・。

で、16日書いた最澄についての疑問よりも唸ったのが、近江氏の「記紀解体」の後半で「アラハバキ」が「ホアカリ」に繋がる内容になっていることで。

「度会氏」は「ホアカリ一族」で「度会氏」と「磯部氏」が同族と捉えておられることから、そちらの方向へと行かれたと思うけど、それならば「荒祭宮」を移祀したとされる「桜川磯部稲村神社」は「ホアカリ」を祀ってるの?と。
(磯部稲村神社:http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/ibaraki/sakuragawasi/isobe_inamura/yuisho.html)
(瀬織津姫:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E7%B9%94%E6%B4%A5%E5%A7%AB)

また、天穂日命が「スパイ」であったのならば、天穂日命の末裔とされる道真と度会氏との関係はどうなるんだろ?と。
(綱敷天神社・度会春彦(白太夫):http://www011.upp.so-net.ne.jp/u-shirae/yuisyo/gosaijin-wataraiharuhiko.html)

「大元尊神」は「アラハバキ神」のことで、「ホアカリ系が渡来以前からの最高神としていたものをカムフラージュしたもの」であるならば、必ずしも「アラハバキ神」が「ホアカリ系」だと言えるわけじゃないと思うし、ナガスネヒコ一族のことはどう捉えておられるんだろ?と。

かつて、「十一面観音」を「ニギハヤヒ」だと書かれていた本もあったし、私自身もどちらのことなのかがわからなくなることがあるから、一層混乱してしまっているという状況で、また熱が出そうな・・・。

2012.04.10(Tue.)

ネットのニュースによると、「阿古屋松」という能が590年ぶりに復曲される、とのことで調べて、「世阿弥」作で「実方」「松」「塩竃明神」が出てくるあたり、気になりますね。
(世阿弥の能、590年ぶりに「復曲」 京都観世会:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120409-00000016-kyt-l26)
(阿古屋の松:http://www.jmcy.co.jp/~goto/Majime/toshio/simi/simi91.htm)
(阿古屋之松:http://cubeaki.dip.jp/heike/heike-2/heike2-9.html)
(藤原成経:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%88%90%E7%B5%8C)
(平康頼:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%BA%B7%E9%A0%BC)
(俊寛:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%8A%E5%AF%9B)
(硫黄島 〜 薪能 俊寛 − 鹿児島県三島村:http://washimo-web.jp/Trip/Ioujima/ioujima.htm)
(謡蹟めぐり 俊寛3 九十九所王子、康頼関係謡蹟:http://www.harusan1925.net/0223.html)
(三島村の文化財:http://www.mishimamura.jp/contents/kankou/bunka/bunka.html)
(宗神社:http://www.genbu.net/data/tanba/sou_title.htm)
(玉林寺・康頼神社 盟友・俊寛の無念 胸に:http://www.topics.or.jp/nie/117307666665/120875433098.html)
(野間大坊:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E9%96%93%E5%A4%A7%E5%9D%8A)

「野間大坊」は行基による中興とのことで、かつて2010.04.21分、2010.05.28分、2010.11.18分などで調べたことのある「野間」(真野)の地名や、「野間大坊」の近くと思われる場所に行基ゆかりの寺院があることなども気になるところで。
(知多半島・野間界隈:http://www.geocities.jp/shanehsmt_tabi3/Travel/Japan/Chubu/Noma.html)

2012.04.26(Thu.)

昨夜「ヒストリア」を見てると「行基」の名前が出てきて、廿日市市には行基ゆかりとされるお寺が5つほどあるものの、「厳島神社」に繋がるお寺があることやそこに行基が絡んでいることも知らなかったので、びっくりしつつも納得したような。(笑)
(嚴島神社 ふしぎの島の物語〜ヒーローたちが愛した世界遺産・宮島の旅〜:http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/124.html)

