とんでもニャ〜Mの推測3−8
※役にたたない推測ばかりの駄文です。(爆)

2011.03.01(Tue.)

「笠沙路探訪」さんの3月号「『尾張・三河』と『隼人』の『赤いひれ(領巾・肩巾・比礼)』」に、「神事では、「木綿襷(ゆうだすき)」というもの」があったことや、「隼人の「ひれ」は、やはり「大儀、行幸」用にと「緋色の絹1,5メートルほど」が支給されることになっていた。」ということが書かれていて、「三島木綿」との関連がありそうで気になった。
(『尾張・三河』と『隼人』の『赤いひれ(領巾・肩巾・比礼)』:http://www4.synapse.ne.jp/yatusiro/newpage46.html)

で、「日本書紀 天武天皇11(682)年3月」条にあるという、「「古いしきたり」としてあった『宮庭料理人や女官』の「たすき・ひれ」の『着用が禁止』された記録」についてや、「天武10年5月11日」条の「皇祖の御魂を祭る」ことについて、天武の祀った「伊勢」の神が「隼人」の神でその「神事」に関わる事柄であるならば、ウソの神を仕立て上げた不比等はその詳細を消しただろうな、と。

《天武天皇十一年(六八二)三月辛酉【二十八】》◆辛酉。詔曰。親王以下、百寮諸人。自今已後。位冠及畢。褶。脛裳莫著。亦膳夫。釆女等之等之手繦。肩巾、〈肩巾、此云比例。〉並莫服。是日。詔曰。親王以下至于諸臣。被給食封皆止之、更返於公。

《天武天皇十年(六八一)五月己卯【十一】》◆五月己巳朔己卯、祭皇祖御魂。是日。詔曰。凡百寮諸人恭敬宮人。過之甚也。或詣其門謁己之訟。或捧幣以媚於其家。自今以後。若有如此者。随事共罪之。
(http://www.j-texts.com/jodai/shoki29.html)

その場合、天武と隼人は繋がりがある、というか、同族ということが言えるかも、だけど。

2008.11.08分などでの「機殿神社」で、伊勢の神事で使われる「和妙」には三河国の「赤引の糸」を服部(はとりべ)が用いていたようで秦氏が関わっていると思われ、「荒妙」は麻績部によって「麻」で織られることから物部氏系と思われ、すなわち両者ともが「隼人」と繋がるのでは、と。
(機殿神社:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E6%AE%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE)
(太神宮両御機殿通俗畧記:http://www.library.pref.mie.lg.jp/digibook/data/004/004.htm)

不比等の乗っ取りの誤魔化し方(?)として、祭祀はそのまま続けさせるが、そのための費用を出させるだけでなく、上前をはねるような形を取っているようだが、「伊勢」の場合は不比等が仕立て上げた「皇祖」にすり替えたから、隼人に繋がる記述については削除したのではないかと。

「隼人の肩巾」について書かれているところに「桂女」についてがあり、2009.05.17分などで森氏の著書から検索した時には隼人との繋がりに気づかなかったが、「桂」が「月」に関連があることや隼人による「月」の信仰を思い出し、ここでもまた秦氏と隼人が繋がるようで。
(桂姫:http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/wagashi/w-19.html)
(桂女:http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000098)
(月読神社(京田辺市):http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/tuki-tukuyomi-kyoutanabe.html)
(鹿屋野姫と隼人たち:http://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/gesshin/hayato_gesshin/02kayanohime_hayato/02kayanohime_hayato.html)

ウィキペディアに、「和妙・荒妙」を他に必要とされる頚玉(くびたま)・手玉(てだま)などと合わせて」専門の業者に奉織を委託している、とあることから、「頚玉・手玉」を検索したところ、盛装しているアイヌ女性がつける飾板のある首飾りが「シトキ」と呼ばれ、「シトキは人体に見立てられ、個々の玉に名前があるといいます。」とあり、「レクツンタマ(頸玉)」「テクンタマ(手玉)」などが書かれていて、それが「隼人」の神事に繋がるように思えたのだが、証明できる文献は今のところ見出すことはできておらず・・・。
(日本・アイヌ玉 (シトキ・タマサイ):http://bead2.blog26.fc2.com/blog-entry-19.html)

埴輪に見られる装身具などのように、「玉」を身に着けるということは「神事」に繋がるように思われ、「日本書紀」に「コノハナサクヤヒメ」について、「かの先立つる浪穂の上に、八尋殿(やひろどの)を起(た)てて、手玉も、もゆらに、機織る少女」とあるのは、織られた布が「隼人による神事」に用いられるものであることを表し、「伊勢」でも同様なのではないか、と。
(日本の古代工芸の変遷:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kannabi/kodaikougei-2.htm)
((9)棚機津女:http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/other-folk/tanabata.htm)
(日本紀歌解:http://www.geocities.jp/kiebine2002/arakida.htm)

で、「笠氏」については、先月の29日に書いたように2010.10.09分で森氏の著書に書かれていた「笠百私印」から気になっていて、「浦入遺跡」については「笠という氏族の百□という名の人物の私印と読めることから、八世紀末ごろ「笠氏」がこの地に存在したことを証明し・・・」とのことで、美濃国の笠氏と同時代かと思われるが、滋賀の「笠縫」の笠氏は7世紀あたりかと。
(笠水神社の地域に「笠氏」の存在:http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/utemizujj.html)
(知ってる?笠縫:http://kasanui.net/kasanui/kasanui.html)
(笠縫のあゆみ:http://kasanui.net/kasanui/kasanuino_ayumi/rekisi.html)

滋賀の「笠縫」の笠氏と奈良「笠縫邑」の人々が同族であれば、宮中に奉祀していた天照大神を移したという崇神天皇6年以前に遡れると思われ、2010.11.19分での「讃岐忌部氏」ゆかりの地に「笠」のつく地名があることや、笠縫邑近くの「讃岐神社」が物部氏系とあることなど、「隼人」と繋がりそうで。
(笠縫邑:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E7%B8%AB%E9%82%91)
(讃岐忌部氏:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AE%83%E5%B2%90%E5%BF%8C%E9%83%A8%E6%B0%8F)
(讃岐神社:http://kamnavi.jp/as/katuragi/sanuki.htm)

ということで、またもや「天日鷲命」が絡んできましたね。

あ、ラストに「大嘗祭において、隼人が宮垣を守る衛門や舞人となって供奉し、阿多の女たちが造酒児となり、灰を用いて造った黒酒から薩摩の地酒へ、そして南九州特産の焼酎へとつながるハイテクの系譜を歴史のうちに感じ取れる気がする・・・」とあり、「灰」が用いられることについても2008.10.31分などで何度か書いていて、秦氏か物部氏に繋がると思われるので、「隼人」に繋がる文献があると嬉しいんだが。

行基が「護摩をたいた灰」で作ったとされる「馬頭観音」(長野市・歓喜山 正法寺)や、武殻王による悪魚退治伝説の「大魚」の白骨に火をかけ、その「灰」で「薬師如来像」を造り一寺を建立したという「魚御堂の碑」(香川県)などは、「灰」のもつ「浄化作用」のようなものを表しているように思われ、それらは隼人の知恵なのではないかと思われるわけで。

以前義弟に、「あくまき」に「灰」が使われる理由を聞いたところ、「さあ・・・ずっとそうやって作ってるよってに。」という返事だったので、カクっときたことがあったが。(笑)


ML「西行辞典 164号」が届き、興味深い歌が今回もいくつかあった。

「今号のことば」の1つ目が「しづ枝・下枝」で、6首書かれたうちの1・2番目が住吉に関する歌で、西行の想い入れがありそうで、なーんか隠されていそうな気がするが、それよりも気になったのが3番目の「滝原宮」の歌で。

波とみる花のしづ枝のいはまくら瀧の宮にやおとよどむらむ
(岩波文庫山家集279P補遺・夫木抄)

波のように白く見えている桜の花の下枝のあたりの岩に沈して
旅寝している、その滝の宮では、はげしい滝の音もよどみ静まることであろう。
(この歌の解不十分、後考を待つ。)
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

まず感じたこととしては、岩をまくらにして旅寝するかのように咲く桜の下枝を、川の流れでさらってしまわないように静かに流れていく、というような情景が見えるように思ったが、ひねくれ者の私としては、社のない御神体を桜の花だけが慰めていて、本来なら勢いよく水の落つる音が似つかわしいのに、その気配が見えない、という風に感じられなくもないなぁ、と。

4番目は「萩」の歌だが、「想い」を詠んだ相手を想像する前に、「古代からの暗号」さんでは「萩=越の蝦夷=八掬脛」とあったことや、昨日の「天夷鳥命=稲背脛命」にそれてしまうという・・・。

5番目の歌の「こがら」「椎」が気になったものの、私には「古代からの暗号」さんのようには連想できず、6番目の「ふぢ浪」が藤原氏を意味すると書かれているのを見ただけで、何かあるハズ!と。(苦笑)

ふぢ浪もみもすそ川のすゑなれば下枝もかけよ松の百枝に
(藤原俊成歌)(岩波文庫山家集281P補遺・風雅集・長秋詠藻)

藤浪は何もわざわざせき入れなくても、みもすそ川の末なのだから、
松の下枝にかかったらよいと思う。松の百枝にかかる時に。
(渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

「藤原俊成歌」とあるからには、西行の歌もあるんだろうなぁと検索すると、「藤浪を御裳濯河に堰き入れて百枝の松にかかれとぞ思ふ」という、西行の「御裳濯河歌合」の判詞の依頼をする歌があるそうで、その返歌が上記の歌で、実のところ「御裳濯河歌合」に瀬織津姫が詠まれているのではないかと気になっていて、「判詞の依頼」とされているが、本音を歌に託してみませんかという誘いのようにも思えるんだが・・・。
(西行学習ノートNO.019_2:http://www.d4.dion.ne.jp/~happyjr/saigyo2/n019_2.html)

で、「今号のことば」の2つ目の「賎」に関する8首にも何かありそうなんだが、やはり私には読み取れず、「今号のことば」の3つ目「しで」の3首のうちの1番目の歌は第147号に載っていて、2010.11.04分に書いた「「私の信仰する仏と同じ」だとするのは「瀬織津姫」ではないか」という思いは変わりないが、もし西行が「大日」について、「億ウソ」さんの書かれている「東北アジア共通の信仰体」のことを言っているとしたら、「神仏習合が成熟していない」のではなく、むしろその逆かとも思えるのだが。
(皇祖神・天照大御神の大いなるウソ:http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/new/0512amtel.htm)

2011.03.02(Wed.)