で、先ほどメモしていた人物や事柄などを検索したわけだが、行基ゆかりとされる竹生島の「宝厳寺」にも平家との繋がりがあり、「宝厳寺」の「弁財天」、「竹生島神社」の「市杵島比売命(弁財天)」、「厳島神社」の「宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)」が繋がっていることを、平家のみならず、竹生島で彫られた弁財天を信仰していた源氏も知っていたのではないかと改めて思った。
(平家物語ゆかりの竹生島へ:http://www.chikubushima.jp/topics/807.html)
(宝厳寺のいわれ:http://www.chikubushima.jp/origin)
(竹生島神社:http://www.chikubusima.or.jp/saijin.php)
(三縁山 宝珠院:http://goshuin.ko-kon.net/7fukujin/minato7_hoju-in.html)

[宮島弥山大本山大聖院]
広島県廿日市市宮島町にある真言宗御室派の大本山の寺院。
宮島で最古の歴史を持つ寺院であり、厳島神社の別当寺として祭祀を司り、社僧を統括してきた寺院である。観音堂本尊の十一面観世音菩薩、勅願堂本尊の波切不動明王のほか、三鬼大権現、七福神、一願大師など数多くの仏像が安置されている。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B3%B6%E5%BC%A5%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E8%81%96%E9%99%A2)

[本坊]観音堂
大聖院で最も大きな建物が観音堂。もとは嚴島神社の御本地仏で行基菩薩の作と伝えられる十一面観世音菩薩が安置されている。
(廿日市市 環境産業部 観光課:http://www.miyajima-wch.jp/jp/shrines/02.html)

で、「ヒストリア」によると、「厳島神社」の信仰が篤かった「毛利元就」が陶氏との戦において奇襲攻撃する際、明かりのない夜道を案内したのが「鹿」ということになっているが、厳島神社の神職「棚守房顕」がその「鹿」かもしれない、と推測されており、私は空海絡みの聖地ということで山岳修験者だったのではないかと推測していて。

番組で紹介されていた「棚守房顕覚書」によると、房顕が「奇襲ルート」を知っていたことをその根拠とされているようだったが、安芸の歴史について書かれているブログを拝見していると、やはり山岳修験者が絡んでいたのではと思ったりするわけで。
(博打尾ルートの先駆者・多賀谷氏:http://tororoduki.blog92.fc2.com/blog-date-201105.html)
(攻略!厳島合戦〜博打尾奇襲ルート感想:http://tororoduki.blog92.fc2.com/blog-entry-129.html)

[棚守職]
神棚を守ると云う意の厳島神社の職名で、大宮棚守、客人宮棚守、外宮棚守の三職があった。棚守房顕は、1495年(明応4年)に厳島社本殿の棚守に生まれた人物。
(川内:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%86%85_(%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82))
(厳島神主家:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E4%B8%BB%E5%AE%B6)
(棚守屋敷跡:http://minkara.carview.co.jp/userid/157690/spot/285740/)

行基ゆかりとされる廿日市市の「正覚院」が、「厳島神主家藤原氏が鎌倉荏柄天神社を篠尾山に勧請したことから天神坊と呼ばれてきたが・・・」とのことで、え?と思って検索したところ、鎌倉初期から戦国時代にかけて藤原氏が「厳島神社」の神主家当主になっていて、藤原氏滅亡ののち、佐伯氏が復権したようで。

そのきっかけとなった小方加賀守の娘婿「杉隆真」が、「佐伯景教」と名乗ったのは何故なのかが気になりますね、検索では詳細はわからなかったけど。

あと、2010.01.27分で書いたように、「陶晴賢の残党が山伏となって」須佐町の「道永の滝」のあたりに逃げ、「その子孫が滝に向かって左側にある大きな洞穴に黄金の茶釜を隠したと言う伝説もあるそうです。」とのことで、源氏と平氏同様、「陶氏」も元就と信仰が同じだったのではないかと思えたが、それを明確にしめす伝承等は今のところ見受けられなくて。

で、元就と言えば、アーケード街の三越と天満屋の間にあった「胡子神社」を思い出し、御祭神「事代主命」「蛭子命」「大江広元」の関連が気になるところで。
(胡子神社:http://www.ebisujinja.jp/index.php?option=com_content&task=view&id=12&Itemid=34)

ん?上記URLの「胡子神社」の御由緒に「厳島神社(住吉さん)」というのがあるが、どこの「厳島神社」が「住吉さん」なんだろ?


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