「釈迦」は「彼の部族名もしくは国名」とのことで、先月25日に神奈備さんの「青草談話室」から引用させていただいた「薬師」についての生田氏の説、「 iya(弥々)*kus(健康、シヤワセ) i(神)」に分解できるとあることと、「億ウソ」さんのサイトでの「弱水(佳木斯)」が「薬師」でもあることが繋がるのであれば、仏教はしかるべくして取り入れられたのではないかと。
(釈迦:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6)
(十一(東夷)観音に託した東一のnigui:http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/hun/1007higci.html)
(ヤクザとヤクス(薬師)は「茶臼」の裏表だ:http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/hun/0709yakza.html)

ただ、それをどうやって検索し、読み解けばいいのかで行き詰っていて・・・。

「塩族(シオン族)はインドに入り釈迦族となり仏教を編み出した。」と書かれたサイトがあり、「日本では布留に関わるものはすべて牛加(牛をトーテムとする部族)である。」とも書かれていて、物部氏に繋がりそうなのだが・・・。
(ちょっと脱線して部族のお話:http://mayonokuni.web.fc2.com/kenkyu06.htm)
(釈迦族:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6%E6%97%8F)

上記URLのサイトは初めて拝見し、「邪馬台国」について書かれている事柄については何とも言えないけど、「「朝鮮半島と日本のつながり」に関する参考レポート」はなかなか興味深く、シバちゃんがカワイイ。(笑)
(「朝鮮半島と日本のつながり」に関する参考レポート:http://mayonokuni.web.fc2.com/kankoku.pdf)
(シバちゃんのため息:http://sibanokuni.exblog.jp/)

2011.03.03(Thu.)

昨日拝見したサイトでの「塩族(シオン族)はインドに入り釈迦族となり仏教を編み出した。」「日本では布留に関わるものはすべて牛加(牛をトーテムとする部族)である。」で、塩族と一緒にメソポタミアを離れたといわれるウル族は、「釈迦族」との関係があったのか否かが気になった。

もし関係があったのならば、「廃仏派」とはなりえなかったのではないかと思われ、守屋の次男・真福が「薬師如来」を信仰していたという起源が書かれた「真福寺」があることなどからも、「廃仏派」というのは書記によるイメージの植え付けなのではないかと。
(真福寺:http://www.shinpukuji.com/jiin/index.htm)

ひょっとしたら守屋は仏教全体を否定したのではなく、「百済」からもたらされた仏像であることに異を唱え、それによりその仏像とともに信濃に左遷されたのかも、という推測が。

「牛」で思い出すのは道真で、土師氏も守屋と同じく「ウル族」だったのであれば、同じような形で左遷されたことによって両者ともが「怨霊」とされたのかも、とも。

2008.10.18分で、森氏の「京都の歴史を足元からさぐる 北野・紫野・洛中の巻」から引用させていただいた「渡来集団を代表する阿智王(使主)の子孫、つまり東(倭)漢氏が神牛の教をもっていた。」こと、帯方への移動は「神牛の教」によるものであるならば、東漢氏はウル族とともに行動したのではないかと思われ、書記の中で「ウル族」と同様に消されたのでは・・・。

で、2011.01.29分で「播磨國風土記」を書かれているサイトの「スクナヒコナと両面宿儺についてのトンデモ」での、スクナヒコナがインド人かも、という説を引用させていただいたが、スクナヒコナも塩族・ウル族に関する人物だったとしたらインド人だったともいえそうで、書記で東漢氏と同様に消されてしまっているあたりからも、塩族・ウル族に関する人物との見方ができそうで。
(スクナヒコナと両面宿儺についてのトンデモ:http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/sukunahikona.shtml)

ただ、「部族のお話」で引用されている鹿島昇氏の説では、物部氏は「羊、鶏をトーテム」とする「涓奴部」(羊加)とあり、蘇我氏が「猪」をトーテムとする「灌奴部」(猪加)とあるが、「灌奴部」と「順奴部」(牛加)との繋がりがよくわからず、川崎真治氏の説から「涓奴部」は「馬奴部」で「発生地はアルタイ」ではないかとされており、「灌奴部」は「順奴部」であろうとされていて、こちらだと繋がりが見えるような気はするが・・・。

うーん、同時期にインドに入った「インドアーリア人」には「二系統の種族がありました。」とされるブログがあり、抜粋・引用させていただくと、「純潔アーリアン」は「羊加」で「歌作成する能力を有するためバラモン(僧)」になり「月神王朝」「陸系 カッシート 月氏」、「混血アーリアン」は「牛加」で「日神王朝」「海系 カルデア・マガン・エブス・フェニキア」と。
(古代インド史:http://plaza.rakutenco.jp/Phoenix3/diary/?ctgy=0)

「億ウソ」さんによると、「月氏」は「目支」で「勿吉の異名」であり、「沸流の目支王は後漢時代から三韓(馬韓、辰韓、弁韓)の支配者だった。」とのことで、「沸流」は百済の始祖で「勿吉」は物部氏に繋がる、と。
(月氏:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E6%B0%8F)
(勿吉(向)はどこからやってきたのか?:http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/new/0505mudura.htm)
(「勿」は大物主や物部氏などの「物」の原字:http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/hun/0907tooi.html)

ならば、百済からの仏像を拒む理由がわからないし、「セレンディピティ」さんのブログでは「牛加」は「日神王朝」とあって、どうなっているのやら・・・。

頭がウニ・・・。


追記(2011.03.05):
2009.05.06分で、「明恵」がインド行きを考えていたことを思い出し、「経典を持ち帰るだけの目的ではなく、瀬織津姫のルーツ(善妙?)を探しに行った、ということだったのかも・・・。」と推測していること、「義湘と善妙の物語に深く心を寄せました」とされていること、「義湘」が「新羅の僧で、新羅における華厳宗の祖」で「玄奘」の足跡を追おうとしたと思われることなど、ひょっとしたら繋がるのかもしれないな、と。

そうであるならば、道昭が玄奘から学んだこと、行基が道昭の弟子とされていること、「華厳宗」の思想が反映されて「東大寺盧舎那仏像」が建立されたことなども繋がるのではないかと思われ、「明恵」が「月の歌人」とされていたことや、西行もまた月の歌を多く詠んでいることから、「インドアーリア人」の「純潔アーリアン」に繋がるのかも、と。
(華厳宗:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E5%AE%97)

「華厳宗」の開祖「杜順」が、「大変性質が荒く売ろうとしても引き取り手のない牛に杜順が声をかけるとおとなしくなった。」という逸話があることや、第4祖「澄観」の「四法界」が「禅」の「十牛図」と「共通のものを感じさせる」というのは興味深いが、物部氏同様、「インドアーリア人」のどちらに繋がるのかがわからなくなって。
(杜順:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E9%A0%86)
(澄観:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E5%AE%97)
(十牛図:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3)
(十牛図:http://homepage2.nifty.com/sanbo_zen/cow.html)

あと、「(華厳宗の)中国の五祖の前に、2世紀頃のインドの馬鳴(アシュバゴーシャ。カニシュカ王の友人。)と龍樹(ナーガルジュナ)を加えて七祖とすることもある。」とあり、「馬鳴」について、

バラモンの家系に生まれ、学僧として活躍し議論を好んだ。
(中略)
後に大月氏国(クシャーン朝)のカニシカ王が中インドを征服し和議した結果、この王に伴われ、北インドへ赴いた。カニシカ王の保護のもとで、仏法を宣教して民衆から尊敬され、太陽のように徳のある人という意味で「功徳日」と敬称された。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E9%B3%B4)

とあり、「龍樹」に「瀬織津姫」が見えるような感じがするが、この時代あたりですでに「純血」か「混血」かが混同されているように思われ、やはりよくわからなくて。
(龍樹:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9)

うーん・・・「仏教とゾロアスター教は月信仰側から出ている」「月神王朝の代表が、クル。(中略)アーリア人の王朝だけど、月信仰で、牛をトーテムにしてた。」と書かれた掲示板があって・・・ロス・チャイルドも絡んでくるの?
(http://unkar.org/r/min/1159451054)

「インドにおける太陽信仰と月信仰の対立」について書かれたサイトがあり、「仏教が(元々)月信仰側の思想」「アウトカーストというのは古代の太陽信仰の人々の末裔なのかもしれないが、それを証明する手段は今のところ無い」とされていることから、はっきりとはわからなくて当然なのかも?別のページでインド神話では「龍=牛」となっているとあるあたり、気になりますね。
(インドにおける太陽信仰と月信仰の対立:http://mightywing.net/history/sunandmoon.html)
(インドに来たのか、インドから出て行ったのか:http://mightywing.net/history/inorout.html)

ま、漠然と「月」で連想するのは「秦氏」で、「太陽(日)」で連想するのは「物部氏」だが、このサイトの説によると秦氏が「アラハバキ崇拝の人たち」を征服したとあるので、それは違うんじゃないかと思われるわけで、こちらでも秦氏と藤原氏を混同されているのでは、と。
(三重構造モデル:http://mightywing.net/history/sanjuu.html)

「蛇をシンボルとするダン族が秦=ペルシャ」とされれていることからも、「アラハバキ崇拝の人たち」を征服したとは思われないわけで。
(日猶同祖論私考(その1):http://mightywing.net/history/japjew1.html)

いや、アーリアで考えるのではなく、シュメールから考えるべきかと思えるが、私には難しすぎて・・・。
(日之本研究ホームページ:http://ww91.tiki.ne.jp/~spiral_jp/kodai/sumeru.html)
(シュメール民族の謎:http://www.ican.zaq.ne.jp/euael900/episode12.html)

2011.03.06(Sun.)

行基の没後に始まったようだが、行基にも関連する「東大寺」の「お水取り」で、「日本全国60余州に鎮坐する490ケ所の明神と14000余ケ所の神々の名が書かれおり、それを読み上げて修二会を参詣せよと神々を勧請」するというのを初めて知り、な〜んとなく第二の出雲のような感じがして。
(住職のひとりごと:http://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/4560131070b485bde42cdbd9949ae1aa)

「大中臣祓」が「神様に遠慮をして袈裟を少し外し唱えられ」るそうだが、「黙読」されることや「達陀帽」「青衣の女人」が気になりますね。
(奈良大和路〜悠〜遊〜:http://pinbokejun.blog93.fc2.com/blog-entry-51.html)
(奈良大和路のこと:http://narayamatojinokoto.typepad.jp/blog/2007/03/15_4e91.html)
(お水取り:http://www.ffortune.net/calen/setubun/omizutori.htm)
(講演「修ニ会を学ぶ」聴講記2:http://chinaalacarte.web.fc2.com/kanshou-93.html)

「達陀」とは「サンスクリット語「ダグダ」の地方語、パーリ語「ダッタ」で「焼き尽くされる」「滅し尽くされる」と云う意味」とのことだが、「蹈鞴」や「突厥」にいた「韃靼」人との繋がりも感じられるようで、「青衣の女人」で浮かんだのが5日の追記で引用させていただいたサイトで、「青≒蛇のことだろうか。」とあり、何かを暗示しているようで。
(お水取り その2:http://urano.org/kankou/topics/shunie/omizutori2.html)
(海から救われし者達:http://mightywing.net/history/salvador.html)

それにしても、寒さは彼岸まで続くのでしょうか・・・。


を感化してるのかな〜と思ったのが、「こないだ食べに行ったお店のブログを見てたら『瀬織津姫』とか『桐生』は『貴龍』やったとかって書かれてたわ。」と。

そのブログを拝見したところ、始めの3行にあるだけだったんで、できればもっと書いててほしかったなぁ・・・お料理は想像でもおいしそうだけど。(笑)
(つれづれなるままに:http://d.hatena.ne.jp/doppio0/20110227/1298815786)
(DoppioZero:http://park8.wakwak.com/~doppiozero/)
(桐生天満宮:http://www.kiryutenjin.jp/gorieki.html)

「桐生天満宮」の「当宮の起源は、第十二代の景行天皇の時代に、上毛野国造が天穂日命を奉斎した磯部明神であり・・・」というあたり、気になりますね。

上毛野国造については2009.04.26分などで書いていて、「豊城入彦命」「彦狭嶋王」「御諸別王」は「上毛野氏」の祖とされたかと推測しているが、それが「磯部明神」と繋がるとなると、「天穂日命」も含めて物部氏に関連するということかと。

2011.03.08(Tue.)

「インドアーリア人」についてウニ状態が続いているが、5日の追記分での「龍樹」が「南インドのビダルバの出身のバラモン」とされていることから南インドが気になり、どういう言語が用いられているのかを検索すると「タミル語」のようで、「ドラヴィダ語族に属する言語で、インド南部のタミル人の言語である。」とあり、「?」と思いつつリンクのあった「ドラヴィダ語族」を見たら、その多さにさらにウニに・・・。
(タミル語:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%83%AB%E8%AA%9E)
(ドラヴィダ語族:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%80%E8%AA%9E%E6%97%8F)

で、「ドラヴィダ人」について、「古代からインドに定住していたと考えられる民族群」で、「サンスクリット文学が入る前から存在した独自のタミル文学を保持し、ムルガン神信仰などの宗教や建築、音楽、道徳観、食生活などでも独自のものを持っている、という文化的な側面が挙げられる。」とあり、「タミル文学」「ムルガン神信仰」が気になった。
(ドラヴィダ人:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%80%E4%BA%BA)

「タミル文学」はよくわからなかったが、「ムルガン神信仰」は「パラニ」にある「少年神ムルガン」をまつる寺院を聖地とする「月信仰」のようだが、その起源は不明で。
(ムルガン神の聖地パラニ:http://chaichai.campur.com/indozatugaku/thaipusam.html)

「少年神ムルガン」は「孔雀に乗っている」そうで「孔雀明王」を思い出したが、「孔雀明王」は「元来はインドの女神マハーマーユーリーで、パーンチャ・ラクシャー(五守護女神)の一柱。」とあるので、繋がるのかどうか・・・。
(孔雀明王:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E9%9B%80%E6%98%8E%E7%8E%8B)

別のサイトでは、「古代には山地で焼き畑や狩猟を営む部族民の信仰する神であった」そうで、秦氏がふと浮かんだが・・・。
(ムルガン(スブラマニア):http://homepage2.nifty.com/aozorakissa/bazaarpr18.htm)

「インド舞踊」では恋多き神のようで、「軍の神様」というのも気になるが、「シヴァ神」の次男ということはヒンドゥー教?バラモン教?「スーリヤジャ(太陽の子)」という別名もあるとか・・・「仏教では韋駄天、倶摩羅天」だそうで・・・。
(インド舞踊な毎日:http://bnatyammio.naganoblog.jp/e668228.html)
(カレーなる日々:http://blog.goo.ne.jp/suntosi2005/d/20060430)
(韋駄天:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%8B%E9%A7%84%E5%A4%A9)
(鳩摩羅天:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E6%91%A9%E7%BE%85%E5%A4%A9)
(スカンダ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%80)

「カタラガマ神」という別名もあるようで、「スリランカ先住民ウェッダ族の神と融合したものと考えられ、この名は同国南部の地名カタラガマに由来する。」とあるが・・・。
(スリランカの仏教書 詩1〜10番:http://www.buposo.jp/view/alagiyavannagesubhasitaya1.html)

謎が増えただけの検索だったような気がする。


追記:神奈備さんの掲示板で生田氏が「物部の語源は「桃生(ものう)」」と書かれていて、2011.02.24分での「四天王寺」が頭をよぎって。

「四天王寺」の北東の守りとされた「上之宮神社」があった場所は、「百済野」または「桃山」と言われていたそうで、「天王寺から玉造までの間が桃畑で、上之宮がその中心であったといいます。」とあり、上之宮の南東にはJR環状線の桃谷駅があって・・・そういえば2009.05.02分で「塔の尾」などで検索している時に、「石上神社」に「桃尾(ものう)の滝」がありましたね。
(石上神社:http://kamnavi.jp/mn/nara/tenriyy.htm)

「真・女神転生」などのコミックの原作者・鈴木一也氏は、「オカルト、悪魔学、神話学、宗教学などに造詣が深く・・・」とのことで、いろいろとご存じで何かと気づかれているのでは・・・。
(鈴木一也:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E4%B8%80%E4%B9%9F_(%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC))
(桃生:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E7%94%9F)

で、「桃生」という地名(宮城県石巻市)があるそうで、「出羽三山の石碑が多い」とあり、「月夜見神社」には「桜神社」があるそうで、「瀬織津姫」「東北地方の武神」に繋がりそうな。
(桃生4座ポタ 2:http://blogs.yahoo.co.jp/gobansho/51468750.html)
(日高見神社:http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/8110975c9c71a57a3bca2bfefdd2d6ca)

追記(2011.03.10):
「桃」から「生」まれた「桃太郎」と物部氏に繋がりが?とふと思った・・・永久保氏は「カルラ舞う」のあとがき(?)で、「ウラ」が「スサノヲ」だったと見ている方がおられるということを書かれていたが・・・。
(賀茂小鋭神社:http://www.genbu.net/data/mutu/kamoonoto_title.htm)
(速日神社と桑畑種まき桜:http://www.st.rim.or.jp/~success/hayahi.html)
(大島神社:http://www.genbu.net/data/mutu/oosima_title.htm)

2011.03.09(Wed.)

「鉄の王 キム・スロ」が気になってきた。

首露王
金官加羅国の始祖と伝えられている韓国(朝鮮)の伝説的な王であり、金海金氏の始祖。首露王は158年間国を治めたと伝えられている。
妃はインドの阿踰陀国の王女と伝わる許黄玉。
(中略)
『新増東国輿地勝覧』には加耶山の女神である正見母主の二番目の息子が首露王だと記録されている。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%9C%B2%E7%8E%8B)

「阿踰陀国」は古代インドの王朝で、首露王と許王后の子・居登王の王妃が「許王后についてきた泉府卿申輔の娘の慕貞」とのことで、「泉府卿申輔」と「釈迦族」の繋がりは不明だが、一緒に移り住んだ可能性もありそうで、「アユタ国」と「阿多」にも関連がありそうに思えて。
(サータヴァーハナ朝:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%B8%B0%E9%99%80%E5%9B%BD)
(居登王:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E7%99%BB%E7%8E%8B)

「天から黄金の卵が降ってきて首露王が誕生したという伝説が伝えられる亀旨峰は、元々は亀の頭の形に似ていたといって亀首峰と呼ばれました。」とのことで、「松尾大社」の亀や「浦島太郎」などを思い出し、頭の中で秦氏・物部氏の両方に変換されているのだが・・・。
(首露王妃陵:http://www.anabakorea.com/document/doc.asp?idx=2799&m_qry=3&qry=31)
(首露王妃陵:http://www.marupu.com/main/script/area_script.html?num=924)
(韓国に嫁いだインドの姫の話:http://www.koredeindia.com/004-06.htm)


松尾大社 [撫で亀さん]

古来「亀」と「鯉」は松尾大神様のお使いと伝えられています。中でも「亀」は健康長寿のシンボルとして親しまれてきました。直接手をお触れになり、その霊威にあやかってご利益をお受け下さい。
(説明板より抜粋)

2011.03.10(Thu.)

いろいろと検索していて見つけたサイトに、小林恵子氏の説について異論を唱えておられ、私にはどちらが正しいとか間違っているとかの判断ができないので、ひたすら拝見させていただいたのだが、小林氏の著書に、「百済の聖王=欽明天皇」とあるようで。
(槍玉その30 興亡古代史 小林恵子:http://www6.ocn.ne.jp/~kodaishi/yaridama30.html)

その説が当てはまるのなら、百済仏はご自身で持ち込んだということになりそうだが、だからこそ蘇我氏は受け入れた、というか、受け入れざるを得なかったのかなとも思えたり・・・。

だが、ウィキペディアでは「欽明天皇」について、「韓国の言語学者の姜吉云(カン・ギルウン)は、金官伽耶第10代国王の仇衡王が倭国に移住後、志帰嶋大王(欽明天皇)として即位したという説を唱えている」とあって、またもや頭がウニに。
(欽明天皇:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%BD%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87)
(仇衡王:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%87%E8%A1%A1%E7%8E%8B)

2011.02.12分では「古代からの暗号」さんのサイトから、「武寧王」の諡号が「斯麻王」であることや「蘇我馬子」が「嶋大臣」であることなどを引用させていただいたり、「億うそ」さんの説も気になるんだが、それらがどこでどう繋がるのやら・・・。

ということで、それらについてしばらく書けなかった間に姜吉云氏の著書を拝見し、やはりいつものように頷ける部分とそうでないように思える部分があり、またしても謎のままだったりするわけで。(苦笑)

「敏達天皇」について、小林氏は百済第27代の「余昌(威徳王)」とされており、ここでも小林氏の説では自ら経論、僧、造仏工などを持ち込んだことになりそうだが、敏達天皇自身は仏教に対して消極的だったように記憶していて・・・。
(威徳王:http://kotobank.jp/word/%E5%A8%81%E5%BE%B3%E7%8E%8B)

で、姜氏は「威徳王」の子「阿佐太子」が「舒明天皇」ではないかとされており、ウィキペディアには「阿佐太子に対する記録が韓国側資料にはない」ということだが、「敏達天皇」の前後からは「億うそ」さんが書かれている「百済ヤマト」のことなのかな、と。
(阿佐太子:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%BD%90%E5%A4%AA%E5%AD%90)

韓国ドラマ「ソドンヨ」では「阿佐太子」を「威徳王の長男」とされているようで「市場で殺された」ようだが詳細は不明で、「威徳王」が即位するまでの3年間が謎だし、「威徳王」の次に即位したのが弟の「恵王」らしいが、『隋書』百済伝では「恵王は認識されていないようである。」とのことで謎だらけで。
(ソドンヨ キャスト&登場人物:http://kdrama.bake-neko.net/title/107922307.html)
(「ソドンヨ」1〜43話あらすじ:http://donglove.blog39.fc2.com/blog-entry-748.html)
(威徳王:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A8%81%E5%BE%B3%E7%8E%8B_(%E7%99%BE%E6%B8%88))
(恵王:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E7%8E%8B_(%E7%99%BE%E6%B8%88))

そういえば、蘇我蝦夷が太子の子・山背大兄皇子ではなく田村皇子(舒明天皇)を擁立したとされる理由も謎ではあるが、個人的には天皇よりも支えてきた諸豪族、特に秦氏・物部氏についてが知りたいのだが・・・。

で、姜氏は崇神〜雄略までの数名を「駕洛国王」と同一人物とされていて、「神武天皇」については兄の「稲飯命」が「新撰姓氏録」で「新羅王の祖」とされていることから「朴赫居世」(新羅初代王)の弟(金閼智?)ではないかとされているが、「駕洛国王」と「新羅国王」が同一人物だった可能性もあったのでは?と思えて。
(稲飯命:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E9%A3%AF%E5%91%BD)
(朴赫居世:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E8%B5%AB%E5%B1%85%E4%B8%96)
(金閼智:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%96%BC%E6%99%BA)

「日本書紀」のウソについて書かれているのは興味深く拝見したが、ウソとされた中には「駕洛国王」が新羅・百済・高句麗の王と全くダブっていないという見解からのようで、なのに「新羅」の船で航行したことから「ヤマト」にはその技術力がなかったと判断されているので、ん?と。

もしインドから船で嫁入りしたとされる「許王后」のバックにいた人々が海人族で、一緒に移住していたのであれば、技術力がなかったとは言えないのではないかと思われるし、史料には見られないだけで「駕洛国」と新羅・百済・高句麗に何らかの繋がりがあったなら、書記は正しいと言える場合もありそうで、それはちょっと悔しく思ったりもするんだが。(苦笑)

「首露王は158年間国を治めたと伝えられている。」とあることや、「首露王」のみならず「高句麗の東明聖王、新羅の朴赫居世や昔脱解(ソク・タレ)など、卵から生まれたとする卵生説話を持つものが多い。」とあることなど、「日本神話」のお手本は新羅・百済・高句麗の「卵生説話」や「建国神話」にあるように思え、繋がりのあるそれらの国々の事象も含めることによって、複雑に年数のサバ読みや出自の隠蔽をしたのではないかという気もして。
(東明聖王(朱蒙):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%98%8E%E8%81%96%E7%8E%8B)
(昔脱解(脱解尼師今):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E8%A7%A3%E5%B0%BC%E5%B8%AB%E4%BB%8A)
(温祚王:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E7%A5%9A%E7%8E%8B)

「昔脱解」は「稲飯命」との関連が気になるだけでなく、「カササギ」が名前に関連していることと「仁徳天皇」の名前の「サザキ(鷦鷯)」も関連がありそうな・・・「武烈天皇」の「小泊瀬稚鷦鷯尊」なども。
(仁徳天皇:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87)
(金姓略系譜:http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/kin_sei.htm)

あ、「億うそ」さんは鄒牟王(朱蒙)=「住吉大神」=好太王(高句麗第19代王)=スキタイ王、崇神天皇=百済第25代・武寧王=伽耶始祖王・金首露されていて、「アッチラ王」と「金閼智」の関連が気になるところで、小林氏は「神武天皇」を高句麗の第11代「東川王」とされてますね。
(アッティラ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A9)
(東川王:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B7%9D%E7%8E%8B)

で、「金官の元の意味は、中国の古帝王時代、五行で、金気を司る官名でした。少昊金天氏の時代は、官は蓐収(じょくしゅう)という金天氏の子でした。」と書かれたブログがあり、「少昊」とは「中国の伝説上の帝王の名前」で「金天氏」と呼ばれることもあるそうで、「五行(五大元素)でいうなら金をつかさどる存在」で「少昊の子孫はひとつ目だというのだ。」とあって気になったが、それ以上はわからなくて。
(倭女王卑弥呼 発見なる!:http://blog.livedoor.jp/nanamihantaro/archives/cat_124113.html)
(金ユ信:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%BA%BE%E4%BF%A1)
(山海経異聞録:http://www.chinjuh.mydns.jp/sengai/mito/m002.htm)
(少昊:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E6%98%8A)

「倭女王卑弥呼 発見なる!」さんのブログで、9日の「首露王」の引用文の「『新増東国輿地勝覧』には加耶山の女神である正見母主の二番目の息子が首露王だと記録されている。」とある中の「正見母主」についても書かれていて、「金星や金銀銅鉄の神でしょう。伽耶山は、小白山脈にあり、小白が意味を持ちます。小白は旗の名称。」とあり、「金星は、軍神に変化します。」とされていて、「鉄の王」の信仰する女神と思われ、「少昊」との繋がりが気になりますね、「瀬織津姫」や秦氏・物部氏に繋がりそうで。

あと、ウィキペディアの「朴赫居世」で王妃について、

閼英井に龍が現れ、井戸の脇から幼女が生まれた。老婆がこれを神異に感じて、育て上げて井戸の名にちなんで閼英と名づけた。成長して人徳を備え、容姿も優れていたので、赫居世は彼女を王妃に迎え入れた。閼英は行いが正しく、よく内助の功に努めたので、人々は赫居世と閼英とを二聖と称した。

とあり、これもまた「瀬織津姫」との関連が気になったが、やはりそれ以上はわからず・・・。
(朝鮮半島(韓半島)の神話6:http://suwa3.web.fc2.com/enkan/kantan/kr/kr_05.html)
(西述聖母:http://ariadneito.web.fc2.com/top/gojyuuonjyun/s/o/sosurusonmo.htm)
(ハ行はやっぱり「金」だったよ。”へのコメント2:http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-4664.html)

そうそう、「倭女王卑弥呼 発見なる!」さんのブログで、「あたかも、ウグイス(萬年・金ユ信の母)の巣から、ホトトギス(金ユ信)が生まれたようなものです。」とされているのも気になりますね。

2011.03.11(Fri.)

「天智天皇紀も金ゆ信・金春秋と金法敏の記事がベースにあり。鎌足をねつ造した証拠【新解・日本書紀読解(.6)】 」という見出しのブログがあり、ほぉ〜、と。
(「日本史の宝石箱」オリエントの都アスカへの道 列島古代史学:http://blogs.yahoo.co.jp/manase8775/42713465.html)

そうすると、摂津三島の鎌足別邸は、蘇我氏を名乗って不比等と組んだ人物のテリトリーとなりそうで、2011.01.27分での「石川石足」などは、書記での鎌足捏造を隠すために名乗らせた、ということになりそうだが・・・。

で、ブログ内検索で「秦氏」を探すと、「月氏」は蘇我氏のようだが秦氏はよくわからず、「イスラエル十二部族」に関連があるような・・・このあたりに関しては結構前に読んだことがあり、2000/12/01分などで書いていたようだが、日本史以上に世界史は苦手なので忘れてた。(苦笑)
(「日本史の宝石箱」オリエントの都アスカへの道 列島古代史学:http://blogs.yahoo.co.jp/manase8775/folder/921802.html?m=lc&sv=%BF%C1%BB%E1&sk=1)

「古代イスラエル人シメオン族系→秦始皇帝→秦氏」とされるブログがあり、「シメオン族」が3日に拝見したサイトにあった「塩族」かと思われるが、上記のブログでは秦始皇帝と秦氏の繋がりについては否定されているようで、何とも言えないような。
(名探偵蒙裡胡伍浪之名推理教室:http://blogs.yahoo.co.jp/eraser1eraser/47504731.html)
(セレンディピティ:http://plaza.rakuten.co.jp/Phoenix3/diary/200907070000/)
(シメオン族:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%97%8F)

あ、「名探偵蒙裡胡伍浪之名推理教室」さんの他の日付のところには、「モーセの時代にレビ族が祭司一族として除外され、代わりにヨセフ族がマナセ族とエフライム族に分けられた。」という中の「マナセ族」ではないかとされていて。
(名探偵蒙裡胡伍浪之名推理教室:http://blogs.yahoo.co.jp/eraser1eraser/MYBLOG/yblog.html?fid=0&m=lc&sk=0&sv=%BF%C1%BB%E1)

だが、リンクのあった「DNA分析とエフライム」での「マナセ族」のDNAはインドにはないようだし、他のブログで「ヨセフ族 →マナセ族 弓月王国」とあり、「弓月王国」が秦氏のルーツであるとするならば、ルペン族・ガド族も同族のようであるが、5日の追記で引用させていただいたダン族やシメオン族は該当しないようで。
(DNA分析とエフライム:http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000dna1.htm)
(『シルクロード渡来人が建国した日本』の感想:http://www.pag1u.net/kodai/silkroad.html)

ま、「シルクロード渡来人が建国した日本」によると、「中にはインド経由で海路の秦氏もいるみたいなことでしょうか。」とも書かれているので、DNAを残さずに移動したとも考えられそうだが、真相は闇の中のようで、昨日の「正見母主」のルーツを探すのは難しいようで。

あ、メソポタミアを調べるのを忘れてた・・・アッカド語では「シン」、シュメール語では「ナンナ」とされる「月の神(男神)」が気になりますね。

シュメール人の都市ウルの主神でもあり、アッカド時代になるとメソポタミア諸王の王女がウルのナンナ女祭司に任じられるようになり(その初期の例としてサルゴン王の王女であり詩人でもあったエンヘドゥアンナが挙げられる)、また人名の一部としても用いられることが多くなっていった(アッシリア王センナケリブがよく知られる)。またウルと並んで、メソポタミア北部のハランも祭儀の中心であった。

エンリルの最初の子であり母はエンリルの配偶神ニンリル。配偶神はニンガルで、子は太陽神シャマシュと金星神イシュタル。シンボルは三日月で、三日月に似た角を持つ雄牛と深い結びつきを持つとされた。

メソポタミアにおいてシンは月を司り、大地と大気の神としても信仰されていた。その性質から「暦を司る神」とされ、同時に月に由来する神に多い農耕神としての側面を持ち合わせていたと考えられる。

また、「暦の神」としてのシンは「遠い日々の運命を決める」力を持っていたとされ、彼の練る計画を知った神はいないとされる。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3_(%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1))

「ナンナ女祭司」は「斎王」のようで、太陽神「シャマシュ」は「シャムス (shams) は太陽を意味するアラビア語形、またペルシアで普通に用いられる名前の一つ。」とあり、「弱水(佳木斯)」や「薬師」に似ているような・・・とすると、「ウル族」も仏教作りに関与していそうで。
(シャマシュ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5)

金星神「イシュタル」は「性愛、戦、金星の女神。」とのことで、「正見母主」に似ているような・・・。
(イシュタル:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%AB)

「古代バビロニア神話の女神であり、全ての神々を生み出した母なる神」という「ティアマト」は、「その名は「苦い水(塩水)」を意味し、伴侶である神アプスーは「甘い水(淡水)」の意」とあるのも気になる・・・。
(ティアマト:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%88)

「億うそ」さんの書かれている「日月王」のルーツは、メソポタミア神話の「シン」なのかも。「辰韓」の「辰」も・・・。

姜氏の著書によると、「金」=「真」=「辰」とのことで(p132)、前期百済の王室関係はほとんど加羅系の「真」氏(=金氏)だそうで、「月(目)支国」の「辰王」も「金氏を指すと考えられ」とあり、「月支国は金氏伽耶の城(=治所)のある邑の意味のあて字」ともされており、「秦韓」の「秦」も同様のようで。

となると、またもや「月(目)支国」と氏族の繋がりがよくわからなくなるんだが・・・。
(世界の高天原と葦原中国の謎:http://shinsengumi3.seesaa.net/article/145135847.html)

追記(2011.03.15):

メソポタミア神話
世界最古の神話文書。メソポタミアとは、ギリシャ語で「ふたつの河のあいだ」を意味する。ふたつの河とはチグリス川とユーフラテス川のこと。この大河にはさまれた土地で栄えた古代文明がメソポタミア文明である。

文明を築き上げたシュメール人は、紀元前3000年ごろには、すでにかの有名な楔形文字を持っており、これらを用いて粘土の石版(粘土板)に多くの神話を刻みつけた。その後、覇権はめまぐるしく入れ替わっていったが、おおよそメソポタミア神話体系の基盤は、シュメールとアッカドの2民族によって固められた。

彼らの象形文字が世界で最も古い文字であることから、メソポタミア神話とは、現存する中では世界最古の神話文書ということになる。しかし、その伝承は現在まで直接伝わることなく、ほぼキリスト教が発生したころに断絶したため、失われた神話ともいえる。ただ、この地域はイラン(アケメネス朝ペルシャ)、アレクサンダー大王統治時代があったとはいえ、ゾロアスターやキリスト教の影響がどれほどかはわからない。それよりも都市文明の中心地、という立場を失ったことの方が国家信仰的な宗教の衰退の理由としてふさわしいと思われる。この地はもっと後世にはイスラーム圏となる。ただ同じ語族(ユダヤ人、ヘブライ語)では太陽のことを現在でも「シャマシュ」と呼ぶなど片鱗は残る。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1)

2011.03.20(Sun.)

セゾンカードではポイントでの寄付が可能で、検索でポイントがたまるというシステムがあり、それを活用しようと、ポイント加算できる検索限度の1日4回をここ数日繰り返し、それで辿り着いたブログに「殷・稲敷レイライン」というのがあった。
(殷(商)と稲敷:カルデヤ人の紀元前1200年頃の大移動:http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/49725072.html)

それは「カルデア人の移住から始まったもの」のようで、「しかもそれはインドとつながって<イン>・<イナ>という地名のルーツを立証している。」とされており、また、「特殊な海洋産業遺物」の1つとされる「宝貝貨幣」については、森氏の著書にも繋がりそうな部分があったので、しばらくはメソポタミアあたりの検索になりそうで。

上記の「ウワイト(倭人)ウバイド 」さんのブログには、「ギリシャ系海人族」が「隼人族」とされているあたりも気になるところで。
(ギリシャ系海人族はどうなったか?:http://matmkanehara-momo.blogspot.com/2011/03/blog-post_04.html)

日本史以上に世界史は苦手だったんで、すんなりと進めないと思うけど、今朝の新聞に寄付されたことが載っていた盛岡市在住の直木賞作家高橋克彦氏の著書に、京極氏のように史実を絡めての作品があるようなので、それを参考にさせていただくのも1つの手かな、と。
(http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/19/kiji/K20110319000458780.html)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%85%8B%E5%BD%A6)

2011.03.22(Tue.)

セゾンカードのポイントの端数を募金できる数にすべく、検索ポイントをせっせと貯めている今日このごろ・・・。

1日4回の検索で20ポイント獲得でき、それが100ポイントになると、「永久不滅ポイント」の1ポイントになるという、時間のかかる貯め方だが、ポイントを得るために何かを購入するお金がないから、検索好き(?)の私にはありがたいシステムでして。

で、その検索で「不思議空間「遠野」」さんのブログの「水神と日の御子」がヒットし、「古代朝鮮語では「弥勒」 とは「竜」を意味する。」とあること、朱蒙の母「柳花」は「根元は、ギリシア神話のエウロベだと云われる。」とあること、「秦氏」がイシュタル・イシス・マグダラのマリアなどの「根源の全てはシュメールからの流れになるのだと考える。」とあることなど、すんごく気になりますね。
(不思議空間「遠野」:http://dostoev.exblog.jp/14978810/)

●ヨーロッパ文明の起源:
ギリシャ神話に、フェニキアの女王エウロベというのが登場する。エロウベ=ヨーロッパの語源である。彼女はレバノンあたりに住んでいた。それをゼウスが一目ぼれして、牛に化けて、背中に載せて海を越える。これを「エロウベの誘惑」という。
(http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20090324)

●エウローペー:
テュロスのフェニキア王アゲーノールとテーレパッサの娘で、美しい姫であった。

(中略)
ゼウスとの息子には、ミーノースやラダマンテュス、サルペードーンがいる。その後、アステリオスが3人の息子たちの義理の父になった。ゼウスは彼女にタロスと必ず獲物をとらえる猟犬となくなる事のない投げ槍の、3つの贈り物を与えた。その後ゼウスは再び白い雄牛へと姿を変え、星空へと上がり、おうし座になった。
また、エウローペーを探しに旅に出た兄弟のカドモスは、その後テーバイを創建した。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%BC)

●ミケーネの巨人伝説:
青銅巨人タロスは、伝承によればゼウスが手をつけたエウロベが放浪し辿り着いたクレタの地を守らせるためにゼウスがヘファイストに命じて作らせてミノア王に与えたとも、ミノタウロスで有名なミノア迷宮を作ったダイダロスの創ったものとも、青銅族の最後の生き残りとも謂われている。
(http://www7a.biglobe.ne.jp/~zgd/Lecture/zatugaku-sabu.htm)
(フェニキア:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2)

●ミケーネ:
ギリシャ・アルゴリア県の都市。ペロポネソス半島東部に位置する。1872年に、ハインリッヒ・シュリーマンによって遺跡が発掘され、古代ギリシア以前の文明が発見された。これは、この地の名をとってミケーネ文明と呼ばれる。
近隣の都市としては、約30キロ北東にコリント、10キロ南にアルゴスが位置している。
ミケーネの遺跡は、獅子門、円形墳墓A、王室、アトレウスの墳墓が有名で、そのいずれも巨大な切り石を用いた建築である。ミノア文明のものに比べ、これらは非開放的で求心的、かつ重装備である。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%8D)

●ミノア文明:
クノッソスでは祭祀施設が宮殿内部に構築されていたが、マリアの宮殿では宮殿外のMu地区と呼ばれる複合施設に構築されている。
(現在見ることのできる玉座やベンチがあったわけではなく、「水祓の間」と呼ばれるミノア文化独自の祭祀施設を中心に構成していたと考えられている。)
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8E%E3%82%A2%E6%96%87%E6%98%8E)
(クノッソス宮殿遺跡:http://hp1.cyberstation.ne.jp/legend-ej/p-civil1982gremino-knos.html)
(クノッソス宮殿遺跡:http://blog.so-net.ne.jp/vuole_venire_da_me/2006-10-29-2)
(クノッソス宮殿遺跡:http://www3.plala.or.jp/keiko-ev/02Greece/3-knossos-a.html)
(クレタ文明(ミノア文明):http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-1/crete.htm)
(クレタ(ミノア)文明について:http://members3.jcom.home.ne.jp/c_mn/3vp/gr/cruise/4kno.html)

2007.04.18分で引用させていただいた「マリアを象徴する三日月とキリストの象徴である太陽を組み合わせた日月水盤。」にも繋がるような・・・。
(月と太陽と魚:http://www.city.iki.nagasaki.jp/sightseeing/temple/temple_13.html)

2011.03.25(Fri.)

高橋克彦氏の著書「竜の柩」を読まれた方のブログがあり、どうしても読みたくなって大人買いをした・・・と言っても、中古の1〜4までで、4冊分の代金が新しいもの1冊分とほぼ同額で、ブログに「間違いなく徹夜警報作品」と書かれていたように面白くて、現在2冊目の半分を読み終え、インドから「モヘンジョ・ダロ」に到着したあたりのことからいろいろと検索していたところで。
(http://paingophers.blog57.fc2.com/blog-entry-817.html)

で、昨日偶然見た番組で「クメール族」が出てきてて、今日神奈備さんの掲示板を拝見したところ、「モヘンジョ・ダロの言葉」という見出しで「クメール族」について書かれたブログのURLがあって、おぉ!と。
(ローマを夢見たアンコールワット:http://news.thetv.jp/article/19525/)
(モヘンジョ・ダロの言葉:http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/aokbbs.cgi)
(クメール族:http://blog.livedoor.jp/kame3328/archives/51617900.html)

拝見したブログに「久米とは隈・球磨・熊・亀・久米・久留米につながり・・・」とあり、「竜の柩」では「隈」は「黄泉の国をあらわす文字であるなら・・・」とあり、「億うそ」さんのサイトでは「隈」は「朱蒙」(住吉神)に繋がるようで、すごく気になるところではあるが頭がウニで。

しかも地理も疎いので、地図帳が手放せません・・・。(苦笑)

あ、「竜の柩」が面白く思うのは「龍」と「牡牛」の関係が解明されていくあたりだけで、全体的には、というか、ストーリーが想像の世界だと思いながら読んでいます・・・別の想像に展開されていくのを期待しながら。

初めの描写部分、何で今読み始めたんだろうかとつらくなって・・・あと、「龍一族」と「牡牛一族」の争いによって、現在遺跡となっている都市が廃墟となった理由を書かれている部分などもかなりつらい・・・。

2011.03.26(Sat.)

昨日の「竜の柩」を読まれた方のブログに書かれていたように、全部読んでから書こうかと思ったが、付箋がとんでもない数になりつつあることと、場所確認も含めてのちにまとめて書けるような脳みそが自分にはないことから、ちょこっと書いておこうかなと。

鉄滓を「アラ」と呼ぶのは、鉄製品のルーツと思われる「アラジャホユック」からではないかということのようで、「鉄」のことをヒッタイトでは「ハパルキ」と呼んでいたそうで、両方を合わせると「アラハバキ」となり「岩」を示し、それはヒッタイト語ではなく、製鉄技術者であった「龍の一族」によるものではないか、と。

そして「龍の一族」と「毘沙門信仰」が繋がり、「秦氏」にも繋がるようで・・・。
(西部トルコ(3):http://www.nishida-s.com/main/categ2/wturkey-3/wturkey-3.htm)

「竜の柩」についてのサイトがあり、そちらを拝見するとわかりやすくてとてもありがたく思っているところではあるが、「『竜の柩』キャラクターの背景」のページにあるように、「アラ」は「朝鮮からの牡牛一族」という部分もあり、それは本文にも「本来は龍も牡牛も同一の神だったはずです。」とされていて、「龍」と「牡牛」のはっきりした姿はまだ読み取れてなくて。
(AI『竜の柩』:http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/ryuh.html)

ただ、現時点で本文ではっきりと「同一の神だった」とされていないが、今まで調べてきた中で何度も秦氏と物部氏が絡んでいて、伊予の「越智氏」や「松尾大社」「伏見稲荷」の「秦氏」がその一例かと。
(『竜の柩』キャラクターの背景:http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/chara.htm)

「事代主命」が「龍の一族」であることは書かれていたけど、秦氏と「ナガスネヒコ」との繋がりがこの先書かれているのかが気になって、しばらくは睡眠不足になりそう。(苦笑)

2011.03.28(Mon.)

「竜の柩」3巻を読み終え、「猿丸幻視行」に似たような感覚になっているんだが、やはり戦いとか武器とか、苦手・・・天災も。

4巻を読み始める際に、貼り付けた付箋をどうしようかと迷っているんだが、京極氏の著書と同様に読み進めてから考えようかなと・・・信じる気持ちとそうでない気持ちが葛藤しているとでもいいましょうか・・・感化されやすいので・・・って、どうやらまともに感想文を書けないようです、すみません。

イクシーの書庫」さんのブログで、内容をとてもわかりやすく書かれていましたので、小説の流れはそちらでおわかりいただけるかと・・・私自身、歴史的な部分に関してもまだ把握しきれておらず、読み終えてから書くことができればいいのだが、という状況です、はい。

2011.03.30(Wed.)

「竜の柩」をお医者さんの待合室で読み終え、ため息をつく間もなく診察室に入ったんだが・・・結論から言えば、わからなかった、というか、秦氏と物部氏のはっきりした関係を読み取れなかった、ということになりますかねぇ・・・。

「虹人」が、「牡牛の一族が龍一族の失敗を経験に生かし、人間を支配するためにヤハウェという象徴を捏造し、不滅の存在として共同でヤハウェを演じたと考えた。」と捉えている部分や、シュメールをアッカドが滅ぼして最終的にメソポタミアを支配した「アッカドのサルゴン」が、「牡牛一族」となった経緯がよくわからないこと、「シュメールの神(ニントゥ)」が「ヒッタイトの神話(ハンナハンナ)に出てくる」ことなど、秦氏と物部氏の関係に似ているようで、「龍一族」と思われる秦氏による奇祭「牛祭」がそれらのわかりやすい例かと。
(サルゴン:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%B3_(%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%89%E7%8E%8B))
(ニップル:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AB)
(エンリル:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%AB)
(イシュタル:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%AB)
(イシュタル:http://www.nekomegami.com/basted/ishtar.html)
(ヤハウェ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%A7)
(ニンフルサグ(ニントゥ):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B0)
(テリピヌ(ハンナハンナ):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%8C)
(古代オリエント史年表:http://cypress.s2.zmx.jp/meso/meso_t02.htm)
(自然の驚異と「鉄を生み出したヒッタイト帝国」の遺跡を訪ねる:http://www.nishida-s.com/main/categ2/wturkey-3/wturkey-3.htm)
(広隆寺:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%9A%86%E5%AF%BA)

「サルゴン」の母が「イシュタル神殿の巫女」とされているのに、「サルゴン」が仕えている神が「龍一族」の「イシュタル」であるのに、「牡牛一族」であることの謎は、その出自に関係しているようにも思えるんですよね、イザナギ・イザナミの子「ヒルコ」と似ている部分や、「朱蒙」などが「卵」から生まれたとされる伝承など、共通して隠されている事柄があるようで。

興味深いなと思ったのは、古代インドの「リグ・ヴェーダ」に出てくるという「ランカ島」を、「巨大なインダス河の中に浮かぶ島のように見えた」のではないかとされているのが、2011.01.21分などでの「浮島」に繋がりそうだし、アッカドの王は必ず「エンリルの承認を得たもの」とあるのは、小林説での天皇が天智系でないと認められなかったとされるあたりに似ているようで、「ハンムラビ」が「不比等」、「マルドゥク」が「持統天皇」のような・・・。
(リグ・ヴェーダ(ランカ):http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/ryuh_dic_r.htm)
(インドとスリランカをつなぐ7つの島:http://www.eorc.jaxa.jp/imgdata/topics/2003/tp031016.html)
(ハンムラビ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%93)
(マルドゥク:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%AF)

4巻p299に「虹人は、牡牛の一族が龍一族を追って、中近東からインド、中国へと侵攻を始め、メソポタミアを留守にしている隙を狙って、ハンムラビがラルサやウルの町を攻略したと考えた。ハンムラビはマルドゥクと組んで神の力関係をすり替えてしまった。」とあり、森氏の「万葉集」についての見解や小林説での、「天皇だった高市皇子」が亡くなった時が、「牡牛の一族がメソポタミアを留守にしている」時に相当し、「エンリル神の地位をマルドゥクが継承した」という宣言は、伊勢の神を「持統アマテラス」に置き換えて「日本書紀」に記したのに似ていて、「マルドゥクとハンムラビのクーデター」の首謀者が「ハンムラビ」ではないかと思われるあたり、不比等そのもののようで。

ということで、ぼちぼち奈良時代に戻りますか・・・ちょこっとギリシャ神話の「テティス」が気になるが。
(ギリシャ神話:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1)
(テティス:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9)
(テーテュース:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9)

追記(2011.03.31):
とあるブログで「つまり、「文明ができてからの歴史」ではなくて、「いかにして文明ができたか」という「文明以前」だ。」とあり、私もそれを知りたいと思っていたが、詳細が記されていないということは、はっきりと判明されてないのかも、と。
(知的な書評ブログ:http://books.meblog.biz/article/2502374.html)

リンクのあった「文明の西進」によると、発端は「長江」のあたりのようで、製鉄の技術は「春秋時代の紀元前六〜五世紀」とされるサイトもあるようだが、「鉄」ではなく「青銅」とされるサイトもあり、その起源を「メソポタミアを中心にした西アジアで発明された。」とされるサイトもあって、最古の鉄剣は「紀元前3000年頃の西アジア(北シリアのチャガール・バザール遺跡やバグダットのアスマール遺跡)」で「その精錬技術は中国を経て日本にまで達している。」と。
(nando ブログ:http://nando.seesaa.net/article/130186193.html)
(中国文明と鉄の歴史:http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=146892)
(変水流体術:http://hensuiryuu-taijyutu.seesaa.net/archives/201101-1.html)

うーん、「海の民」は製鉄の技術をどうやって発明したのだろうか・・・。
(http://www.kobemantoman.jp/sub/31.htm)
(海の民:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%B0%91)
(神仙組外典:http://shinsengumi3.seesaa.net/category/7853906-2.html)

追記(2011.04.02):
昨夜の「時空ロマン・世界遺産ミステリー」で「マルタはアトランティスだった!?」という提示があり、昨日届いた「竜の柩6」にもプラトンの記した「クリティアス」から「アトランティス」に「オリハルコン」という金属があったのでは、という話が出てきて、古代文明の源流が「アトランティス」にあるのかも、と。
(時空ロマン・世界遺産ミステリー:http://www.tv-tokyo.co.jp/contents/newtitle/81988.html)
(オリハルコン:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%B3)
(アトランティス:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9)

「アトランティス」の場所については諸説あるようで、番組では「マルタ」の巨石神殿群の中でも最古のものとされているゴゾ島の「ジュガンティーヤ神殿」を取り上げていて、「巨人女性サンスーナによって造られた」「そらまめを食べていた」などの伝説は興味深いが「鉄」との関連は不明で。
(ジュガンティーヤ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A4)
(ジュガンティーヤ:http://www.visitmalta.com/ggantija-temples-map?l=10)
(ジュガンティーヤ:http://www.bs4.jp/document/travelix3/oa/090705/main.html)
(河内一寸そらまめ:http://www.toyosita.com/naniwa/soramame.htm)

紀元前3,300年にエジプトの「ゲルゼー墓」などから鉄製品が出土したというのも気になるが、「アトランティスとエジプト文明との関係の指摘」には正確性を疑問視されているようだが「神々の指紋」の記載から「エジプト文明の源流がアトランティスにあることも推測ができるとしている。」とあるので、「アトランティス」と「鉄」は繋がりは深いのではないかと。
(大陸とヨーロッパの製鉄推移:http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_130.htm)

「アトランティス」の伝説が残る島で、「三日月の形をしている」ということや、マルタ島と同じく「巨人伝説(ミノア文明)」があることなど、ギリシャの「サントリ−ニ島」が気になったが、年代が合わないようだし、「青銅器文明」を共通点とされる見解は合っているのかどうかが不明で。
(サントリ−ニ島:http://www5d.biglobe.ne.jp/~coconut/travel_europe.htm)
(サントリ−ニ島:http://www.gasite.org/library/atlantice/index13.html)

旧約聖書にある「タルシシュ」に「海の民の拠点の一つという説」があるということだが、こちらも年代が合わないそうで・・・。

「プラトン」の「アトランティス伝説」の元は、「アテナイの政治家ソロン (紀元前638頃-559頃) がエジプトのサイスの神官から伝え聞いた話」のようで、その「サイス」の守護神が「ネイト」という女神だそうで、

エジプト神話の初期の女神。ナイル川三角州西部にあるサイスの守護神としてそこで祀られており、エジプト第1王朝のころから信仰されていた。
(中略)
古代エジプト南部の町タ=セネトまたはイウニトの3柱の守護神の1つでもある。
(中略)
軍神で狩猟の女神であり、その象徴として交差した2本の矢と盾を重ねたものがある。この象徴はまたサイスの町も表している。
(中略)
ネイトという名前は「水」を意味すると見られている。このためネイトをエジプト創世神話の原初の水を擬人化したものとみなすことがある。その場合、ネイトは創世の大いなる母神とされる。
(中略)
ネイトの象徴とその名をヒエログリフで表したときの一部は織機に似ており、後のエジプト神話においてネイトは機織りの女神ともされ、その場合の名が "Neith" すなわち「織り手」を意味するようになった。それによって、以前は水神であることを基本とした創造神だったものが、織機で世界とそこに存在するもの全てを織り上げる神へと性質が変化した。絵や彫刻では、頭に織り手の杼を載せ、手に弓と矢を持った姿で描かれることがある。他には、ライオンの頭を持つ姿、ヘビ、牝牛などの姿で描かれることもある。
(中略)
時にラーの母として描かれることもあり「ラーを生み出した偉大な牝牛」とも呼ばれる。
(中略)
また、死と再生の神としてネイトについての復活信仰があった証拠もある。
(中略)
ネイトは古代ベルベル人による北アフリカの文化で信仰されていた女神タニトと同一視された(最古の文献にある)。

タニトはまた、ディードーが建設したカルタゴを発祥とするフェニキア文化でも信仰された。

タニトはエジプト語では「Nit(ネイト)の土地」を意味する。タニトも軍神であり、処女の地母神であり、豊穣神でもある。その象徴はエジプトのアンクに酷似しており、南フェニキアのサレプタから発掘されたその神殿には、フェニキアの女神アスタルト(イシュタル)とタニトを明らかに結び付けている碑文が見つかっている。タニトはシンクレティズムによっていくつかのギリシア神話の女神とも同一視された。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%88_(%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E7%A5%9E%E8%A9%B1))

と、引用させていただいた部分に気になる箇所があって。

「ティマイオス」によると、

神官は、古来より水と火により人類滅亡の危機は何度も起こってきており、ギリシアではせっかくある程度文明が発達しても度重なる水害により都市とともに教養ある支配階級が絶滅してしまうため、歴史の記録が何度も失われてしまったが、ナイル河によって守られているエジプトではそれよりも古い記録が完全に残っており、デウカリオン以前にも大洪水が何度も起こったことを指摘する。また、女神アテナと同一視される女神ネイトが神官達の国家体制を建設してまだ8000年しか時間が経っていないが、アテナイの町はそれよりさらに1000年古い9000年前 (即ち紀元前9560年頃) に成立しており、女神アテナのもたらした法の下で複数の階層社会を形成し、支配層に優れた戦士階級が形成されていたことを告げる。

とのことで、古代ベルベル人による北アフリカの文化で信仰されていた女神「タニト」と「ネイト」が同一視されていて、「タニト」とフェニキアの女神「アスタルト(イシュタル)」が結び付けられ、「ネイト」が「アテナ」と同一視されたということは、それぞれの女神を守護神とする都市に交流があったことを示すと思われ、それぞれの女神は「本来古代ギリシア語の『アトランティス』という単語は、ギリシア神話のティタン族の神であるアトラスの女性形であり、『アトラスの娘』、『アトラスの海』、『アトラスの島』(古代ギリシア語の『海』や『島』は女性名詞)などを意味する。」とあることなどから、やはり源流は「アトランティス」に求められるように思われ、「龍の一族」の本拠地と言えるのかも、と。
(アトラース:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B9)
(ティーターン:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3)

ただ、ネイトの姿が「ライオンの頭を持つ姿、ヘビ、牝牛などの姿で描かれることもある。」とあるので、「龍一族」と「牡牛一族」の関係は謎のままで、アトランティスに関する記録が出土しない限り、解けないのかもしれないですね。

以前に引用させていただいた「モーセの時代にレビ族が祭司一族として除外され、代わりにヨセフ族がマナセ族とエフライム族に分けられた。」というのが気になるところで、「マナセ族」と「エフライム族」が秦氏・物部氏に該当するのであれば、「同族」であったということや、秦氏の作り上げた都市に王となる一族の物部氏を招き入れたという経緯はありうるかもと思われるが、そうするとヨセフ族とシメオン族の関係がわからなくなってしまうし・・・。
(ヨセフ族:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BB%E3%83%95%E6%97%8F)
(マナセ族:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%BB)
(エフライム族:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0%E6%97%8F)
(失われたイスラエル10支族の謎とは?:http://hexagon.inri.client.jp/floorA3F_hb/a3fhb111.html)

「古典的なラビ文学においては、シメオンは非常に怖いもの知らずであるが著しく妬み深く、そしてヤコブのお気に入りであるヨセフに対しては常に敵対的で悪意を抱いていたとされる。」とあるが、「聖書に登場する人物だけでも、以下のように4人のヨセフがいる。」ともあって・・・。
(シメオン (ヤコブの子):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%81%AE%E5%AD%90))
(ヨセフ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BB%E3%83%95)

追記(2011.04.10):
検索の途中で気になったサイトがあった。

当地一帯の地名である伯耆(ほうき)についてさらに興味ある説があります。
シュメールの神話のエンリル神(牡牛神・戦士の神・風神・雷神・日神)は別名「ハル」といい、ニンフルザグ神(蛇女神)は「キ」といいます。
なお、この両神は中国西南へ導入されるとミャオ族やヤオ族の始祖神話である「伏羲」(ふっき)と「女?」(じょか)の伝説になります。
その姿は人首蛇身で腰から下は蛇で尾をからませた独特のものです。
このシュメールの「ハル」と「キ」の2神を日本では「伯耆」と言って崇めていたのでこの伯耆の地名が残ったと考えられます。
(吉備・出雲旅行:http://www.d4.dion.ne.jp/~arai-n/test299.htm)

「ニンフルサグ」は大地の女神で「シュメールの神」であり「ヒッタイトの神」(フルリ系の農耕神・テリピヌの母神ハンナハンナ)でもあるとされていて、「エンキ」との間に「ニンサル」という娘がいた、という神話があるようだが、「エンキ(エア)は女神ナンムが姿を変えたものであるとも考えられている。」で女性的なようで、「女神ナンムが粘土の塊から人間を作り出したとき、ニンマー(ニンフルサグの別名)が助産婦の役割を果たしたといわれている。」という神話もあるようで、どういうことなんだろうか、と。
(ニンフルサグ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B0)
(エンキ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AD_(%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1))

「エンキに関しては、性のシンボリズムの興味深い変化が窺える。」とのことで「聖婚」がその理由のようだが、「キは女神とみなされていないとする説もある。」とのことで、「ニンフルサグ」に関しても男神なのか女神なのかがよくわからないと言えそうな。

ただ、それらを抜きにして「ハル」と「キ」の2神が「伯耆」という地名になったのであれば、億うそさんの説から「ホキ(日吉)」の同音異字となり、「竜の棺」から「日吉神社」は「龍の一族」である「安東一族」が信仰していた神ということになるようで、繋がりが見えなくはないんだが。
(伯耆富士を目指した漢・韓人:http://www31.tok2.com/home2/okunouso/hun/0701tatal.htm)
(日吉神社:http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/ryuh_dic_h.htm)

で、「エンリル」の妻は「ニンリル」とされているのだが、「キ」との繋がりがよくわからず、「キ」の夫は「アン」とされていて・・・「アン」は「エンリル」と同一視されているという説はなさそうだが・・・。
(キ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD_(%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1))
(アン:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8C_(%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1))

「「ハル」と「キ」の二神を伯耆(ほぅき)と日本では言っていた」ことと、「伯耆(ほぅき)国の住人は周王朝の氏族で、周を起こした「姫」(き)氏の血を引く人々であった。」ことが書かれているサイトがあったが、2009.05.10分などで「摩多羅神」と「瀬織津姫」の繋がりは「日吉神社」「天台宗」で繋がるかと。
(摩多羅神8・出雲神話に牡牛と蛇がなぜ投影されているのか:http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/8_J.html)
(摩多羅神:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%A9%E5%A4%9A%E7%BE%85%E7%A5%9E)

話がそれたが、牡牛の一族「エンリル」と「龍の一族」の関係としては、「イシュタル」(イナンナ)が気になるんだが・・・「エジプトではハトホル(イシュタル)は牛神ハルと結婚した。」とありますね。
(イナンナ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%8A)
(摩多羅神9:http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/9_J.html)

「イナンナ」が「女神アビ」と書かれた文献があるそうだが、だとすると、ナガスネヒコの兄(あるいはナガスネヒコ)の「安日」と繋がり、「安東一族」が信仰していた神と繋がるのでは・・・。
(女神アビ=龍蛇神イナンナ?:http://blogs.yahoo.co.jp/keepfairway2/44359200.html)
(龍の起源:http://www.m-creates.co.jp/ryukoku/history.html)

2011.04.06(Wed.)

風琳堂さんのブログが更新されていて、「三島明神は牛の背に乗って移ってこられた」という伝承があるとのことで、どう書こうかと迷ってまして。
(伊豆・三嶋大社へ──広瀬神のその後【V】:http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/29190194.html)

2011.01.07分での「大山積神と三島明神が「似て非なる神」」とあることが気にかかっていて・・・。

「祭神に事代主命が合祀されたのは明治になってから・・・」というのはウィキペディアにも書かれていたけど、そもそも「事代主命」の信仰が地元にあったので、明治にようやく御祭神とされたのではないかと思われ、私は「事代主命」の信仰の中に「瀬織津姫」が存在していたように思っていて・・・。

うーん、うまく書けないなぁ・・・「三島明神」の名をもって藤原氏が乗っ取って「大山積神」を御祭神としたのではないかと思われ、「大山積神と三島明神が「似て非なる神」」だったので、住民たちは本来の「三島明神」とともに信仰していた「事代主命」を祀ることで「瀬織津姫」への祭祀と考えていた部分があったのではないかと・・・。

でも、推測でしかないから、それを示す伝承か何かがあればいいんだけど、それらしきものは検索では見いだせなかったし・・・。

あと、「竜の柩」で「富士山」に地下宮殿があって、そこに巨人の「イザナミ」がいたという部分と、「ジュガンティーヤ神殿」を造ったとされる「巨人女性サンスーナ」が入り混じり、街宣車がうるさくてうに状態の頭をさらに混ぜっ返していて、何をキーワードとして検索したらいいのかが浮かばなくて・・・言い訳しか書けなくてすみません。

あ・・・「龍の一族」が新しい土地を開拓して発展させ、そこに「龍の一族」の「象徴」を「牡牛一族」が連れて行き、そのまま「牡牛一族」が住みついて、「龍の一族」はまた新しい土地へと赴く、ということなのかも?だから秦氏は「平安京」を提供した?別邸を聖武天皇に提供して「恭仁京」にした「橘諸兄」が「龍の一族」だとしたら、「行基プロジェクト」の関連氏族も「龍の一族」ということですよね・・・。

「龍の一族」の「象徴」は人質みたいな感じがするが、そうなった経緯などは不明だし、そうであるという証拠もないんだが・・・。

2011.04.10(Sun.)

ML「西行辞典 第170号」が届き、いくつか気になる歌があった。

浪につきて磯わにいますあら神は塩ふむきねを待つにやあるらむ
(岩波文庫山家集168P雑歌・新潮998番・夫木抄)

磯に鎮座して波に洗われている荒神は、巫覡(きね)が難儀しながらも磐座に奉仕するのを待っているのだろう。
(和歌文学大系21から抜粋)

まず、上の歌から「荒神」が「磐座」を依代としていることが伺われるのだが、どこで詠まれた歌なのかがわからず、かつて海辺にあったと思われる「住吉大社」に「磐座」があったのだろうかと想像してみたり・・・。

で、西行の歌から「空海」と「松」、「後三條院」「後白河院」と「住吉明神」に強い繋がりがあることを言わんとしているようで気になって、追々調べてみようかと。

あはれなり同じ野山にたてる木のかかるしるしの契ありけり
(岩波文庫山家集112P羈旅歌・新潮1369番)

深く感動してしまった。同じように野や山に生えている木でありながら、
この松だけは大師誕生を記念して特別の目印が付けられるとは、
それ相応の仏縁がそもそもあったことになる。
(和歌文学大系21から抜粋)

絶えたりし君が御幸を待ちつけて神いかばかり嬉しかるらむ
(岩波文庫山家集118P羈旅歌・新潮1218番・西行上人集・山家心中集)

後三條院の親拝以来絶えていたが、この度の後白河院の御幸を待ち迎えられ、
住吉明神はどんなに嬉しく思っておいでのことだろうか。
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)

2011.05.12(Thu.)

奈良時代にも戻れず、何も書けずに1ヶ月が経ち、ふと、岡野玲子氏が「陰陽師」のあとに「イナンナ」という作品を描かれていることを思い出し、検索してみると「ベリーダンス」を表現されているようで、そこに出ていたお名前「ジャミーラ」さんで検索すると、「Bellydance SUPERSTARS Japan tour'11 BOMBAY BELLYWOOD」というチケットぴあのサイトに辿り着いた。
(http://t.pia.jp/interview/stage/superstars2011.jsp)
(インド舞踊:http://chaichai.campur.com/indozatugaku/indiandance001.html)
(ベリーダンス:http://www.salsastreet.net/belly/)

インタビューの中で「ベリーダンスとインド舞踊のある共通点に気づいたの。それは、ともに女性の身体にとても適した踊りであるということ。」とされていて、2011.03.08分でインドアーリア人・ドラヴィダ語族などから「インド舞踊」に辿り着いたが、岡野氏の「イナンナ」と「ベリーダンス」が繋がるように、「インド舞踊」は「イナンナ」に繋がるのではないか、と。

インドからエジプトを経てスペインに辿り着き、「フラメンコ」が完成したのではないかという仮説をたてておられるブログがあり、そこには「ベリーダンス」「インド舞踊」「フラメンコ」に繋がりがあるように感じられるわけだが、私としてはエジプトからインドへ、そしてエジプトに戻ってからスペインへと伝わったのではないか、と。
(不条理な創造 私説ロマ:http://sisyphe.blog90.fc2.com/category3-1.html)
(ロマ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E)

舞踏のルーツと思われる「ベリーダンス」の起源として、「古代エジプトでは出産を助ける三人の女神を奉り、繁栄と豊穣を祈って女性により女性のために踊られたことからはじまります。」とあり、2009.05.16分などでの「桂女」が思い出され、「瀬織津姫」「イシュタル(イナンナ等)」に繋がり、2011.03.01分でのように秦氏に繋がるように思えて。

で、秦氏と物部氏の関係について、というか、「行基プロジェクト」の関連氏族の繋がりですが、神奈備さんの「青草談話室」で生田氏が書かれている「曽我/ 物部 戦争」を拝見し、秦氏に限らず他の豪族からも集まって「武装集団」が形成され、それが「物部氏」という氏族として成立し、中には元の氏族名に戻ったものもいるが、信仰の中心は「イシュタル」だったのかも、という推測に至ったわけで。
(http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/aokbbs.cgi)

「「物部的なもの」…それが神社。」とされていることから思ったのが、「千差万別」の受け取り方の表れが御祭神名の違いで、元を辿れば「イシュタル」なのではないかと思われ、不比等によって氏族を象徴する御祭神名が消されようとしたため、「行基プロジェクト」はそれを仏教での御本尊として守ろうとし、やはりその場合でも「千差万別」の受け取り方の表れという法則(?)から、御本尊も氏族によって異なった・・・と、思ったりするんだが確証はない。

2011.05.30(Mon.)

昨夜、テレビを見ていると「長岡市三島」という地名が出てきて「え?」と。

大阪の三島郡の北には「長岡京跡」があるので「長岡」と「三島」の関連が気になっていたところ、「伊豆の方にも長岡ってあるで、三島の南の方に。」と教えてもらったので検索してみたところ、大三島の南に「高知県長岡郡」があった。
(新潟県長岡市(地図):http://www.mapion.co.jp/m/37.4992772222222_138.775493333333_6/)
(大阪府三島郡(地図):http://www.mapion.co.jp/m/34.8831013888889_135.675309166667_6/)
(静岡県伊豆の国市(地図):http://www.mapion.co.jp/m/35.0583336111111_138.927046944444_6/)
(高知県長岡郡(地図):http://www.mapion.co.jp/m/33.8757219444444_133.610138055556_5/)

何か関連があるのかと「長岡」「三島」で検索してみたものの、これといったものがなく、絞込みするとしても他にどんなキーワードがあるかが思いつかなくて。

うーん、「秦氏」を加えたら、2010.08.02分で書いた「「秦能俊」は長岡郡宗我部郷に土着して、その地名から「長宗我部氏」を称し・・・」というのがヒットしたが。
(四国地方の名城(岡豊城):http://homepage2.nifty.com/watauti/sikoku.html)

「長岡市三島」「神社」で検索すると、柏崎市の「三島神社」がヒットし、「高田藩主稲葉正通が、遠祖越智氏の祖神が三島大明神であることから、当地へ移したという。」とあるものの、それ以前から「当地に鎮座していたという説もある。」ようで、本来の鎮座地が「長岡市大積三島谷」とのことでリンクがあり、そこには「三嶋神社」があって「事代主命」が祀られているようで。
(三島神社:http://www.genbu.net/data/etigo/misima_title.htm)
(三嶋神社:http://www.genbu.net/data/etigo/misima2_title.htm)

それらの神社の近くと思われる「二田城」は物部氏のテリトリーのようだが、「三島」と「三嶋」の違いや「大山祇命」と「事代主命」や物部氏と秦氏の関連は、以前書いてたことと似ているようで、またしてもお手上げかな、と。
(三島郡 (新潟県):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E9%83%A1_(%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C))
(三嶋郡:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B6%8B%E9%83%A1)
(二田城:http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/kasiwazaki/futada.html)
(往古の土佐:http://www.geocities.jp/kyoketu/5703.html)
(伊豆長岡の地名の由来。:http://blog.goo.ne.jp/ryuzojiryuzoji/e/4bf0320b3212f669b359c04f9e0f5390)
(長岡という地名の由来(新潟):http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1432570589)
(長崗郡(高知):http://www.nihonjiten.com/data/116157.html)

追記(2011.05.31):
「長岡」「秦氏」で検索すると「長岡氏」がヒットし、「長岡連は渡来人系秦氏の一族。」というのもあれば、「越智氏の一族 米田求政の子が細川家臣となり長岡貞安に改名するという。」というのもあったりするわけで・・・。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B2%A1%E6%B0%8F)

あ、香取市にも「長岡」「三島」があるようで・・・「三島」地名は他にもあるので、1つずつ調べるとなると大変だなぁ。(苦笑)
(長岡の神楽:http://www.katorishi.com/event/y_nagaoka.html)
(三島とは:http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B8%89%E5%B3%B6)

福島県には「三島」地名がけっこうあり、福島県伊達市長岡での検索でヒットした「長岡天王祭」は、「熱田神社と八雲神社のご神体をひとつに合わせることから「嫁入り祭」とも呼ばれ、県の十大祭のひとつに数えられています。」とのことで興味深いですね、「ヤマトタケル」と「スサノヲ」をひとつに合わせて「天王さま」と?
(福島県 三島:http://free.nifty.its-mo.com/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C+%E4%B8%89%E5%B3%B6/addr/)
(長岡天王祭:http://www.date-shi.jp/cat47/date/post-290.html)
(八雲神社:http://8.pro.tok2.com/~tetsuyosie/fukusima/datesi/yakumo/yakumo.html)
(熱田神社:http://www.tohokunoeki100.jp/pref/fukushima/date/index3.html)
(熱田神社と八雲神社:http://homepage3.nifty.com/ousyukaidou/onfk/onfkt222.htm)
(中通り北部(伊達町周辺と寛延三義民顕彰碑):http://www5d.biglobe.ne.jp/~hisaya/nakahokubu.htm)

うーん、茨城県桜川市真壁町長岡という住所もあった・・・稲敷市三島との距離感がわからないんだが、このあたりは「美浦トレセン」「ヤマトタケル」「桜川磯部稲村神社」や晴明関係でも気になる場所かと。桜川市には行基の開基とされる「小山寺」があるし。
(加波山神社:http://www.tsukubapress.com/kabasan.html)
(桜川磯部稲村神社:http://www.genbu.net/data/hitati/isobe_title.htm)
(真壁付近の神社仏閣:http://www.d3.dion.ne.jp/~iiyadoya/otera2.htm)
(小山寺:http://www.city.sakuragawa.lg.jp/index.php?code=550)
(稲敷郡:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E6%95%B7%E9%83%A1)

で、長崗郡(高知)の「崗」が気になって検索したところ、皇極天皇の「越智崗上陵」があった。
(斉明天皇と道教:http://www.asuka-tobira.com/saimei/doukyo.htm)

安易な発想だが、「越智」と「崗」が繋がるとしたら、「越智」と「嶋」が繋がることになり、「越智」が「分家」を示すために「岡」や「島」に「山」がつけられているのかも、と。


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